悪い知らせ
「じゃあ、私が手拍子するから、それに合わせて、足を動かしてね」
と、私の母、マリアンナが言いました。
「キャス」
リバーが手を差し出し、私はその手に自分の手を重ねます。
双子のダンスレッスンを始めます。と、母が宣言してから、約2ヶ月が経ちました。
私は体力作りに終始しておりましたが、そのお陰もあり、屋敷周り3周なら、楽勝で走れるようになりました!奇跡です!・・・と、私が喜んでおりますと、母は『当然のことです。あなたは根性がなかっただけよ。これでやっと人並みね』と、言いました・・・。ふぅ・・・。
私は手拍子に合わせて、一歩足を動かしましたが・・・こーん!と、リバーの爪先を蹴りました!何故?!
「キャス!いきなり間違わないで!右足からでしょう!」
「あっ」
そうでした!
「それにスーッと流れるように動くのよ!あなた、バタバタと足踏みしてるだけじゃない!ちっとも優雅じゃないわ!見苦しいだけよ!」
「すみません!」
「それから背筋を伸ばしなさい!あなた、意味もなくおどおどしているせいで、背筋が丸くなってるのよ?!分かってる?!」
「いいえ!」
「そんなにいい返事は要りません!」
「すみません!」
母は溜め息をついて、
「これは、背筋を伸ばす訓練もしなきゃね」
「・・・」
私、壁の前で、背筋をピーンと伸ばして、立っています。絶対にもたれたらダメよ。と、母は言いましたが、背中が壁に当たるか当たらないかぐらいの位置に私を立たせたので、辛くなるとついもたれたくなるのです!
ですが、グッと堪えます。
なぜなら、私の頭の上には、一番のお気に入りである本が乗っているからです!
昔、レオ様が読んでくれた海を舞台としたお話の本です。表紙と挿絵にお魚さんが描かれているので、すごく気に入っています!絶対に落としません!
そんな風に燃えている私を見ながら、
「ふっ。あの子は魚が絡むと途端にやる気を出すから、簡単ね」
そう言った母はリバーのように黒い笑みを浮かべていました。
私は背筋を伸ばす訓練をしながら、リバーが母を相手にして、踊っているところを見ています。
この間、両親がお手本として、私たちの前で踊ってくれました。
両親はそれはそれは息がピッタリで、本当に流れるように優雅に踊っていました!
あまりに素敵過ぎた為、私は肝心のステップを全く見ておらず、それを見抜いた母から、『何の為に私たちが踊ったと思ってるの?!』と、叱られました。
当然のことですが、リバーはその時の父に比べたら、ずいぶんぎこちないです。
「リバー。下を見てはダメよ」
「はい」
リバーはぐっと顎を上げました。表情にあまり余裕がありません。
リバーはとっても頑張ってるのです。
全てはこのダメな姉を上手くリードする為です。
待っていて下さいね!私も追い付きますからね!・・・すぐには無理ですが・・・いえ!頑張ります!
私たちがダンスに悪戦苦闘していたある日のこと・・・。
「あら、ルーク君、一人?」
ルークが一人で我が家の客間に通されたのを不思議に思った母が言いました。
「シュナイダーはどうしたの?」
「実はすぐそこまで来ていたんです」
と、ルークは酷く真顔と言いますか、不安げな顔をしています。「アンバー公爵様が王城での会議中に倒れたそうなんです。シュナイダーはその知らせを受け、引き返したんです」
「まあ!」
母が声を上げます。
「皆さんにも知らせた方がいいと思い、自分だけこちらに来たんです」
「ありがとう。ルーク君、ともかく休んで」
母がルークに座るよう勧めました。
「はい。ありがとうございます」
ルークがソファーに座りました。
「・・・」
私は言葉を失っていましたが、
「倒れたって・・・他に何か言ってた?」
と、リバーが聞きますと、ルークが首を振って、
「いや、鳥だったから・・・そこまで詳しくは・・・」
「・・・そうだよな」
リバーは溜め息をつきましたが、「今日、お父様が帰って来れば分かるだろう」
と、言うと、私の頭を撫でて、
「キャスも座ろう。悪い方向に考えちゃだめだ」
「う、うん。そうよね」
私は頷くと、ソファーに座りました。
先月、交流会でアンバー公爵様とお会いした時はこれまでと変わらない様子でした。その時、カルゼナール王国の歴史を知ることが最近の趣味だと言った私に色んな話をして下さいました。
まだまだたくさん面白い話があるからね。と、アンバー公爵様は言いますと、いつもの無表情を消し、微笑んだのです。
その日の夜、父が帰宅しました。
私とリバー、母が飛んで行きます。
「お父様!アンバー公爵様はどうなんですか?!」
父は私たちの勢いにややびっくりした顔をしましたが、
「ともかく、リビングに行こう」
酷く疲れた様子の父はブランデーを一口飲むと、
「アンバー公爵は血を吐いて倒れたんだ」
「ー・・・」
私たちは絶句してしまいました。
血を吐いたなんて!
