132 VSロッツ(1)
傷薬をヤギ髭に飲ませ、『レッドの所に案内しろ』と言ったら、ヤギ髭は震えながら呆気なく頷き、『西スラムにあるロッツの事務所だ。案内する』と言った。
先ほど品のないデブが勝手に傷薬のおかわりを買いに、ルンルンと東支所の売店へと走っていっていたが、どうやら必要ないらしい。
「ロイのアニキ。
すみませんが俺は少し用事ができたので、ここで別れます。
ポーとリーナを互助会まで送ってやってくれませんか?」
俺がこう言うと、ロイのアニキは心配そうに引き留めてきた。
「レンよぅ。いくらお前でもそれは舐めすぎじゃねえか?
俺が親父呼んでくるから、せめて親父と2人で行った方がいい」
俺は首を振った。
「おやっさんには、さっきあった事を正確に報告してください。
今日明日くらいは、おやっさんは『りんごの家』から離れない方がいいと、俺がそう言ってたって伝言をお願いします。
あと…………
俺は互助会を辞めますと、今まで世話になりましたと、そう伝えておいてください」
俺がそう言ってアニキにも頭を下げようとすると、ロイのアニキは顔を真っ赤にして怒った。
「なんねぇ!
それは許さねえぞレン!
喧嘩を売られたのはりんごだろ?!
なんでお前が1人で被るんだ!」
俺は怒ってはいたが、一方で自分でも不思議なほど冷静な頭でロッツと事を構えると決断を下した。
なので後悔はない。
奴らがどれぐらい強引な手に出てくるかが分からない以上、りんごは一方的な被害者と外部に説明できる方がいいだろう。
その方が、色んな機関がフォローに動きやすい。
後悔はないが――
王都に来て右も左も分からないお上りの俺を温かく迎えてくれて、色んな事を教わった『りんご』を離れるのは、やはり寂しい。
俺がまだ王立学園生だとバレずに探索者ができているのは、皆がスラムとは何かを、そしてその歩き方を教えてくれたおかげだ。
安い・早い・美味いの三拍子揃ったB級グルメの店や、とりあえず腹が膨れるだけの店なども教わった。
考え事をするのにちょうどいい王都を見渡せる塔の屋上への忍び込み方など、学園にいては知り得ない、この世界の裏側の色んな楽しみ方を教わった。
優しいアニキも可愛い弟妹分も、みんな俺の先生だ。
勿論おやっさんにも、本当に色んな事を教わった。
探索者のイロハは勿論だが、この国の常識とは何かを、庶民の生活とはどういうものかを学び、俺が良識と節度のある人間へと成長できたのは、おやっさんのゲンコツのお陰だ。
無視していれば、ロッツはそのうち騎士団に潰されるのかもしれない。
だがその前にチビが人質として拉致されるなどの実害が発生する可能性も十分考えられるし、何より俺の道を邪魔する奴は、誰であろうと叩き潰すという姿勢を見せておかないと、第2第3のバカが現れないとも限らない。
俺は思いを振り切るため、努めて軽い調子でアニキに伝えた。
「奴らの目的は俺です。
りんごを巻き込む訳にはいかない。
その辺りはキチッと話をつけておきます。
なに、もう会えないって訳じゃありません。
落ち着いたらすぐにまた顔を出すと、皆に伝えておいてください」
俺が笑顔でそう言うと、意外に俊敏な動きで傷薬を買って戻ってきたベンザが、気合いの篭った顔で宣言した。
「心配するなロイ。
アニキの盾は、俺が命に替えても務めてみせる。
ロイはチビどもを送ってやれ」
……君も邪魔だから帰ってね?
◆
ヤギ髭が近くに手配していた中型の馬車で、東支所から王都の西へと移動する。
ベンザはどうしてもついて来ると言い張ったが、俺は断固拒否した。
他国の間諜相手に交渉などは無意味だ。
となると、かなり荒っぽいやり方で『俺に関わるのは損』と認識させる必要がある。
足手まといなど連れていけない。
最悪脱出する事になっても、俺1人なら逃げ切る自信は有るが、ベンザを連れてとなると不可能だろう。
居ないものとして捨てて帰る、という手もあるが、2、3日は夢見が悪くなりそうだ。
それなら初めから連れていかない方がいい。
だがベンザはしつこかった。
最後には強引に馬車の荷台に乗ってきてテコでも降りないので、大いにイライラした俺は馬車が走り出して油断したところで『狭ぇよデブ!』と言って、馬車の後部からベンザを蹴り落とした。
自分でも結構酷い事をしたと思ったのに、ベンザは頭でも強く打ったのか、泣きながら『アニキは優しすぎるっすぅ!!』なんて意味不明な事を叫んでいた。
俺は仕方なく『たまには安物じゃない、いい傷薬を使え!』と千リアル硬貨を投げておいた。
さっきヤギ髭に使う傷薬を1個借りたから、これで貸し借りなしだ。
1時間半ほど馬車で走った先に、ロッツ・ファミリーの事務所はあった。
一見すると普通の建設土木業者の事務所のような4階建ての建物だが、入口に見張りが2人、周辺に人相の悪い人間が4人ほどうろついているのでどことなく異様な雰囲気を醸し出している。
俺は強引に脱出する事になった時の為に、さりげなく周辺の状況を頭に叩き込み、アウトロー路線のスイッチを入れた。
ヤギ髭が見張りに『若頭の客だ』と言い、俺は中へと通された。
そのまま4階まで上がる。
ドアの前にも見張りがおり、武器はここで預かるとか寝ぼけた事を言ってきた。
早く俺から離れたかったのか、ヤギ髭が見張りをすり抜けてドアを開けた瞬間、俺はヤギ髭を背後から部屋の中へと蹴り込み、ついでに見張りの横っ面にワンパン入れて昏倒させてから入室した。
◆
俺はドアが開くと同時に、瞬時に中の状況を整理した。
部屋の中にいた人相の悪い13人の視線が、一斉にこちらへと向く。
うち用心棒と思われる、多少は腕に覚えのありそうなやつが2人。
この2人に加え、右手前の応接セットでレッドの前に座っている温和そうな背の低い男は、少し使えるやつの雰囲気があるが、その他の奴らは数に入れる必要はなさそうだ。
正面奥のデスクには、頬がこけて目の下にクマを作った浅黒い肌の男が座っている。
昔は毎日現場に出て、日に焼けていたのだろうと思わせる肌色だ。
恐らくこれがチャブル・ロッツだろう。
その目には情緒の不安定さが滲んでいる。
奥はガラス張りの窓。
索敵防止フィルムが施されているようだ。
右手前の応接セットで寛いでいたレッドが、そのキツネのように細い目をさらに細め、口を開いた。
「今日は一段と行儀が悪いねぇ、狂犬。
それとも、そのヤギ髭が何か失礼でも働いたのかい?」
注がれる剣呑な視線を無視して、俺はツカツカとレッドの隣まで歩き、ダガーをその目の前のテーブルへガンッと突き立て、目を見据えて問いかけた。
「レッドよ……お前は俺の敵か?」
俺がそう問いかけると、レッドは心底うんざりしたような顔でヤギ髭をチラリと見て、ため息をついた。
「やれやれ……
いったいいつになったら、お使いが出来るようになるのかねぇ」





