1-13 食わず嫌いの暴食魔人
少女イーダは旅の途中、砂漠の下に封印された男と出会う。
ミイラと見間違えるほど痩せこけたその男は、かつて大陸を支配した帝国の生み出した大罪の七魔人がひとり、暴食の魔人グラトニーだった。
「もう何も喰いたくない。俺は飢えて朽ち果てたいんだ」
そう言いつつイーダを助けるため猛毒を持つ鋼鉄蠍を喰らった彼に、イーダは目を輝かせる。
「暴食の魔人のお腹の強さの秘訣がわかれば、世界中の美味しいものを食べたいというわたしの野望に大きく近づけるのですっ!」
グラトニーは再封印のため、イーダは暴食の秘密を知るため王都へ向かう。
その先に幾多の困難と数々の魔物たちが待ち受けていることなど知らないで。
《食わず嫌いの暴食魔人と食いしん坊な少女の悪食冒険ファンタジー!》
陽光に熱された砂が音もなく落ちていく。
ごくわずかな光を伴って降り積もる先は、命の気配が失せて久しい廃墟のその下。
灼熱の地上とは裏腹に寒いほど冷えた空気に満たされた地下空間で、鎖で壁に戒められた人影がひとつ。
狭く暗い部屋のなかでどれほど長い間、壁に貼り付けにされていたのか。
身にまとう衣服はなかば朽ち、砂ぼこりに塗れた髪は元の色がわからないほど薄汚れている。
性別もわからないほどに干からびたその身体を熱砂が撫でるけれど、反応は無い。
かつての都とともに忘れ去られ、飢えるままに命絶えたのか。
語る者はなく、静けさだけを供に朽ちていこうとしていた空間にふと、かすかな音が落ちる。
ブゥン、風を切るような唸りに続いたのは人の声。
「せーのっ!」
場違いに明るいその声とともに降り下ろされた鉄器が、静寂と部屋の壁をぶち壊した。
「こーんにっちわー! お昼ご飯の時間ですよー!」
もうもうと立ち込める砂ぼこりをかき分けて姿を見せたのは小柄な少女。
砂避けの外套を背に落とし壁を壊した鉄器、巨大なフライパンを肩にかついだ少女は赤い癖毛をはねさせながら、干からびた人物の前まで歩み出た。
「わ、ミイラ! もしもし、寝てます? 手遅れです? 死んでます?」
声をかけても反応の無い相手に首をかしげた少女は、何を思ったか乾ききった身体の胸に顔を寄せる。
布が朽ちてあらわになった薄い胸のあたりでひくひくと鼻を動かし、ひとつくしゃみをすると満足気に姿勢を正した。
「うーん、腐臭なし! それじゃあ……」
にっこりと笑い、少女は腰の巨大なナイフとフォークを手にする。
「いっただきまーす!」
銀の食器が乾物めいたその身を捌こうとした、そのとき。
干からびたまぶたがぴくりと動き、暗い色をした瞳が少女をねめつけた。
「……同族を喰うほど人は落ちぶれたか」
「わ! 生きてた!」
しわがれた男の声に驚きつつも、少女は食器を構えたまま。
ぱちくりと見開いた目でふしぎそうに相手を見つめる。
干物じみた体躯に乗る頭はやはり痩せこけ、乾ききっている。
その様相で口を聞く姿は、およそ人間とは思えない。
「同族じゃなくってわたしは人間です。イーダ・キーマス。あなたは魔人でしょ?」
「なぜわかる」
「だって上に書いてましたし」
「上?」
ミイラが怪訝そうに眉をしかめたと同時、ひどい衝撃が二人を襲った。
少女、イーダの「ひゃあ」というどこか気の抜ける悲鳴を聞きながら、男は床に転がり落ちる。
貼り付けられていた壁が崩れ、戒める鎖ごと放り出されたのだ。
けれどゆっくりと身を起こした男の顔に解放を喜ぶ様子はない。
「今日はずいぶんと騒がしいな」
つぶやきながら手を持ち上げた男は、自身の首にはまる太い首輪に触れてかすかに口元を緩める。
けれどすぐさま表情を引き締め崩れた壁の向こうをにらみつけた。
壁に開いた大穴が眩しいほどの青空を切り取る。
けれど久々の陽光を楽しむ贅沢は許されない。
「あれは、蠍か?」
さわやかに晴れ渡る空と男たちの間に立ちはだかる黒い影の形状から判断したが、疑問形になるのも無理はない。
「そう、蠍。それも蠍のなかの蠍、砂漠の暴君とも呼ばれる最大の難敵、鋼鉄蠍ですっ。さっき見失ったと思ったら、また会えるなんて!」
なぜかひどくうれしげに目を爛爛と輝かせてイーダが答えた。
彼女の左右の手には巨大なナイフとフォークがしっかり握られている。
華奢な彼女が巨大な蠍を前に浮かべる表情は恐怖ではなく、歓喜。
それも捕食者が浮かべる獲物を見つけた喜びだ。
ぺろりと唇を舐めたイーダは、蠍の巨体を恐れもせず飛びかかる。
「いっただっきまーす!」
ガイィン!
