28 商人ギルドを出し抜きたい!
本当に鼻が曲がりそうな臭いだ。
この計画がどうにかできたら、自宅に帰ってゆっくりとお風呂に入りたい。
この数日、冒険者ギルドや工業ギルドを回っていてお風呂に入るどころかゆっくり休む暇もない。
それでもわたしは彼等に比べればよほど恵まれていると自覚しなくては。
工場ギルドの人達はかき集めてきた死体に普段自分達の使っている工員の服を着させ、準備をしていた。
この大規模作戦は一度失敗したら二度と使えない。
そしてもし本当に逃げ遅れた者がいたら確実に死亡するという危険性もある。
「アイザック、ロバート、トンプソン、ピエール、アルバート……」
工業ギルドのスタッフリストの名前が次々と読み上げられていく。
名前を呼ばれた者はギルドの建物の外に出てわたしの用意した小船に乗った。
わたしは彼等の移動を最初は陸路からと考えたが、あまりにも人数が多いのと、もし誰かに見つかったら計画がパーになってしまう事を考え、工員達を荷物にカモフラージュして船からの川を渡るルートで移動する事にした。
それに夜なら船で動けば真っ暗なので見つからずに移動が可能だ。
念の為、夜に目の利く獣人に道案内を頼み、用意周到に作戦は展開した。
全員が船に乗り込んだところで、鳥の獣人が高い窓を割り、中に火のついた瓶を投げ入れた。
ドゴォオオオオオオオンンッ!
アンリの教えてくれた粉塵爆発は凄まじい威力で、工場を一瞬にして吹き飛ばし、火の海にした。
火はどんどん燃え広がり、工業ギルドのあった一角は黒煙に包まれ、また、人の肉の焼ける何とも言えないエグい臭いが辺りに立ち込めた。
聖女教関係者の前に騎士団が到着したが、あまりの業火に誰一人何もできなかった。
そこに現れたのは顔面蒼白の商業ギルドの男だった。
「納期がー! 商品が全部燃えるー‼」
男は工場の中に入り、無事な商品を運び出そうと考えた。
だが、工場の中に入った瞬間、男は火だるまになりあっという間にその場に倒れて焼死体になってしまった。
野次馬がどんどん集まってくる。
未曽有の大火災は商業ギルドのあった一角を完全に包み込み、何もかもを焼き尽くした。
わたし達はその混乱に乗じ、だれにも気付かれないうちに海から移動してドリンコート領のある川を目指した。
工員達は着の身着のままでボロボロの服装を着ていた。
普段から工場の中の作業着以外にロクな服を持っていなかったのだろう。
わたしはボロボロの服装の彼等に食事を差し出した。
「どうぞ、大したものは用意できませんが、少しはお腹の足しになるかと思われますわ」
「これ、食っても良いのか?」
工員達はわたしに食事して良いのかを聞いてきた。
そのために用意したモノなのに、わざわざ聞くなんて……彼等はよほど普段から酷い待遇を受けていたようだ。
「勿論ですわ。ドリンコート領に着いたらもっときちんとした食事を提供致しますわ」
「本当かよ!」
この工業ギルド脱出計画には、不安感を持っていた工員が大半だったようだが、わたしが食事を提供すると言うと、途端に工員達はわたしの言う事を信用するようになった。
まあやはり人間は食事が根本なのだろう。
船は川をさかのぼり、ドリンコート領に到着した。
ここからは馬車でも徒歩でも問題無い。
わたしは獣人達に手伝ってもらい、工場ギルドの人達を大きな建物まで運んでもらう事にした。
「ここは?」
「ここはかつてドリンコート伯爵がワインを作っておいておくために用意した倉庫ですわ。しかし凶作で葡萄が全滅してしまい、それからここは使われていませんわ」
工業ギルドのギルド長ドワイトが驚いていた。
「ここは凄い場所じゃな。お嬢さん、ひょっとしてここで儂らに工場を作れというのか?」
「ええその通りですわ。ここを新たな工業ギルドの建物としてお使いくださいませ。ここは水も豊富にありますし、土地もいくらでもあるので作りたい物は何でも作れますわ」
