80 定期総会(4)
「子の成長が、嬉しくない親などおりましょうか?」
セシリアはその口を、少女のように綻ばせて笑った。
「ぷっ。
かっかっか!
確かに、子が頑張った時、親は共に喜び褒める。
それは親として大切じゃ。
そうは思わんか、アベニール夫人?」
アベニール夫人は口を真一文字に引き結び、『思います』とだけ答えた。
「で、先ほどの話に戻るがの。
どうも子息からは欲を感じんのじゃ。
学園への執着もそうじゃし、一般寮の話もそう、同窓生の指導も探索者の話もそうじゃ…
どれほど優れた才能があろうとも、欲のない人間は大成せんというのが、私の持論じゃ。
セシリアはその点についてはどう思う?」
メリアは『ロヴェーヌ夫人』ではなく、その名を呼んでセシリアに問うた。
「…わたくしが、最後にあの子の顔を見たのは合格発表の日ですが。
その頃にはすでに、自分の人生を真っ直ぐに見つめている、一人前の男の顔をしておりましたよ。
初めてベルに出会った時の事を、思い出すほどには。
あの子には、あの子なりに優先すべき事があるのでしょう」
そう言って、セシリアは再び口元を少女のように綻ばせた。
「ほーう?
これはご馳走様じゃ。
ベルウッド、いつまでそこで寝ておる。
そう言えば、王立学園入学はロヴェーヌ家700年の悲願と言っておったの?
なんぞ目的でもあるのか?」
ベルウッドは顔を上げた。
「……端的に申し上げますと、クラウビア山林域の保護ですな」
メリアは首を傾げた。
「ほう?
あの大樹海の…保護とな?
開発ではなくてか?」
「そう、保護です。
まぁ一部開発も含まれますがな。
ロヴェーヌはクラウビアを開拓して生まれ、クラウビアに生かされてきた家です。
あの山林は貴重な動植物の宝庫でしてな。
クラウビアにしかいない魔物や魔草を始め、そのポテンシャルはロヴェーヌが誰よりもよくわかっております。
今はその立地の悪さ故、ロヴェーヌ家の施策と探索者との紳士協定でどうにかなっておりますが、このまま流通手段が進歩していきますと、必ずやあの山林が破壊される日が来るでしょう。
その前に、法整備や、実効性のある抑止力を担保し、かつそれらを維持できるだけの収入を得られるだけの、仕組みを確保する必要がありますな。
そのために、一子爵家の権限でできる事はあまりに少ない。
…クラウビア山林域と共にあるために、ロヴェーヌ家では王立学園への入学を目指しておりました。
もっとも、肝心のアレンや上の姉のローザは、さして興味はなさそうなのですがな。
いやはや、世の中上手くいきませんわい」
ベルウッドは、先ほどまでの呑気者の顔を一変して、目に力を込めてメリアに答えた。
そこへ、先ほど指示が出された家令が帰ってきて、ロヴェーヌ領の農作物関連の納税記録と、とあるメモをメリアへと手渡した。
メリアはゆっくりと資料へと目を通して、ついでメモに目をやり、瞳孔を肉食獣のように開いた。
「かっかっか!かっかっかっか!
喜べ、ベルウッドにセシリアよ。
王都より新情報じゃ。
あのゴドルフェンが、子息に学園の育成方針にすら関わる、難解な課題を与え、その課題に対して不合格を伝えたところ、胸ぐらをつかみ合う喧嘩になり、最後にはコテンパンにクソジジイが言い負かされて謝罪をした挙句、課題を合格に訂正した。
などという、流石の私も信じられん怪情報が一部で流れておったのじゃが…
それが『真』であると確定したそうじゃ。
しかも子息はその見返りに、ゴドルフェンから王に直訴させ、1年の春にして王国騎士団に入団し、『一瀉千里』、デュー・オーヴェル第3軍団長に弟子入りを果たしたとの事。
かっかっか!かっかっかっか!
何という強欲な奴じゃ!
これほど愉快な話は久しぶりじゃ!」
テーブルとその周辺で聞き耳を立てていた貴族達は、今自分の耳で聞いた事が到底信じられず、呆然とした。
その異様な雰囲気が伝播し、大広間は水を打ったように静まり返った。
1人上機嫌なメリアは、笑顔でアベニール伯爵へと語りかけた。
「ニックスよ、こやつらの子息はとんでもない山師じゃぞ?
何せパーリはおろか、私の跡を継ぐに足る――
12歳にして、そう私に認めさせたフェイのやつも含め、王立学園生全体を踏み台にして、一足飛びにこのユグリア王国で飛躍しおった!
根回し追従陰謀策謀、全部含めて貴族の実力じゃ!
