ローファーと四方投げ
「クソガキ、私が、誰だかわぐっ」
ジャス子のハイキックを喰らい、ジュースまみれで立ち上がろうとした、デブの顔に、リーファのサンダルがめり込む。
「テメェこそ、誰に触ってんだ、キモデヴ!」
リーファが、真っ赤になって喚いた。
ちなみにナディアとオリガは、イスを手にとってスタンバイ。
……ぼく要らないんじゃね?
ついでに言うと、ぼくにもカルピスソーダ、かかっちゃった。安モンのTシャツでヨカッタ。
スタジオに、悲鳴が渦巻き、撮影どころじゃなくなったよ。
男が、何か喚きながら、立ち上がった。
大人が止めに入る間もなく、リーファ達に、殴りかかってくる。
……やべ、コイツ、180センチ、100Kgはあるんじゃないか?
「ねえね、下がって」
ジャス子が男に向かい、顔を突き出して煽る。
「来なよ、変態」
グローブみたいな右手のビンタを、軽々とバックステップでかわすジャス子。
続く左も、スウェーで空を切らす。
マリオのように、真半身のフットワークでアイドリング。
けど、撮影スペース以外は、メイク道具や機材で溢れている。散髪屋でケンカしてるようなもんで、逃げ回るには歩が悪い。
大人は、大半がメイク関係の女性で、男性のカメラマンも、うろたえてるだけだ。
ナディアとオリガが、デブの背中にパイプ椅子を叩き付けた。ダメージはそれほどでもないけど、さすがに振り向く。
髪は乱れ、曲がったメガネの奥の眼は、完全にキレてる。
「ガキどもォ、この業界にいれると思うなぶっ」
背後から出現した、革のローファーが、頬にめり込み、男がよろめく。
男の向こうから、シラケた声が聞こえた。
「えー、ジャス子泣いちゃうー、チョベリバー」
今だ。
ぼくは男に向かってダッシュした。
いまなら、片足タックルでテイクダウン出来る!
怒号を上げた男に、足を振り払われたジャス子。
崩れたバランスを、バレリーナの様に柔らかいバク転で立て直したけど、眼前に男が迫ってる。ぼくは、ヘッドスライディングのつもりで飛び込み、男の左足を捕えた。
男は、つんのめって鏡台に激突し、悲鳴を上げる。
よし!
「ベルさん!」
すんでの所で、身をかわしたジャス子が、駆け抜けざま、ぼくの手を引っ張る。
お腹でスピンして、裏返って、立ち上がると、皆のとこまで後退した。
「おい!アンタ、出禁だろ!?なんでここにいるんだ?」
声の方を見ると、メグと、マネージャーの田中さんが、奥の扉から出てくる所だった。
パラパラと、鏡の破片を顔から落としながら、男が言った。
「田中ァ……ガキどもにどんな躾けしてるんだ!?」
額から流血し始めた男に、田中さんは、マジギレした。
「話聞いてるのか、アンタ! メグに同じ事して、このスタジオ出禁になったんだろうが!今度こそ警察呼ぶぞ!」
「クズだね」
「トドメ刺しちゃるかのう」
リーファ達が吐き捨てた。
ぼくも、また、視界が赤くなってきた。
「オマエラが、突然来るのが悪いんだろうが! いない時に、来ないとは言っとらん!」
「……話にならん」
田中さんが、首を振って、スマホを取り出した。
「いいのか、警察沙汰にして? このケガをさせたのは、オマエの連れてきたガキ達だろうが? 感化院送りだぞ?」
田中さんが、眼を見開く。
俺は言った。
「呼んで下さい、田中さん」
俺は、血まみれの男に眼を据えた。
動揺が伝わってくる。
「おい、デブ。相棒は、梁家の娘で、コイツラは、マフディ家の娘だ……警察に助けてもらわないと……死ぬぞ?」
「は? 何言ってんだクソガキ。私は、クレア・プロの二代目だぞ? 若いの集めてやろうか?」
……クレア・プロ。
僕でも知ってる。大手のプロダクションだ。
その時、初めて、聞く声が言った。
「おーおー、やる気満々ッスね。そうこなくっちゃ」
振り向くと、ポニーテールの女性が、男がさっき入って来た扉から現れた。
パンツスーツ姿で、褐色の肌。
でも、日本語のイントネーションは、完璧。
背丈は、オリガくらい、かな?
さっき見かけた、リーファパパの、お嫁さん候補だ。
「リーファちゃん、遅れてゴメンッス」
「遅いよ、ハスマイラ」
スタスタ、ぼくらの前を横切って男に向かいながら、ボヤいた。
「この展開の予測はムリっしょ? ……しっかし、最近、デヴの変態に縁があるの、カレーかなんかの呪いッスかね?」
怯えて泣いてた、チビっ子モデルも、ポカンと、ハスマイラさんを見てる。
この人………
何か、普通の人と違う。
ひょうひょうとしてて、透明感みたいなものを感じるんだ。
ここにいるみんなが、言葉をなくして、彼女を見てる。
そして、パリパリと、散らばった鏡の欠片を踏みながら、大男の前に立って、見上げた。
「おい、デヴ。連続で、ロリコンを狩るとは思わなかったッスよ? それだけ、多いんスかね、地球に不要なのに………」
ハスマイラさんは、指を折りながら数えた。
「ここが出禁なら、建造物侵入罪、建造物等損壊罪、それと、未成年への痴漢数件、恐喝、暴行、選り取りみどりッスね……まあ、そんな事より」
一転して、地獄の底から、這い出るような声で、唸った。
「梁家も、マフディも無い。アタシが居るとこで、女に傷を残したこと、一生後悔しな」
「アホか。どけ」
男は、ハスマイラさんの肩を、突き飛ばした。
よろけるポニテの、お姉さん。
違った。
力を流しただけだ。
バランスをわずかに崩した男の手首を取り、相手が引き戻す力に逆らわず踏み込むと、くるりとターン。
電話をかける様に、腕を折り畳まれた男は、後頭部から、硬い床に激突させられた。
白目を向いて、けいれんし始めた男。
ぼくは、さすがに焦った。
死ぬんじゃないか?
周りの悲鳴をよそに、ハスマイラさんは、あわれむ様に、男を見つめる。
「下に王、もうすぐキレ散らかしたボスも到着します……このまま死ぬ方が幸せなんスけどね?」





