304 学園祭(3)
「あら、名前を聞いていただけるだなんて光栄ですわ、お嬢様」
そう言って、赤いヘアバンドで美しい金髪を留めた可愛いメイドはスカートの短い裾をちょんと摘み、名を名乗った。
「私はジュエリー・レベランスと申します。どうぞお見知り置きを。お嬢様、おぼっちゃま」
その名乗りを聞いて、ジェアナとフォードの二人は顔面を蒼白に染めた。
「ご、ご挨拶が遅れました。私はジェアナ・ユニヴァースと申します。以前グラスター公爵家が手掛けるパーティで、ジュエリー様と少しだけお話しを――」
慌てて自己紹介を始めるジェアナを制するようにジュエが首を振る。
「私の事を覚えていてくださるとは光栄です、ジェアナお嬢様。ですがここはメイド喫茶で、私はメイド。お嬢様とおぼっちゃまは私のご主人様です。どうぞジュエリーと呼び捨てになって下さい。宜しいですね?」
ジュエに穏やかな、だが有無を言わさぬ口調でそう釘を刺され、ジェアナとフォードの二人は頭の理解が追いつかないままに取り敢えず頷いた。
メイドはメイドでも、その道四十年のメイド頭を想起するほど迫力満点だ。
二人が訳もわからず頷くのを確認して、ジュエリーはにっこりと笑った。
「それではお席へとご案内いたします。本日は天気も良いので、テラス席へとご案内いたします」
「は、はい。よろしくお願いいたします」
「敬語も不要ですよ」
そのまま建物を抜け、寮の裏庭に設えられたテラス席へと二人は通された。
「こちらがメニューでございます。お決まりになりましたらベルを振ってお呼びください、ご主人様」
ジュエリーはそういって深々と頭を下げて席を離れた。
「おい……ジェアナ……これは一体何の冗談だ……?」
「わ、分からないわフォード……あのジュエリー様に親しげに呼び捨ててと言われるだなんて。これを機にお友達になれたら夢のようだけど……鵜呑みにしてしまったら、きっと後々まずいことになるわよね?」
ジュエはその他の何名かのメイドや執事たちと共に、くるくると忙しそうにテーブルを回っている。
「あ、当たり前だ。誰が考えた企画か知らんが、レベランス侯爵家の……いや、近頃は聖女の化身とまで呼ばれているジュエリー・レベランスに、メイド服を着せ下働きをさせるなど……非常識にも程がある! 神をも恐れぬ暴挙として、新ステライト教徒から粛清されかねんぞ?」
フォードの意見にジェアナは頷いた。
「そ、そうよね。と、取り敢えずメニューを選びましょう。えーっと、あ、これにしようかしら。とても酸っぱいフルーツのパンケーキ。私、酸っぱいフルーツが大好き――」
だが、気を取り直して二人がメニューへと視線を落とした所で、左斜め後方のテーブルに座っていたガラの悪そうな男女二人組ががなり声を上げた。
「おいおい、姉ちゃんよぉ! さっきからベル鳴らしてんだろうが! エリートだか何だか知らねぇけど、あんた今はメイドなんだろう? ご主人様が呼んだらさっさと来るんじゃねえのか!」
その声を聞いて、慌ただしく働いていたジュエは嫌な顔一つせず笑顔で振り返って駆け寄る。
「はーい、お待たせいたしました。お呼びでしょうか、ご主人様」
ジュエの従順な態度を見た、王都では見ない制服を着込んだ人相の悪い二人組はにやりと下卑た表情を浮かべた。
「お待たせしました、じゃねえだろ? 主人の機嫌を損ねたのに、へらへらしてんじゃねぇぞ!」
そう言って、男の方がどんっとテーブルの上に足を乗せる。
「……何という命知らずな……。どこの田舎者か知らんが、彼女の正体を知ったら卒倒するぞ……」
それを見たジェアナとフォードが他人事ながら顔を思いっきり引き攣らせる。
その傍若無人な態度を見て、辺りはざわざわと騒がしい。
だがジュエの正体に気が付いているのはジェアナとフォードの二人だけのようだ。
ジュエは周囲の目にさらされても動揺を見せる事もなく、落ち着き払ってテーブルの分厚い天板に手を掛けた。
そして――
「――いけませんよ、ご主人様。テーブルは足を乗せる物では有りません」
ブンッと無造作に、重厚な金属でできたテーブルを頭上に振りかぶる。
どこぞの魔道具士が、とある研究の試行錯誤の為に量産している合金を再利用したものだ。
「うわぁっ!」
行儀悪く足をテーブルに乗せていた男が椅子ごと後ろへと倒れ、したたかに頭を打った。
ジュエは高々と掲げた重量感のあるテーブルを、ピタリと宙で静止させている。そのまま男に向かって振り下ろせばただの怪我では済まないだろう。
「ななな、何すんだ! 私たちはあんたのご主人様なんだろう?」
慌てて連れの女が静止するが、ジュエはにっこりと笑って頷いた。