誰か他に、卑怯でもなんでもよいから、我が家こそは、こやつのように、このメリア・ドラグーンの度肝を抜いてみせると名乗りを上げる者はおらんか?!」
ドラグーン侯爵は舐めるように大広間を見渡したが、セシリア以外は皆俯いていて返事はない。
ベルウッドは再び机に突っ伏している。
メリアはニコニコと上機嫌な顔のまま、さらに続けた。
「ところでベルウッドや。
このドラグーン家の世継ぎであるフェイの奴が、そちの子息に随分と懸想しておっての?
子息を振り向かせるために、あれやこれやと金を使ってのう。
しまいには王都に魔道具の開発拠点まで建ておって、投資した金は既に1億リアルに近い」
子爵は顔を真っ青にして跳ね起きた。
その金額は、もし返せなどと言われてはロヴェーヌ領の収入では100年かけても到底返せる額ではない。
「ぷっ。
そのように青い顔をするなベルウッド。
あのフェイが、そのように男に入れ上げるなど、全く予想もしておらんかったからのう。
あやつも人の子、好いた惚れたの話になると所詮は12歳の小娘じゃったか、少々フォンを譲り渡すのは早かったと、苦々しく思っておったのじゃが……」
メリアは目を細めた。
「あやつの目が確かで、耄碌しておったのはどうやら私の方じゃな。
もちろん金を返せ、などと言うつもりはないが、目に入れても痛くないほど可愛がっておる孫娘の、恋を成就させたいと思うのは肉親として当然じゃろう?
…もし、ドラグーン家とロヴェーヌ家が婚姻を結ぶ、という事になったら、ベルウッドは反対せんじゃろ?」
このような言い回しは、上位貴族が好んで使う。
結婚は確約しないが、下位の貴族からは言質を取っておくという事だ。
ニコニコと問われたロヴェーヌ子爵は、慌てて回答した。
「は、反対も何も、流石にそれは身分が違い過ぎ――」
「ベル?
そのような曖昧な答えをお館様は聞きたいのではありません。
将来の伴侶は本人の自由意志にて選ばせる。
うちは貴方がそう方針を決めて、子供達にもそう言って育ててきたではありませんか。
その信念を、率直に申しあげればよいのです」
そのセシリアの言葉を聞いて、ニコニコと上機嫌だった『女帝』メリア・ドラグーン侯爵は、笑顔を吹き消した。
そして、その老婆然としていた言葉遣いを、高圧的なものに改めた。
「反対、とでも言うつもりかい?
吹けば飛ぶような田舎子爵風情が、随分と増長したものじゃないか。
覚悟は……出来ているのかい!」
周囲の者が思わず悲鳴を上げるほどの迫力でメリアは凄んだが、セシリアは冷静に訂正した。
「反対とは申しておりません。
将来の伴侶は、本人の意思で自由に選ばせる。
それがベルの定めた、ロヴェーヌ家の方針。
そう申し上げています」
「それを反対と言うんだよ!!」
荒らげた『女帝』の怒声は静寂の大広間にこだました。
だがセシリアは、その怒声を涼しい顔で受け流した。
その様子を見たメリアは、イライラと指でテーブルを叩き、ロヴェーヌ夫妻を見た。
「分かった、私の負けだ。
言い方を変えてもう一度聞くよ。
ベルウッド。
ロヴェーヌ家当主として、家の行く末をよ〜く考えて、お前が答えな。
ドラグーン侯爵家として正式にロヴェーヌ子爵家に婚約を申し込む。
ロヴェーヌ子爵家は、ドラグーン侯爵家との婚姻に…
アレン・ロヴェーヌと、フェイルーン・フォン・ドラグーンの婚姻に反対か賛成か…どっちじゃ……?」
◆
アベニール伯爵夫人は怒涛の展開に、逆に冷静さを取り戻していた。
そして声も出さず、ひっそりと涙を流していた。
これはもはや命令だ。
このドラグーン家を牛耳る『女帝』に、ここまで言わせて、一介の子爵家に、いやたとえ伯爵家でも、寄子に断れるはずはない。
我が子パーリが小さな頃から一心に追い求めてきた未来。
お嬢様の伴侶となり、共にドラグーン地方を支えるという、その身の丈に合わぬ夢。
そのために全てを捨てて、努力と呼ぶのもおぞましいほどの苛烈な鍛錬を積み上げる、年端もいかぬ我が子をこの目で見てきた。
努力は結実し、我が子は王立学園のAクラスへと合格し、あり得なかった筈の夢は、届きうる目標にまで降りてきた。
家族で泣きながら抱き合ったあの合格発表の日の喜びは、ほんの数秒後にはまるで泡沫のように消え去るだろう。
努力の鬼と言われた我が子を易々と超えていく、その途轍もないスケールの、少年の出現によって。
アベニール伯爵夫人は、お館様から目をロヴェーヌ子爵へと移した。
するとその男は、まるで場違いな呑気な顔で、首をはっきりと横に振った。






