1-16 無彩の遺書
────透明人間って信じる?
幼馴染みであり恋人である明日架は、その言葉を残して僕の前から失踪した。
彼女の幻影を追いかけた末、僕は大学のオカルト研究部で半年間の歳月を費やしていた。呪いに関して研究していた先輩や同級生も失踪し、今では僕ただ一人の聖域……のはずだった。
畔花 綺世梨が現れるまでは。
人望、運……ましてやオカルトさえも引き寄せる畔花が、僕にどんな要件があったのか。どうしてオカルトマニアと学園内で忌み嫌われる僕へ会いに来たのか。
畔花に引き寄せらるまま、僕が目にしたものは。明日架が僕に伝えたかったこととは────。
畔花との邂逅で浮かび上がるオカルトの姿。
不明瞭なオカルト分野を色彩で埋め尽くした時、僕らが目にする真実とは。
これは、空想を着色して視認する物語。
────もしも、あくまで仮の話なんだけど、アタシが急にいなくなっても、アタシの痕跡が無彩色へ移ろっても、アタシを見つけ出して。
僕こと神奈月 悠烈は、十六年の歳月を経て初恋を実らせた恋人の唇を親指でなぞった。
それ以上の言葉を紡がせないために。昨日買ったリップを塗り、別の感情で上書きした方がいいと催促するように。
突然どうしたんだい、そんな悲しいこと言わないで来週の誕生日のことでも考えようよ。明日架が好きそうなマフラーを見つけたんだ。今度一緒に見に行かないかい?
僕の言葉に、明日架は髪を耳にかけて微笑んだ。
だが、彼女の瞳の奥に佇む儚さは、まるで深層まで根を張ってしまったみたいに、灯のようにゆらゆらと残っている気がした。窓から差し込む夕陽がそう思わせるだけかもしれないが。
生まれた時から一緒の僕らでも、把握してないことがあるんだ。でも、それは無理に聞いちゃダメなことなんだと思う。
僕らを包む静寂が嫌で、明日架の頭を優しく撫でる。
すると、明日架は少し安堵し、肺に溜まっていた重苦しい空気を吐き出して、僕の顔を真っすぐと見つめた。
────ねぇ、悠くんは透明人間って信じる?
突然の質問に、僕はなんて答えたんだろう。
“悠烈”という名前へ、劣等感を感じる僕を慮った呼び方をしてくれた明日架へ、僕はなんて答えたんだっけ。
「…………っ」
久し振りにあの夢を見た気がする。
僕はベッド代わりに並べたパイプ椅子から起き上がり、薄暗くカビ臭い室内をぐるっと見渡した。怪しいまじないや魔法陣、世界中の超常現象など、オカルト研究部らしい本が視界に入り、僕は苦笑いした。
春学期まで在籍していた先輩や同級生は失踪し、部員が僕だけになってしまった寂れた空間。今では大学の空きコマを潰すため、僕が誰にも邪魔されず昼寝や作業するための聖域だ。
「……明日架」
人生初の恋人が失踪して早半年。
人探しに効く占いがあると誘われて入部したものの、何の成果も得られなかった。オカルトへの信仰はなかったが、あの時は藁にも縋る気持ちだったのだろう。
「よしっ、今日もやるか!」
ネガティブに飲まれかけた自分の頬を叩く。
明日架が失踪した春休み、僕は日本中を探し回った。
太陽のように眩い笑顔。心臓まで透き通る声音。初めてのプレゼントにしては愛の重い、互いの名前を刻印したネームネックレス。全て、明日架を構成する全部を、愛していた彼女を探し回ったが、結果は思うように振るわなかった。
だからオカルト方面へ手を出したんだろって?