「ええその通りです。ですがご主人様が外で恥をかかないように、行儀を躾けるのも立派なメイドの仕事ですよ? 少なくともレベランス家ではそうでした」
「レ、レベランス……?」
「まさか……ジュエリー・レベランス!」
「ひぃ!」
他の客たちがその正体に気が付いて、テラスのざわめきはいや増した。
と、そこへ魔導二輪車に跨った男が現れ、テラス先になっている裏庭の端に魔導車を停めた。
「あ、あれは……」
「しっ! 喋るなジェアナ」
いつぞやの河川敷で見かけたその男を見て、正体を知るジェアナとフォードの二人が慌ててメニューの陰に隠れる。
「何やってるんだ、ジュエ……」
「アレンさん! 見回りですか? 実行委員長お疲れ様です。お忙しそうですね」
声を掛けられたジュエが喜色を満面に浮かべ、丁寧にねぎらいの言葉を掛ける。
「あ、アレ……?」
「まさかっ……」
騒がしかったテラスは水を打ったように静まり返った。
先ほどまでのざわめきは消え、誰もが視線を逸らして息を詰めている。
すでにアレンの索敵能力の異常さは昇竜杯を通じて広く周知されている。
なので最近ではすっかり『名前を呼んではいけないあの人』状態だ。
「……好きでやっているから、忙しいのは別にいいんだが……ゲストは学園生じゃないんだ……。そんなもんでぶん殴ったら大怪我するぞ」
アレンが呆れたようにジュエが振り上げている鈍器を指さすと、ジュエは思い出したように男をちらりと見下ろして、くつくつと笑った。
「あぁ……。大丈夫ですよ。怪我をしても責任を持って私が現状回復いたします」
「ひ、ひぃっ!」
ジュエが笑顔でそう言うと、アレンは顔をぴくぴくと引き攣らせた。
「だからゲストは学園生じゃないんだ……! 折れても魔法で引っ付ければオッケー! ……なんて考えで毎日生きていない。多分な」
アレンにそう指摘されると、ジュエは肩をすくめてテーブルを地へと戻した。
アレンはやれやれと首を振ってから腰が抜けている男の手を握り、引き起こしてやった。
「すみませんね、びっくりさせて。普段数百人のメイドを抱えていても、何せ本人は新人なもので。どうか学園祭楽しんでいってください。あ、もう頼んじゃいました? お勧めは『スペシャリテ』ですよ!」
片目を瞑ったアレンに笑顔でそう勧められた男は、涙目で頷いた。
「あ、ありがとうございます! 二人ともスペシャリテに変更します! 変更しますから!」
「……スペシャリテに変更ですね。畏まりました、少々お待ちください」
ジュエが厨房の方に駆けていくのを見送って、アレンは颯爽と魔導二輪車に跨り走り去って行った。
◆
颯爽と走り去るアレンの後ろ姿を見送ったジェアナとフォードの二人が、ようやくメニューから顔を出す。
「…………ふー。あの男が近くにいると、生きた心地がせんな。……スペシャリテ? ……そんなメニューあったか?」
先程のアレンのセリフを思い出して、メニューに隠れていたジェアナとフォードが首を傾げる。
「……ああ裏もあったのか。……何だこのメニューは……」
メニューを裏返してみると、表のそれとは違い黒と赤が基調のおどろおどろしいデザインになっている。
そしてお勧め度が髑髏の数で表されており、グリテススネークのキモソース焼きが髑髏二つ、生発酵フィッシュステーキが髑髏三つ、ビッグGの姿焼きが髑髏四つなどと並び、一番下にあるのが本日のスペシャリテ、髑髏七つ、お値段三千リアルだ。
三千リアルはフォードの感覚としてもそこそこの値段であり、かなり素材に金を掛けていると思われる。
「三千か……シェフの看板料理があるなら僕も頼みたいが……」
「……アレンさん。とても紳士的だったわね……。お勧めのメニューまで教えて上げて。以前もお花が好きだって言ってたし、もしかしたら噂が大袈裟なだけで誤解されているのかも……」
ジェアナが複雑な顔でそう言うと、フォードは言下に否定した。
「冗談言うなジェアナ。昇竜杯で相手選手を地獄の業火に包んで高笑いする映像は君も見ただろう。向こうに非があったとはいえ多くの無関係な修行僧がいる友好国の聖地に災害級の魔物を呼び込んで壊滅させて、誤解も紳士もあるものか……」
フォードの反論を聞いて、ジェアナは言葉に詰まった。だが、ゆっくりと首を振った。
「それはそうだけど……でもそれこそ発端はジュエリー様を悪の手から救い出す為に――」
「お待たせ致しました。当店のスペシャリテでございます」
その声に二人が顔を上げると、左斜め後方のテーブルには、ジュエと共に、青みがかった光沢のある黒髪にスラリと高い上背を持つ、とんでもない美男子が立っていた。
