ヤっちゃっていいんスね?
2台のヘリのローターが巻き上げる豪風と爆音に逆らい、私は待ちかねた連中に向かい歩を進めた。
ヘリのライトと月明かりの照らす中、俊敏な動きで現地人の姿をした6人の部下、覚束ない足取りで、一人の少女が暗闇に降り立つ。
私は先頭を歩いてくる、アジズに向かい、爆音に負けぬよう、怒鳴った。町から何キロも離れた荒野だ。なんの問題もない。
「仕上がりは?」
中東系の髭づらがわめき返した。
「80%ですかね。ドローンが1台しか用意できないのと、クエッタで見つけた、条件に合うアクトレスが17歳。英語とウルドゥー語は話せますが、バロチ語は無理です」
爆風にチャドルごと持ってかれそうな、小柄な少女が、私に目礼した。
大きな瞳に怯えがあるが、それくらいの方が都合がいい。
私は、ウルドゥー語と、英語を混ぜて言った。
「アプカナム?……偽名でいい」
「……ゼルです」
私は頷いて言った。
「ゼル、君は現場で待機だ。護衛を一人つける。 万一、我々、強襲組が全滅しても、そいつが君をクエッタまで送り届ける。その場合は報酬は半分になる。稼ぎたければ、我々の成功を祈ってくれ……その後は、君の仕事ぶり次第だ」
彼女は、ぎこちなく頷いた。
「上出来だ。アジズ、良く準備してくれた……お客は?」
アジズは、もう一台のヘリを顎で指した。
「お客からの伝言です。無駄足踏ませたら、あの事バラす、だそうです」
「どの事だよ……成功したら?」
「あの事は黙っておいてやる、だそうです」
「実費だけの、タダ働きには、相応しい報酬だな……行くぞ、ジェーンが、現場近くで待機してる」
アジズが顔を引きつらせた。
「えっ!あの人いるんですか?俺達、出番ないんじゃ……?みんな、そのペド野郎をケツから炙るの、楽しみにしてたのに」
私はいつもどおりの連中、トルコに駐在する、中東組の部下達を頼もしく思った。
失敗する事はまるで考えてない。
そのふてぶてしさは、いつもどおり、いい方向に働くだろう。
しかし、ボスは私だ。
私は真顔で言った。
「それは社長である、私の特権だ」
バロチスタンは、パキスタンでは最貧地域と言われている。
第三国では見慣れた風景、場末の魚河岸の様な
生ゴミの臭気と、ゴミゴミしたバラックを通り抜けると、空気が変わった。
真新しく舗装された道路、等間隔で植樹された生垣が、サイドウィンドウ越しに流れていく。
クエッタは、誰が呼んだか、リトルロンドンと言われるくらい、街が整備されているが、それに似た風景が広がり始めた。
現地で調達した、一番目立たない車……タクシーの払い下げらしい、デコレーションだらけのステーションワゴンを、私達はシンの私邸の手前、30mで停車させた。
もう一台、ゼルを乗せたピックアップが、西洋風の煉瓦塀の切れ目、スライド式の頑丈な門と、灯りの付いた詰め所を通り過ぎる。
バロチスタン解放を唱える、テロリスト達への警戒は、怠っていないようだが……それだけだ。
実際には襲われたことは無いのだろう、周囲になんの緊張感も見えない。
入り口の防犯カメラも、可動式ではないようだ。
後部座席のアジズが聞いてきた。
「手薄ですね。ドローンで探らせますか?」
ドローンは、今通り過ぎていった、ゼルの車に積まれてある。
ドローンを飛ばし、上空から偵察の後、突入するのがセオリーだ。
22時を越えているが、たまにバイクが通り過ぎて行く。
ここは高級住宅街なので、道端にたむろしている連中はいない。これ以上夜が更けると、見知らぬ車は逆に怪しまれる。
長時間車を駐めて不審がられるのとどちらのリスクをとるべきか。
戦場は水物だ。だが、私には経験がある。
決まった。
今は、スピードが命だ。
私は助手席で、目だけ出したチャドルで、虚空を凝視している部下に言った。
「ドローンは無しだ……ハスマイラ、門番を誘い出せ」
こちらを向かず、固い声が日本語で応えた。
「ヤッちゃっていいんスね?」
部隊では、英語が公用語だ。他の隊員がわからない言葉で話すのはマナー違反だが、彼女のこのセリフは半ば呪文になってるので、隊員達も意味は理解している。
そしてこのやり取りも、儀式化している。
「必要なら……音はたてるなよ」
「クール」
黒瞳、黒髪の女は、そう吐き捨てると、素早く車から降りた。
静々と歩を進め、門の外から、声を掛けた。
ややあって、スライド式の門に付いている小さな扉のノブが廻り、AK突撃銃をぶら下げたアーリア系の大男が、一人で現れた。
160センチ程の彼女より、頭一つ以上高い。
ターバンをした、シーク教徒のヒゲ面は訝しげな顔をしていたが、彼女が、黙ってチャドルをたくしあげると、目を丸くした。
真っ赤な下着の上下に、ハイヒールだ。
ここからでは、聞こえないが、自分をシンに呼ばれた売春婦とだと伝えたはずだ。
いつもの手口だから分かる。
インド系の男は、引き締まった、半裸をしばらくじっとりと眺めていたが、肩をすくめると、顎をしゃくって入れと促した。
呆れた。
普通、怪しむだろう。それともいつもの事なのか。
扉を潜ろうとした、ハスマイラの後ろ姿に手を伸ばしたのを見て、魂胆がわかった。
詰め所に押し込むつもりだろう。
アジズが嘆いた。
「男ってアホですよね」
尻に伸ばしてきた手を振り向きもせず、ハスマイラが掴んだ。相変わらず、背中に目が付いてるような動きだ。
振り向きざま、男の手の甲に掌を添え、地面に向け一気に折り曲げた。肘を折りたたまれた男は、側頭部から地面に叩きつけられる。肘が抜けてありえない方向に曲がっていた。
合気道の小手返し。
彼女の使うのは、もう一つ酷い、合気柔術だ。
投げると同時に関節を破壊する。
「アイツに触ろうとするなんて……キングコブラで縄跳びするより死に近い」
アジズが銃をコッキングし、胸に何本もぶら下げている結束帯を抜きながら、悲しげに続けた。
「かわいそうに……でも、マイラは、ここからなんだよな」
まだ動いている大男に、ハスマイラは震脚でとどめを刺した。
ピンヒールで、急所に。
男は電流で打たれたように起き上がり、倒れると、動かなくなった。
我々、待機していた4人の男は、それを見て、俯いた。
無言が数秒続く。まるで、皆が幻痛を分かち合うかのように。
防犯カメラのレンズにスプレーを掛け、さっさと中に入ってしまったハスマイラを追うため、我々も慌てて降車する。
「状況開始だ。そこの気の毒な犠牲者を拘束しろ……生きてたらな」





