157 最後の想定(7)
「くっくっく。ひゃーっはっはっは!」
やばい、どう考えてもやりすぎた……
対ゴドルフェン用に調合した濃縮麻痺薬の効果は凄まじく、ゆっくりと濃度を上げながら半分ほど散布したところで敵方は沈黙した。
俺が眼前の地獄絵図を見て愕然とした後、とりあえず額のあたりに右手を当てながら、天を仰いで笑っていると、クラスメイト達がドン引きした顔で北拠点へと来た。
ダンが呆れたように声を掛けてくる。
「また派手にやったな……
聞いてた展開と違うぞ?
あと今朝からやってるその笑い方はなんなんだ?」
「……これは『闇堕ちして魔族にいいように利用された挙句、ボロ雑巾のように捨てられる悲しき人間』の真似だ。
少々手違いがあってな……
兵站物資は本陣から離れた所に隠されていたのか?
すまんが毒消しを戦死者に投与してあげてくれ。このままじゃ戦死ゾーンに移動してもらう事もできない」
俺はそう言って、腹がいっぱいになっただらしのないおっさんのような格好で、その場へと横たわった。
「…………まだ魔族なんて信じてるのか?
それはいいんだが、なんでアレンは横になってるんだ?」
「魔力枯渇寸前で、立っているのも億劫なんだ」
「……締まらねぇな……」
◆
クラスメイト達が解毒薬を配って回っていると、ティムさんが近づいてきた。
「たった1人で……あの一瞬でこれほどの戦果を上げたのか……噂通り、いや、噂以上にとんでもないな、アレン・ロヴェーヌ君。
まるで気密性の高い屋内で毒薬を散布したかのようだ。
どのように実現したのか気になるが、恐らくこの君の能力は秘匿レベル4、『極秘』以上の扱いになる。
私は今は聞かないでおくよ」
すみません、気密性の高い空間で毒薬を散布しました……
ティムさんはそう言って、顔を引き攣らせている俺の肩を叩いた後、『我々は全滅だ。解毒薬がかなり不足している! 腹で魔力を練り、可能な限り自力で魔力分解せよ! 動けるようになった者から、戦死エリアへ速やかに移動!』と号令をかけた。
今ティムさんが言った通り、困った事が起きていた。
麻痺症状のきついものから優先して、軍医の魔法や解毒薬を使って治療してもらったのだが、あまりにも人数が多過ぎて追いつかなかったのだ。
戦死者は戦死ゾーン、即ち西に5キロほど移動した所にある本物の国境駐屯所の周辺へと移動する事になっているのだが、魔物の出る山で麻痺症状を抱えた者を大勢移動させるのは、いくらティムさんが付いているとはいえ危険が大きい。
「ジュエは範囲回復魔法は使えないのか?」
俺がそう質問すると、ジュエは一瞬虚をつかれたような顔をし、そしてくつくつと笑った。
「……確かに私はレベランス家の秘伝の書、『聖女』サリー様が残した日誌を読む資格を得ました。
その中にサリー様が開発・行使したと言われる『神の奇跡』とまで言われたという聖魔法について書かれておりましたが……アレンさんはなぜその内容を?
ちなみに、私はまだ使えません。
というよりも、これまでサリー様以外に習得できた人間はいないのです。
もちろん私もいつか習得したいとは考えていますが……」
へぇ〜範囲回復魔法は一般的じゃないのか……
聖魔法は原理が他の体外魔法と違い、よく分からないんだよな。
なぜ知ってるのかと聞かれても説明できないのだが、確か王都に出てきたばかりの頃、王立図書館に通って体外魔法の研究をしていた時に、ジュエのご先祖さまの聖女サリーが残した事績について記された書物を見た記憶はある。
一定程度ゲームやラノベに親しんでいる日本人などが見たら、何となく『範囲回復魔法』を想像するような内容だったはずだ。
「……ただの常識だ。
ジュエなら習得できるさ。
というか今なら出来ると思うぞ? やってみたらどうだ?」
俺はいい加減な希望的観測を口走った。
この惨状を何とかしなくてはならないのだが、魔力枯渇で考えるのもだるい。
「ええっ!
