1-03 生まれた場所への帰郷譚
生まれた場所とは――
複雑に絡む狂気的連続殺人。ターゲットを追う犯人。犯人を追う警察。犯罪を追う模倣犯。
愛情、性欲、思想、理念、理解、とは――
この物語が理解できてしまったあなたは、とても不幸かもしれない――
ホテルの一室二人がけのソファ。無駄に高級な素材のソファではあるが、座り慣れて居心地が良い。ソファも、隣に座る人の肌も触り心地がいい。どちらも同じ革製品だからだろうか。
「男の人ってなんですぐ入れたがるの?」
「私は入れたいわけではないのだ。入れたいというよりは入りたいと表現した方が正しい。そう、入りたいのだ。生まれた時に出てきた場所に帰りたいと言い換えてもいい」
「なにそれウケる」
どこにウケる要素があるのか。中身のない言葉だ。私は相手の空っぽの言葉を聞いてくだらない人間だと見下してしまう。いつもそうだ。私が考えていることはカケラも理解されない。適当な声を出しておけば分かった気にでもなれるのだろう。それがまた滑稽だ。
「人は誰しも望郷の念にかられるもの。生きていない状態から生きている状態になったのだとしたら、生まれる前の場所こそが故郷のはずだ。であれば生きながらにして生前の地を感じられる経験には思い焦がれるものだろう」
「だから入れたいの?」
「入りたいのだ。帰りたいと言い換えてもいい」
自分の考えを理解されないことはストレスだ。しかし理解できないような低脳だからこそ一緒にいると自分の価値を確かめさせてくれる。それはさしずめアクセサリー。自己肯定感を上げるためのグッズでしかない。
「じゃあ私はおかえりって言ってあげればいいの?」
「それは素敵だね」
ある意味で文学的な表現と言えるかもしれない。しかしその言葉に酔っていると分かればたちまち冷めてしまう。素敵だねなんて言葉を私は心の中で笑ってしまう。結局は低俗な目的のために話を合わせているに過ぎない。
「先に交通費を渡しておくよ。途中で気になると興醒めだからね」
「いつもありがとう。美味しいもの食べるね」
金が目的。その認識になってしまうのは仕方がないことではあるが、金で買える程度のものというのは案外無価値なものでもある。さっと鞄に交通費という名の春の対価が入れられる。鞄もプレゼントのブランド品だ。
「では、ただいま」
「おかえり」
望郷の念にかられて生まれたところへ。生まれた時の姿で、生まれた時のような心で。ただただ滑稽で、ただただ無力な状態で。ひたすらに帰郷を望む大きな赤子。そんな姿を曝け出せる瞬間というのはどうしようもなく終わりであり、また始まりのようでもある。
「また仕事の話聞きたいな」
「終わったら話してあげよう」
§
朝食堂に置いてあるテレビでニュースを見るのが日課だった。朝食は他の時間に比べて席が空いている。一人で考えを巡らせるには最適な空間だ。
スマートフォンで管理している人間関係リストを見ながら次に会う相手を考える。バツ印が付いている人はもう会うことのない人物だ。私の考えを理解できない人物。もしくは利用価値のない人物。不要な生物。昨日会った相手もリストにバツ印が付いている。
『昨日未明、新宿区内のホテルにて都内に住む会社員の男性が出血多量で死亡しているのが見つかりました。遺体からは局部が切り取られており、警察は先日発生した殺人事件との関連を調べております。監視カメラには現場から立ち去る女性の姿が映っており……』
「局部切断とかマジ怖ない?」
私に話しかけてきたのは最近知り合った同級生。何かと私の面倒を見ようとしてくれる。おかげで普通の大学生活を送っているように見せられている。
「それな。マジ怖い」
彼女に合わせた言葉遣い。中身のない男ウケをする話し方は参考になる。先入観もあるだろうけれど、男という生き物は得てして自分よりも思考力の弱い女を好む性質がある。もちろん全員とは言わないが、そうした人物が多い。おかげで何人もの男を捕まえられている。
「犯人どんな人かな? やっぱ見た目もヤバい系? 薬やってて目の下のクマヤバそ」
「その先入観マジウケる」
どこにウケる要素があるのか。中身のない言葉だ。私は相手の空っぽの言葉を聞いてくだらない人間だと見下してしまう。何も知らず、何も理解できない空っぽの人間。ニュースで騒がれている犯人が目の前にいるとも知らない哀れな人間。
昨日の男と話をしている時にも同じことを思った。どれだけ難しい言葉を使っているように見えても、実際は何も考えられていない記憶の横流しでしかない。誰かの受け売りでしかない。
生まれたところへ帰る。その思想は私と近しいと感じていた。だからこそ私は興味を持ち、何度か会って話をするような関係にもなった。しかし彼の言葉は彼のものではないと分かってしまった。なぜなら根拠も発展も一切無かったから。この人は要らないと思った。
考えが浅い人間だから相手の思考や心理を探究することができない。答えを提示してもらえるようなものしかインプットされていないしアウトプットもできない。
生まれたところという話も私に言わせると考えが停止しているように思えた。生まれたところと言うのならば、それは女体でもなければ子宮でもない。私の考えるそれはもっと前。生物学的に言う発生の前。生まれる意志を持った存在。受精しようと力強さを持った存在。精子が生まれた場所。だから生まれた場所は女性器ではなく男性器の方にある。それが物理的に生まれた場所。
さらに生まれる前を考えるとすればやはりそれは死という状態に他ならない。そして生まれる前が故郷なのだとすれば、死を持って帰郷を成したと言えよう。
だから私は彼を殺した。生まれた場所へと帰すために。生まれた場所に帰りたいと言った彼を。
私も同じく生まれた場所へと帰りたい。物理的に生まれた場所で、概念的に生まれる前へ。昨日帰った彼よりも、具体的で明確な生まれた場所に。私の父の体内へ。
だから私は私を捨てた父を探し出し、生まれた場所で死んでみせる。そこに恨みもなければ憎しみもない。これは復讐譚ではない。言うなれば、生まれたところで死ぬための長く短い帰郷譚。顔も知らない父と共に生まれる前の状態に帰るのだ。
「なんか難しい顔してるー」
「えーマジー? メイクミスったー?」
「意味違うし! バカじゃん!」
馬鹿なふりをしておけば人は何かしら教えたがるもの。昨日の男の仕事の話も私にとっては必要だった。おかげでまた父に一歩近づいた。
「愛美も気を付けなー。今のとこ男しかやられてないっぽいけど、いつ女もターゲットになるか分かんないから。何かあったらいつでもウチに逃げてきて。私が守るから」
「えー。それ二人揃って殺されるやつー」
「私は死なないよ。空手やってるからね」
「意味分かんない」
中身のない会話の練習。そう思うと彼女とのやりとりも必要なものなのだろう。
「私の空手が必要になったら呼んで。じゃ朝練行ってくる。ばいばーい」
そう言って食堂から出て行く彼女を見て思う。ごく普通の大学生には私の目的は理解できないだろうと。だから頼るわけにはいかない。住む世界が違う彼女には私の知らないところで勝手に幸せになっていてくれればいいと。