クローシュ……つまりレストランなどで見かける銀色の丸い蓋が被せられたトレイを、器用に指三本で持っている。
まさに、貴公子と呼ぶにふさわしいその男を見て、フォードは思わず立ち上がった。
「ら、ライオ様!? そ、そのような格好で一体何を……?」
高級レストランのウエイターの如く黒シャツにソムリエエプロンをびしりと着たライオは、チラリとフォードに目をやって、照れるでもなくバカ真面目な顔で答えた。
「フォードか。見ての通り、執事兼給仕をやっている。俺達には人に仕えるという経験が圧倒的に足りてないと、とある友人に指摘されてな。……確かに新たな発見が色々ある。俺は、メイドや執事がいて当然だと思っていた」
フォードの実家であるエドワーズ家はザイツィンガー派の宮中伯爵家なので、二人は子供の頃からの顔見知りだ。
「な、一体何を言って……誰がそんな馬鹿げた提案を――」
「後にしてくれ。こちらのご主人様が随分とお待ちなんだ。こほん、お待たせしましたご主人様。それではこれより当店のスペシャリテがより美味しくなるよう魔法を掛けさせて頂きます。ジュエリー、呪文を頼む」
「はーいライオさん」
ライオは緊張した面持ちで、トレイに被せられたクローシュに手を掛けた。
「おいしくなぁれ! 萌え萌えキュン!」
ジュエが両手で可愛らしくハートを作り唱えた呪文に合わせ、ライオが細心の注意を払いながら火魔法を発動する。
「……も、燃え燃え? ……ぼ、僕達は一体何を見せられているんだ……?」
「わ、分からない。ジュエリー様が可愛いすぎて何も分からないわ」
フォードとジェアナはそれぞれ別方向に混乱している。
「……ふーっ、成功だ。人間、やれば出来るものだな」
ライオは額に玉のような汗を浮かべ、初めて笑顔になった。
「ふふっ。昨日の練習では消し炭を作っているかのようでしたものね、ライオさん。あいつは本番になれば出来る、とアレンさんが言っていた通りです」
ライオは誇らしげにトレイをテーブルに置き、クローシュをぱかりと開けた。
「お待たせしました、本日のスペシャリテ『魔法使いへの道』でございます」
開けられたトレイから、ライオの魔法によって温められた効果でもわりと湯気が溢れる。
「うぉぉおおおっ!」
よほど見た目のインパクトが強いのか、スペシャリテを頼んだ男は叫び声を上げて頭を抱え、目を血走らせた。
だがいつまで経ってもナイフとフォークは手に取らない。
「さぁ、温かいうちにお召し上がりください、ご主人様」
するとジュエは何と自らその料理を切り分けて、いわゆる『あーん』をし始めた。
男はあうあうと感激の涙を流している。
そこかしこでテーブルに設置されているベルがリンリンと鳴り始める。
皆スペシャリテを追加しようとしているのだろう。
「ど、どうしましょう。私も頼みたいのだけど……でもあのジュエリー様にそんな事……でも、でも」
「…………ぼ、僕はスペシャリテだな。うん。エドワーズ家の人間として、やはりシェフの看板料理があるなら試さない訳にはいかないだろう――」
「ぐぎゃぁぁあああっ!」
だがフォードがそのように結論を出してベルを振った所で、ジュエによって料理を口に運ばれた男が椅子ごとばたりと倒れた。
「はい、こちらのご主人様もどうぞ」
「ごえぇぇええっ!」
二人は白目を剥いて、神経締めを施されている魚の如くビクンビクンと地で痙攣している。
クリスマスの如くりんりんと鳴っていたベルの音は、ぴたりと止んだ。
「……あら、分かりやすく絡んできましたので、何か狙いでもあるのかと思いきや……ライオさん、お手数ですがソーラさんの研究室へこちらのご主人様達をお運び頂けますか? アレンさんもどこか不自然でしたし、この二人を警戒していたのかもしれません。念のため後でお話を伺います」
「了解だジュエリー。俺は午後の新星杯の予選のために、そろそろ抜ける。スペシャリテの注文があればドルかルディオに頼んでくれ。ジュエはステラが来たら交代だな」
ライオはトレイにご主人様二人を重ね、器用に指三本で掲げて運んでいった。
それを見送ったジュエはジェアナとフォードのテーブルへとやってきた。
「お待たせいたしました、ジェアナお嬢様、フォードぼっちゃま。ご注文はお決まりですか?」
「……私はとても酸っぱいフルーツのパンケーキをお願いします」
「…………僕はわんぱくハンバーガーかな」
ジュエは満面の笑みで頷いた。
「畏まりました、少々お待ちくださいませ」
◆
その頃アレンは――
「くっくっ! ……この調子で少しずつ好感度アップだ。くっくっくっ!」
……などとほくそ笑んでいた。