鈍い音を響かせたのはイーダの武器か、蠍の甲殻か。
あっけなく弾かれて降ってくる少女の身体を咄嗟に抱き止めて男は舌打ちをひとつ。
裸足で砂まみれの床を蹴りつけ飛び上がった。
その脚下を唸りながら通り抜けたのは蠍の長い尾だ。
巨体と同じ長さを持つ尾の先端で、禍禍しい曲線を描く毒針が獲物の息の根を止めようと狙っている。
「気を付けてくださいね! 鋼鉄蠍の毒はとんでもなく強力で、悪食で有名なあの暴食の魔人でさえ瀕死にさせたって伝説があるのでっ」
小脇に抱えられ、忠告するイーダに男は「瀕死に、ねえ?」と干からびた顔に似合いの冷ややかな笑みを浮かべた。
焼けた砂に着地し、イーダを背後に転がした男は自らの顎を掴み、つぶやくように告げる。
「『暴食』」
がぱりと開かれたその口内はひどく暗い。
月の無い夜の闇よりもなお深く、尽きることない人の欲のごとく底が見通せない。
およそ生き物の口内とは思えないそれに恐れを抱いたのか、あるいは捕食のためか。
再び伸ばされた鋼鉄蠍の尾を男は避けず、開いた口の中に招き入れた。
イーダは悲鳴も上げられず、毒針がその喉を突き破るかと武器を握る手に力を込めて見つめていた。
しかし。
男の喉は突き破られることはなく、そして握りしめた尾を引きずり込む男の動きも止まらない。
毒針どころか尾の中ほどまでずぶずぶと口に消えていく。
それと同時に、干からびきっていた男の顔が肉を取り戻す。
頬は痩せこけているものの存外、若い青年だった。
喰らうたび、枯れ枝のようであった四肢もじわりと人のそれに姿を変え、骨の目立つ指で鋼鉄蠍の尾を掴んでのどの奥へと押し込んでいく。
鋼鉄蠍が慌てたように多足で砂を掻き逃げようともがくなか、長かった尾はすっかり男の口の中に吸い込まれていた。
それでもまだ足りないとばかり、鋼鉄蠍の胴体部分に男が手をかけたとき、イーダはハッとして駆け出した。
「ひとりじめはずーるーいーです!」
「はあ?」
うっかり声をあげた男の口元で、鋼鉄蠍の尾がぶちりと千切れる。
それを好機とばかりに逃げ出した尾の無い蠍目がけて飛びかかり、イーダは巨大なフライパンを振りかぶる。
「いっしょに見つけた獲物なんだから、半分こしましょっ!」
断言とともに振り下ろされた鉄の塊が脳天をかち割り、鋼鉄蠍の巨体は砂に沈んだ。
イーダの膂力に驚くべきか、「ずるい」発言に疑問を呈するべきか。悩む男を振り返り、イーダが笑う。
「ご飯はいっしょに食べたほうが、おいしいんです! 暴食の魔人さん!」
「………なぜ俺が暴食の魔人だと」
「なんでも食べちゃうそのパワー! 伝説の暴食の魔人に違いないですっ」
「はあ……」
ため息をついた暴食の魔人と呼ばれた男の口内は、すでに常人とかわらないものに戻っていた。
痩せた首に不釣り合いな太い首輪を撫でて、男はため息交じりに名を告げる。
「グラトニーだ」
「それじゃあふたりの出会いに乾杯しましょう! ちょうど良いところに希少食材もあるしっ」
はしゃいだ声で鋼鉄蠍に向き直るイーダは、聞き間違いでなく砂漠の暴君を食べるつもりであったらしい。
蠍の胸に埋まる魔核になど目もくれず、甲殻のすき間に器用にナイフを差し込み解体していく彼女を見ながらグラトニーは腹をさする。
心なしかその顔色は青い。
「……俺は食わないぞ」
「えっ! なんてもったいない! あ、やっぱり蠍の毒が効いてます? 伝説の通り、鋼鉄蠍の毒で死んでしまうんです!?」
「死なん。この程度の毒で死ねるなら俺はとうに死ねている。……食うのは嫌いなんだよ」
ぼそりと吐いた声はひどく小さかったけれど、乾いた風がうまく運んだらしい。
弱弱しい響きが耳に届いたイーダは、解体の手を止めないままに「むう」と口と尖らせた。
「暴食の魔人のくせに食わず嫌いです? もったいない」
イーダの言葉はグラトニーに届いていた。
けれど彼は放っておいてくれとばかりに彼女に背を向け、砂の合間に開いた大穴を覗き込む。
「下に戻ってこの身が朽ちるまでもうひと眠り、と行きたいところだが……見事に封印をぶち壊してくれたな」
見下ろした先では、グラトニーが長く過ごした狭い部屋が半ばまで砂に埋まっていた。
眺めている間にも風が吹いてさらなる砂を運び込んでいる。
半壊の部屋がすっかりと砂に飲み込まれるのにそうかからないだろう。
どこか呆れたようなグラトニーの声を聞きとがめ、イーダは頬をふくれさせついでに蠍の固い殻をベキリと剥ぎ取った。
「扉は確かに壊しましたけど、封印なんてもう効力無くなってましたし。部屋を壊したのは鋼鉄蠍ですし?」
悪気などかけらもないイーダの様子にグラトニーは深くため息をつく。
「再封印のためには王に会わねば」
「あ、王都に行くんです? わたしがお供します! 王都の美食をまるっといただきますっ」
「いや、俺はひとりで」
すかさず切り捨てようとしたグラトニーを遮って、イーダは目を輝かせた。
「ご一緒すれば暴食の秘訣もわかるかもですし。暴食の魔人並のお腹を手に入れれば、世界中の美味しいものを食べたいというわたしの野望に向けて大きな一歩なのですっ」
「そうか、じゃあな」
拳を握るイーダを置いて、グラトニーがその場を抜け出そうとした。
けれどイーダは素早く回り込み、魔人の耳元でぐふふと笑う。
「おやおやぁ、魔人さん? そちらは王都のある方角じゃないですよー? もしや行き先がわからないのでは?」
「…………」
「今なら美少女のお供付きで、王都までご案内しますけどー?」
「……くそ」
眉を寄せるグラトニーと目を輝かせるイーダを蠍の焼ける良い香りがぷぅんと包みはじめていた。