「――本当に、本当にここを儂らに使わせてもらえるのか?」
「ええ、勿論ですわ。ここを自由にお使いくださいませ」
ドワイトが顔をくしゃくしゃに皺だらけにして泣いている。
「辛かった、本当に辛かった……それでも生きる為には耐えるしかなかった。それが、こんな立派な場所で働かせてもらえるなんて……儂はどうやって恩を返せばいいのか」
「そんなの簡単ですわ。わたしの言う物を作ればいいだけですわ」
わたしはドワイトに思ったままの事を伝えた。
「お嬢さんの言う物とは?」
「そうね。とりあえずは人数分のミスリル製の武器防具、これは作れるかしら?」
「ミスリルですと!? そんな貴重な物……人数分ってどれだけ必要なんですか」
「そうね、まあざっと三十人分はあればいいかしら」
ドワイトはわたしの言った事を聞き、その場にずり落ちてしまった。
「無茶ですわい! ミスリルなんて貴重な金属、三十人分の武器防具を作るなんて……そんな手に入れるのも至難の材料、どこでどうやって揃えるんですか!?」
まあこの反応も当然と言えば当然だ。
ミスリルなんて貴重金属、この国では聖女教が牛耳り、一般人にはまず出回らない。
しかしわたしはアンリからそのミスリルのある場所を聞いていた。
「レルリルム、僕があの寒村に興味を持ったのは、あの村の近くにはまだ未発掘のミスリル鉱石が眠っているからなんだ。しかし悪代官がいればもしそんなものが見つかった瞬間聖女教に告げ口して全部奪われるだろうね。だから黙っていたのさ」
「それならそうと言ってよ! また何か胡散臭い事をしていると思ったじゃないの」
アンリはわたしに顔を近づけ、意地悪な笑顔で笑った。
「だって、キミに伝わってしまったら隠し切れないだろ。それでもしあの悪代官にバレたらどうするつもりだったんだい?」
やはりコイツは鬼畜眼鏡だ。
ことあるごとにわたしをからかって遊んでいる。
だがその話があったからこそ、この貴重なミスリル鉱石を手に入れることが出来た。
わたしがミスリル鉱石をテーブルの上に置くと、ドワイトは驚いた表情を見せた。
「間違いない、これはれっきとしたミスリル鉱石……それもかなり純度の高い物だ」
「それで、これがあれば武器防具は作れますの?」
「勿論だ。儂に無かったのは材料だけ、腕と経験は誰よりも優れた物を持っておるわ」
ドワイトはミスリル鉱石を睨み、手に持って重さを確認していた。
「お嬢さん、二日だ。二日あればこのミスリル鉱石で最高の武器防具を作ってやろう」
「二日で出来ますの?」
「儂の腕ならな。少し時間をくれるか?」
「ええ。勿論ですわ」
わたしはミスリルの加工を工業ギルド長ドワイトに任せ、他の工員達の今後の仕事や住居について考えた。
「うーん、とりあえずはまあここにしておくのが良いかな」
わたしが彼等に提供した場所は、以前盗賊ギルドが住処にしていた廃墟だった。
ここならばある程度の部屋もあるし、それに交通の便も悪くはない。
わたしが実際に工員達をその場所に連れて行くと、彼等は今までとは全く違った環境にとても喜でいた。
これでドリンコート領に工業ギルドを作る事は十分可能になった。
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一方、工業ギルドのあった場所は数日間燃え続け、火が消えたのは三日後の事だった。
騎士団が確認したところ、工員だったであろう死体はほぼ全滅。
工場も大半が燃え尽きてしまい、その焼け跡を鑑識するのはほぼ不可能だった。
その上、工員の死体は徹底的に焼く尽くされており、工員の作業服の切れっ端が残った以外はほぼ全部の死体が身元特定不明だった。
この未曽有の大火災により、工業ギルドを失った商人ギルドは、圧倒的な物資不足に陥り、王国の物価は五倍にまで跳ね上がってしまった。