私は思わず顔を覆ってしまいましまと、リバーが肩を抱いてくれました。
すると、父が、
「あまり重く取らないで欲しい。少量吐いただけだけだったし、すぐに意識を取り戻して、話も出来るようになった。今はまだ王城の医務室で休んでいるが、しばらく安静にしていれば、大丈夫だろうと医者も言っていた」
私はホッとしましたが、
「血を吐いたと言うことは消化器系か肺、気管支・・・」
と、リバーが呟きました。
この世界には胃カメラもレントゲン写真もCTスキャンもありません。お医者様は触診と症状からどこが悪いのか推測するしかなく、細かな原因までは分からないのです。
治癒魔法だって、怪我をすぐに治すことは出来ても、病気に対しては何の効果もないのです。
「最近、妙な咳をしているなとは思っていたんだ。本人が風邪だろうと言っていたから、深く考えなかった」
父は溜め息をつくと、ブランデーを一気に飲み干しました。
「あなた。何も食べてないんでしょう?そんな飲み方をしたら、だめですよ」
普段、父は私とリバーの前でお酒を飲むことはありません。
「すぐに食事の用意をしますから」
と、母が立ち上がります。
「いや、食欲が・・・」
と、父は言いかけましたが、
「無理にでも食べて下さい。あなたまで倒れたら、他の方の迷惑になります。それに、アンバー公爵様に余計な心配を掛けてしまうでしょう」
母はリビングから出て行きました。
「はー・・・」
父は息を吐くと、またブランデーをグラスに注ぎました。
それから、父はしばらくグラスを見つめていましたが、結局、見たくもないと言うようにグラスを押しやると、私たちを見て、
「キャス、リバー。もう心配ないから、寝なさい」
父は私たちを安心させるように笑みを見せました。
私たちは父に言う通りに部屋に戻ることにしましまた。
「お父様もずいぶん動揺しているみたいだね」
と、リバーが言いました。
「うん・・・」
19歳で父親である前カーライル公爵を亡くした父にとって、アンバー公爵様は尊敬する先輩だけでなく、もう一人の父親のような存在なのです。
「シュナイダーも辛いだろうな」
「うん・・・」
私とリバーは並んで、窓の外の闇を見つめます。
しばらくそうしていましたが、沈黙が辛くなった私は口を開きました。
「こういう時、何をしてあげたらいいのかしら・・・シュナイダー様は感情を外に出すことが苦手だし・・・」
「お父様は大丈夫だって言ってたんだ。普通にしていよう。シュナイダーは自分が感情を出せない分、人の感情の動きには敏感だ。逆に心配させてしまうかもしれないからね。・・・キャスはいつものキャスでいいんだ」
「うん・・・」
「大丈夫。絶対良くなるよ」
「うん。絶対良くなるよね」
私と、リバーは頷き合いました。
ですが、アンバー公爵様の今後が五大公爵家の今後にも大きく影響すると言うことを、この時の私には想像することすら出来なかったのです。
これからの展開が、『魔法学園』入学前、最後の大きな出来事になると思います。
あの方もそろそろ帰って来そうです。