ああ、笑ってくれても構わないよ。彼女を取り戻す可能性が1%でもあるなら、僕は手を伸ばしたいのだ。
幸いにも、部室に備えられた参考資料はかなり多い。
昨日まで読んでいた本と新しい資料を手に取り、僕は今日も研究へ没頭する────寸前、部室の扉が開く。
「貴方が……オカルトマニア君?」
「え?」
彼女は聖域をずかずかと踏み荒らし、先程まで僕が横たわっていたパイプ椅子の一つへ腰をかける。
この部活に在籍する半年間で、初めての来訪者へ戸惑いを隠せない僕には、彼女の強引な動作を引き留める余裕がなかった。
「私の名前は畔花 綺世梨。所属ゼミは──」
「し、知ってる。てか、この大学で君を知らない人はいないだろ!」
「あら、それなら話は早いわね」
畔花 綺世梨。
去年の学園祭で開催されたミスコンにて優勝を飾った同級生。成績優秀、入学式では生徒代表として祝辞を言い、物静かな外見とミステリアスな雰囲気が人気な“麗しい”という言葉を体現したような人物。この大学で知らない者はいない有名人だ。
そんな彼女が、なぜ瘴気に近い何かを放つオカルト研究部へ来訪したのか。
僕の問い詰めを予想したのか、畔花は先に口を開いた。
「私ね、昔から色々と引きつける体質なの。人望、運、他には……ううん、これは本題を言ってからの方がいいかな」
「その体質をオカルト面から治療してほしいってこと?」
「ごめん、今のは前置き」
畔花は戸惑いを含む表情を浮かべる。
遠目から知る彼女でも、こんな表情をするんだなと勝手に関心してしまった。
「────透明人間って信じる?」
「…………っ」
言葉が詰まった。
明日架と同じ発言が自分の海馬を叩き起こし、溺れて肺に水が注ぎ込まれる息苦しさを覚える。
そして、僕は自分を指差しながら冗談っぽく笑う。
「……みんなから無視されて、存在しないみたいに扱われる人のこと?」
「その意味じゃないわ。私が言ってるのは、文字通りの意味」
畔花の顔は、嘘をついていると断定するのも失礼なほど真剣だった。
だから、僕はどう回答すべきか迷った末、額を押さえながら机に伏した。
「えっと……オカルト研究部の僕が言うのもなんだけど、いないと思う。あくまで漫画や小説特有のフィクションだ」
「本当に貴方の立場で言ってはいけないことね」
「今の時代は科学でなんだって証明できる。敢えて科学が全てを解き明かさないのは、オカルトという商業的分野を守るためだ。そもそも立証さえ難しいこの分野は、本気になるだけ周囲から変な目で見られるだけだよ……」
それはまるで、自分に言い聞かせているようで、記憶から明日架を塗り潰すみたいで、明日架を諦めることを正当化しているようで、自分に嫌悪する。
僕は手元の資料へ視線を落とし、視界が滲む虚無感と悲痛が胸に込み上げた。
しかし、それは畔花 綺世梨によって容易く破壊される。
「でも……貴方は半年も研究してるんでしょ? 恋人を捜索する手掛かりがなくて、この分野に縋るしか道がなかったんじゃないの?」
「なんでそれを……」
「私も有名人だけど、神奈月くんだって有名なんだからね。私と違って悪い方向で、だけど」
最後の一言は余計だ。
「でもね、貴方が半年間も足掻いたから、勇ましく激しく────勇烈に足掻いたから、今ここに私がいるの……来て」
畔花は僕の手を掴むと、強引に部室を飛び出した。
陰気が充満する部屋から脱出すると、光源が非常灯のみの薄暗い部室棟の廊下が広がる。黒ずんだコンクリートの染みを数えながら、僕は転ばないよう早歩きする畔花の後を追う。
「ちょっと待てよ、どこに行くんだよ! それにさっきの口振りだとまるで……」
「あまり大声を出さないで。騒ぎは避けたいし、なるべく私たちの目撃情報は減らしたいの」
「じゃあ僕の手を離せばいいだろ!」
「そんなことしたら、神奈月くんが逃げ出すでしょ?」
くっ……バレてる。
僕の内心を見透かした畔花は、黙り込んだ僕を引き連れて研究棟のエレベーターに乗り込み、ようやく解放してくれた。密室なら僕が逃げられないと判断したのだろう。
そして四階に到着するなり、部室棟同様に薄暗い廊下へ僕を突き出した。
「もう声を出しても十分よ。四階担当の教授が講義だったり休みなのは確認済みだから」
「用意周到すぎる」
二人分の足音が反響し、余計不気味さを強調させる。
だが、畔花の言葉が本当なら……という希望に近い感情が、不安を掻き消し────うぉ!?
僕は肘から転倒した。
何もない所で躓くなんて、自分はなんて鈍臭いんだ。
そう言おうと思ったが、自身の右足を確認するなり、僕は双眸をかっぴらいた。
「あぁ、そういえばそこにあったか。透明だと場所がわからなくなるわね」
僕は何もない場所で躓いたんじゃない。見えない何かに躓いたんだ。
その正体を確かめるべく……いや、それが何なのか検討はつくが、予想から確信へ移ろわせる作業を行う。
手。
「うわああああああああああああ!?!?!?」
僕は腰を抜かす。
だって、それは人の手であり、すでに生気の消失した冷たさだったから。
これは…………
「透明人間の死体よ」
「ちょっと待て、情報が整理できない! どうして透明人間が死んでる!? 畔花はどうやって発見した!?」
「前置きの時にも言ったでしょ? 私は引きつける体質なの。人望、運────超常現象さえも」
畔花の言い分だって十分オカルトじみている。しかし、目の前にあるものは、紛れもなくオカルトであり、信じなくてはいけない事実なのだ。
「私の方でも簡単に死体を調べてみたんだけど、体格、肌のハリから十代後半から三十代前半の男性だと思うのよねぇ。ちなみに服も透明で全裸じゃないから安心して」
「なんの配慮だよ」
「それと……左手に興味深いものがあったの」
僕は畔花に言われるがまま、死体の左手に握り締めていたそれの形状を、表面を這う意匠を確認する。
「ネームネックレス……」
────ねぇ、悠くんは透明人間って信じる?
────え? うーん……いないんじゃない……かな?
────そっか……、気にしないで!
「明日架、今なら信じられるよ……ごめん」
今度こそ見つけてみせる。
無彩色の痕跡を辿って、君の存在を彩ってみせる。





