009 見えない刃
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「ルミアッ!?」
アルはドアを押し開けて部屋の中に入る。
しかし部屋にはルミアの姿はない。
「こっちかっ!」
窓から出た形跡はない。
ということはルミアはまだ浴室にいるのだろう。
それが分かったアルは先ほどの大きな声とルミアの叫び声に焦りを覚えつつ、浴室に押し入った。
「……え?」
「……は?」
そしてアルは何も身に纏っていないルミアと目が合った。
二人とも今の状況が把握できずにぽかんと口を開けている。
アルは恐る恐る視線を下に向ける。
そこにはよく滑りそうな石鹸が落ちていて、何かに潰されたような跡が残っていた。
もしかしなくてもルミアは身体を洗っている途中で誤って石鹸を踏んでしまったのだろう。
そして声をあげながら転んだ。
そう考えれば全ての辻褄があう。
「…………」
しかしそうだとしたら今のアルはただの覗きに来たようにしか思えないのではないだろうか。
アルはゴクリと唾を飲みながら、もう一度その視線をルミアに向ける。
傷一つない白い肌は、男を知らない。
少しだけ控えめな胸も今はどうだっていい。
ルミアの頬が真っ赤に染まっていき、表情は怒りに包まれていく。
そしてその拳もわなわなと震えていた。
「……こんの変態がぁぁぁあああああああああああ」
ルミアの絶叫。
アルはその時、眼前に広がる巨大な炎を見た。
「ほんっとありえない! 普通でも少しは確認ぐらいするでしょ!?」
「ごもっともです」
アルは木の床に正座させられている。
もちろんルミアにだ。
アルは今しがた、ルミアのいる浴室へ飛び込み、ルミアの裸を見てしまった。
もちろんルミアの裸を見ることが目的だったわけではない。
大きな音を聞いたアルがそれを敵からの襲撃だと勘違いし、ルミアの安全を第一に心配したが故の結果である。
だがそれを言えば、言い訳するななどと言われるのは目に見えてる。
そのためアルは正座したままでルミアの説教を大人しく受けているのだ。
「で、でも大丈夫ですよ?」
「何が大丈夫なのよ」
そこでアルは少しでもルミアの怒りを鎮めようと努める。
「あんまり見えなかったので」
アルからしてみれば別に悪気があったわけではなく、純粋にルミアの怒りを鎮めようとしただけだった。
だがどうやらそれは逆効果だったらしい。
「……死にたいの?」
「…………」
ルミアの目は本気だった。
アルは思わず口を噤む。
ルミアの周りには火の玉がいくつも浮かんでいる。
それは、これ以上ルミアの機嫌を損ねるようなことを言えば命はない、ということを示していた。
「……分かってると思うけど、覗きをするようなやつと同じ部屋で眠るなんてあり得ないわよね?」
「え、でも別の部屋借りたら無駄な出費に……」
「あぁ? そんなの廊下でもどこでも眠れるでしょ?」
「そ、それは……」
「それは、何?」
ルミアの操る火の玉がアルを囲むようにして浮かんでいる。
アルには最早選択権など無かった。
「…………」
既に外は暗闇が支配し、廊下には蝋燭の微かな明かりがあるだけ。
アルはルミアの指示通りに廊下で夜を過ごしていた。
部屋の扉にもたれかかるようにして座っていたアルだったが、ふいに立ち上がる。
その視線は壁の向こう側へ向けられている。
アルは気付いたのだ。
遥か先から向けられる僅かな殺気に。
それは徐々に近づいてきて、確実にルミアへと狙いを研ぎ澄ましている。
どうやらシリス王が言っていたことは本当らしい。
我儘姫と称されるルミアには敵が多く、今回の道中でも刺客に狙われる可能性がある。
アルはやはり刺客がいたのかと舌打ちを零す。
これでこれからの縁談の目的地に着くまで気を張っていなければいけない。
あれだけ守られないと豪語していたルミアは、自分に向けられる殺気にも気付かずぐっすり眠ってしまっているようだ。
だとすると今ここでルミアへの刺客に対処出来るのは、アルしかない。
今回ルミアを狙う刺客は、殺気を消すのが上手く、事前に刺客の可能性を知らなかったらアルでも見落としていたかもしれないレベルだ。
さらに言えば、それだけの刺客を雇える大物がルミアの敵ということである。
確かにこれはアルが護衛についていなければ既にこの時点でかなり危険な状況に陥っていたことだろう。
だが刺客にとって唯一の誤算があったとするならば、それはアルの存在だ。
刺客が強い?
そんなことアルにはどうだって良かった。
早く終わらせて、早く報酬を手に入れて、早く飛行魔術の研究をすることしか頭にないアルに常識なんて通じない。
「……消えろ」
たった一言。
アルがとある一点を見つめながらそう呟くだけ。
たったそれだけでもアルには分かる。
風が見えない刃となって刺客へと飛んでいくのが。
恐らく次の瞬間には刺客の首が切り落とされているだろう。
そしてそれを証明するかのように、ルミアに向けられていた殺気が一瞬にして霧散した。