普段の万全な状態でも全く出来る気がしないのに、疲労の極致にある今……ですか?」
俺は力強く頷いた。
「ああ、というか、今だからこそ出来る。間違いなくな」
くっくっく。
こいつらは何故か俺の事を買い被っているからな。
俺がここまで断言したら、少なくとも何か根拠があると考え、『もしかして出来るかも』というような気持ちでやってみるだろう。
出来るわけがない――
そんな考えが少しでも脳裏にあれば、本来は出来る力が備わっていても、上手く力を発揮できないものだ。
一見達成不可能なほど高い壁を越えるには、自分ならやれると強く己を信じる事が、何より大切だ。
と、前世でどっかのスポーツ選手が言っていた。
まぁ上手く行けばラッキーだが、恐らくはそれで上手くいく程簡単な話ではないのだろう。
だが、チャレンジした結果、もし結果が出なくても俺が嘘つき呼ばわりされるだけで、実害は何もない。
俺の事を買い被っているこいつらの評価が、適正に近づくというだけだ。
ジュエは愛用のスタッフを握りしめて、麻痺が抜けない兵達の前に立った。
「疲労の極致にある、今だからこそ出来る……」
目を瞑って、ブツブツと考えを言葉にして整理していく。
そしてすっと目を開けたかと思うと、俺の方を見て――
静かに微笑んだ。
そのどこか神々しい微笑みと、月の光を反射して普段よりどこか発色が強い気がする金髪を見た瞬間、俺はまた面倒な事が起きそうな、嫌な嫌な予感を感じた。
「や、やっぱりジュエにはまだ早い――」
慌てて止めに入ったが……遅かった。
ジュエは聖魔法を行使する時に使う、古代ラヴァンドラ語の長い長い呪文を、歌うように、まるで女神と対話でもしているかのように口ずさんだ。
すると手元のスタッフからジュエの金髪とそっくりの光の粉が溢れ出て、目の前の兵士達に降り注いだ。
誰もがその神々しい光景に言葉を失った。
「聖女様……」
1人の兵士が感動に打ち震えながら、そうポツリと呟いた。
◆
「騒ぐな!
我々は戦死者だ! 戦死ゾーンに移動するまでの間、会話を禁止する!
そして、この場で起こった事は、このティム・バッカンの名において、口外禁止を命ずる! 間違いなく後日正式に秘匿命令が発令されるので、くれぐれも情報の取り扱いに留意せよ!
まったく、次から次に常識を覆しおって! 最早私の手にもおえんぞ!」
そう言ってティムさんはプリプリと怒りながら戦死ゾーンへと移動していった。
それを見届けたジュエは、満面の笑みで俺に抱きついてきた。
「で、出来ました!
アレンさんのお陰で!
てっきり魔力の出力が足りないのだとばかり思っていましたが……
サリー様が、聖魔法の使い手は、恋をしなくては真の一流にはなれないと口癖のように言っていたという、その意味がやっと分かりました!」
そうですか。
俺は君が何を言っているのか全くわからないよ……
俺はとりあえずジュエを押し除けようとした。
だが魔力が枯渇寸前で力が入らなかった。
「どういうことかなアレン?
流石に今のは説明が必要だと思うけど?
ジュエが伝説の聖魔法の使い手、聖女サリーしか使えなかった聖魔法を行使した。
この意味が分からないとは言わせないよ?」
フェイがニコニコとした顔で俺の前にしゃがんでそう詰め寄ってきたが、説明なんぞしようがない。
「いや……自信持ってやったら出来るんじゃないかと思って、当てずっぽうで断言してみただけだ。
ただ単純に、元からジュエには範囲回復魔法を使う実力があったって事だろう。
…………本当だって!」
俺はそう正直に白状したのに、全員が嘘つきを見る目で俺を見た。
「……ドラグーンの『失われた宝具』の話は、アレンも知っているよね?」
フェイがニコニコとした顔でこんな事を言い出したので、俺はキッパリと否定した。
「全く知らんな。興味もない」
本当はドラグーン家が保有する、機能を失ってしまったいくつかの貴重な魔道具の話は聞いた事くらいはあるが、面倒な話になりそうだから全否定した。
全く、俺は占い師じゃないんだぞ!
「そんな事よりそろそろ動かないとじじいが戻ってくるぞ。
いくらライオでも流石にあのじじいを相手に勝つのはかなり厳しいだろう」
そう言って、話題を強引に切り替える。
敵戦力は残り2個中隊ほどで、半分は指揮官がいない烏合の衆だ。
こちらはライオを除く19名が健在。
じじいさえ仕留めれれば、こちらの勝ちは揺るがないだろう。
◆
俺が遺跡内で魔力圧縮をしながら可能な限り魔力を貯め戻していると、ゴドルフェンが1人でふらりと現れた。
兵隊を伴ってこの北の拠点を取り返しに来てくれたら話は早かったが、まぁどちらにしても展開はあまり変わらない。
いかにしてじじいを殺るか、そこに全てがかかっている。
「2人か……
とすると、南拠点は今頃攻められておるのじゃな。
察するにダニエル・サルドスを浮かせて、全体の目として動かしておるのか。
戦闘技能がトップクラスに高いダニエル・サルドスを斥候に徹底させるとは、見事な思い切りじゃの」
まぁこの拠点防衛戦は、4拠点の連動や、仕掛けのタイミングが全てと言っていい。
実際はゴドルフェンに荷物を背負わせるために、敢えて南拠点は攻めていないがな。
「ふん。
ダンを浮かせたのは、誰よりも深く展開を読んでいたベスターからしたら当然の一手だ。
即決してたぞ?」
俺はこう言いながら先程厳重に封をした、赤い蓋の瓶にさりげなく手を掛けた。
するとそこでじじいは、信じられない事を言い始めた。
「完敗じゃ」
ふん、ガタガタ言わずにかかってこ、えっ?






