頭領の選択
日曜が過ぎてく……
「大広間だね?皆は避難したかい?」
「チョ、お館サン、行ってドースル!?」
頭領は、堂々と先程の大部屋へと向う。
こちらに向かって逃げてくる連中を一顧だにせず。
悄然とした姿は無く、駆けるのに近い速度だ。
それを追いかける私達。
ハシム家の奴らか?それともシンか?
私は舌打ちしたくなった。
本来なら、さっさと避難したいが、敵からの報復なら、私には対処する義務がある。
「オリガ君、君はその爆弾を見たのか?」
「マダ!シーザーっていう野良猫に携帯が括り付けられテルカラ、お館サンに報告シロって言われたヨ」
敵が襲来したのは間違い無いようだ。
振り返ると、避難している奴らに混じって、武装したマフディ家の連中も玄関から、駆け出して行く。
私は腰からリボルバーを抜き、オリガ君と林堂君に避難するよう指示する。
大広間の扉は閉じられていた。
扉の前で、青い顔をした男が頭領を押し留めた。
私達を最初に出迎えた、赤シャツの男だ。
英語で言った。
「シーザーの背中に、携帯とタバコの箱が括り付けられてます。タチの悪いことに、赤と白のコードで」
遠隔操作で爆発する簡易爆弾だ。下手にコードを切っても爆発するだろう。
「誰もついてくるんじゃないよ。オスマン、後は頼む」
オスマンが歯を食いしばって頷いた。
誰かが口を開くより早く、頭領は言った。
「マフディは、家族を見捨てない。シーザーは家族さ」
呆然とする赤シャツを押しのけ、頭領は扉を開けて、体を滑り込ませた。
閉められる寸前、私はブーツの爪先を、重い樫の板に差し込んだ。
「私の仕事だ」
頭領は、舌打ちして、踵を返した。
オヤカタサン!
避難しようとする、オリガ君の悲鳴は、閉じた扉で聞こえなくなった。
家具の配置は頭に残っている。
私は頭領の視線の先を追いながら、素早く、ソファーの陰に身を隠した。
念の為、リボルバーを頭領が向かう先に構える。
緊張で、流れ落ちる汗が片目に入りかけ、慌てて指で拭う。
頭領が穏やかに呼びかける先、大理石の暖炉の上で、太った猫がいた。赤シャツの言うとおり、背中に小型の携帯と、タバコの箱らしき物があった。
箱から出た赤と白のコードで括り付けられている。
どちらかを切れば、解除できるのか。
あるいは……どちらを切っても駄目なのか。
猫は、後ろ足でうっとうしげにそれを引っ掻いていたが、頭領の姿を見て、絨毯の上に飛び降りた。
私は猫が歩く、少し先に照準を合わせた。
悪いが、殺して、窓から放り出すつもりだ。
頭領の心意気は理解できるが、人間が優先だ。
トリガーを引く寸前、頭領が猫に歩み寄り、その機会を失った。
「勝手されたら困るね、Mr.リャン。アンタは大した奴だった。充分だ。部屋を出とくれ」
私は頭領の抱く猫に、銃をポイントしたまま、説得を試みた。
「貴方こそ立派だった。親として私も見習いたい。そして、貴方には香咲家の誤解をとき、本当の意味で、彼らを解放する義務がある」
頭領は抽斗からナイフを取り出し、猫に話しかけた。
「ハビービ(愛する者よ)どちらのコードを切るかは私が決めるよ」
部屋に立ち込める、場違いな、甘い香の匂いにイラつきながら、私は祈る様に叫んだ。
「私は、友人を見捨てないと言う家訓を守りたい。頼む、猫を離してくれ!」
頭領は静かに言った。
「伏せてな、お若いの……行くよ」
その時、オリガ君が飛び込んできた。
現地語で何かを叫びながら。
バカな、何故通した!
赤シャツも顔を入れて叫んだ。
アリー!そう聞こえた。
目を見開いた、頭領の腕から飛び降りた猫は、オリガ君に向かって駆けた。
口許を押さえ、悲鳴をあげて固まるロシアの少女。
頭領が何か叫ぶ。
私は銃を向け直し、爆弾を背負って、無邪気に駆ける猫の頭を撃ち抜こうとした。
その時だ。
林堂君が、何か喚きながら、オリガ君の髪を掴み、後ろに引き倒して、前に出た。
飛びつこうとしていた猫は、立ちはだかった、林堂君の腕を蹴って、後ろに跳ねた。
床の上に着地、毛を逆立て、シャーッと林堂君を威嚇する。
林堂君は、固く目を閉じたまま、スマホを猫に向けて突き出した。
スマホから響く切迫した声。
「見えない!…違う…違う!…見えた!……」
静寂の支配する部屋。
呆然とスマホを見つめる頭領。
「……聞こえない。神様の声が」
今は、頭領の足許に戻った猫に向けた、スマホから、日本語が流れた。
「赤でも白でもない……きっとそれは爆弾じゃないよ」
私は瞬時に理解した。
さっき赤シャツの叫んだ、アリーという言葉。
ナディア君の父で頭領の息子。
そして。
林堂君から聞いた、希代のギャンブラー。
林堂君達は、それに賭けたのだ。
だが。
私は猫にエイムを合わせた。
私は信じない。そんな絵空事に命を預けるつもりは更々なかった。
その時。
猫の背中の、携帯が光った。





