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この地を離れるにあたって、一番の懸念事項はサンカ衆だ。
雪崩によってあちらにもかなりの被害が出ているから、再襲はないだろうと父は言うが……三分の二が機能不能になったこの城は、あまりにも無防備なのだ。
もしサンカ衆が夜襲時と同等の、いやその半分でもいい、数をかき集めることができるなら、城を落とすのは難しいことではない。
まず、城を城たらしめる、攻めにくいという地形の利がない。
雪ががっつり石垣や斜面を埋めており、今なら子供でも侵入に困らないだろう。
次に、そもそもの戦える者の数が少ない。
打撲や捻挫や軽度の凍傷を考慮しないとしても、本来いるべき兵士の半数に満たないそうだ。
ただでさえ城主岡部の負傷に精神的な打撃を受けているのに、頼りになる父という存在がいなくなれば、ここの城の人々は少数の敵にすら耐えることができないだろう。
まず父の性格からして、見捨てて立ち去ることはできまい。
同時進行で、自身が守護している国境線のことも気掛かりのはずだ。
それに加えて、自らと勝千代の身の安全の不安もあるとくれば、いくら父でもそのすべてを守ることが困難だという事はわかっているだろう。
「二木。ちょっといい?」
悩んでいる父と同じように、何やら難しい顔をしている細目に声を掛ける。
厠の側の手水鉢で手を洗っている男を捕まえ、話があると連れ出した。
「なんですか」
非常に面倒そうな顔を装いつつも、勝千代の話に興味があったのだろう、少し間隔をあけてついてくる。
井戸までの道は、それほど遠くない。
踏みしめられた道は雪かきされていて、避けられた泥交じりの雪が道脇に積み上げられている。
しかし、草履より底の分厚い藁沓を履いていても、そもそも藁だし、素足だし、寒さを何とかするには弱い。
できるだけ水がしみない場所を選んで歩くべく、視線はずっと下だ。
「サンカ衆と話をつけたい」
道を半分ほど進んだころで、小声で言った。
「こちら側から望むのは、この地域から去る事。二度と領内で仕事をしない事。相手側にはまとまった金銭を渡して、こちらからは追わないという条件を付けようかと思う」
二木からの返答はない。
「どこの誰とつながっているか……できれば知りたいけれど、無理強いはしない。二度とここに来ないでくれればいい」
井戸に到着した。
勝千代の後ろには二木、更にそれより下がって付いて来ていた土井が、素早く駆け寄ってきて鶴瓶桶を井戸に落とす。
一度鶴瓶を引いてみようとした事はあるのだ。
何事もやってみるのは大切だが、こればっかりは無理だった。
木桶ですら重いのに、それに水が入ったものをロープ一本で引き上げるのは幼児には困難だ。
鶴瓶桶を引き上げるには、力いっぱい滑車の縄を引く必要があるのだが、そもそも、縄に手を伸ばすと井戸に落下してしまいそうなのがいけない。
井戸の上に身を乗り出した勝千代を、南がすごい勢いで引き戻し、以降は腕の無事な土井が水を汲んでくれている。
ちなみにその間、段蔵は何も言わずに見守っていただけだ。
「相手側も馬鹿じゃないだろうから、交渉人が誰かというのは重要だ」
引き上げた桶から柄杓で水をすくい、二木を振り仰ぐ。
あの手水鉢の水じゃダメなんだよ! とは口に出して言わないが、多少目力強めだったかもしれない。
渋々と差し出された手に、水をかける。
「父上が出れば、弱みを作ることになりかねないから、代理がいる」
二度ほど柄杓で水をかけたら、本人はもういいだろうと言いたげだったが、念のために三度目の水をすくう。
嫌がらせじゃないぞ。
「……俺にやれってんですか?」
「得意だろう? そういうの」
二木は四回目を拒んで、懐から手ぬぐいを取り出して手を拭いた。
勝千代は柄杓を井戸の枠の上に置き、冷えた手を袖の中に引っ込めた。
「その、まとまった金ってのはどこから出すんですか? いやそもそも、夜盗に金を払うだなんて聞いたことないです」
「金には当てがある」
御台さまにもらった荷はまだ段蔵の村にあるはずだ。あれをそのまま渡すか、金にして渡すかすればいい。
「サンカ衆だろうがそうでなかろうが、相手を動かすには利で釣るのが一番面倒がない。今のところこちらに蹴散らすだけの戦力がないのは、向こうも知っているだろうし」
「ですが」
「下手に出る必要はないよ」
二木が言うように、そもそも盗賊なのだ。今回は数が多かっただけで、本来であれば取引をするような相手ではない。
「この話が不首尾に終われば……今後今川領内でサンカ衆がどういう目にあうのか、それとなく話してやると良い」
今が雪で、大軍を動かすのに支障があるだけだ。
冬の内は主要なルートを封鎖して移動を制限し、春になるのを待って山狩りをすれば、相当数を討伐できるだろう。
これまでは対敵国として配備してきた兵を、そのままサンカ衆の討伐に向かわせれば、こちらは国内の厄介ごとが減って良し、相手方は壊滅の危機だ。
むしろどうしてこれまでそうしてこなかったのか、疑問に感じる。
「簡単に言いますけどね、相手は山の民だ。道のないところでも自由に行き来できる。だからこれまで手出ししようがなかったんですよ」
「……本気で言ってるの?」
そろそろ寒くて我慢できなくなってきた。風も冷たいが、足元から這い上がってくる冷気が痛いほどだ。
勝千代はぶるると身を震わせ、首をすくめた。
「二、三人の集団ならともかく、ある程度の規模だったら動きを見張ることぐらい簡単でしょ」
それは敵国への備えとして当たり前にしてきたことのはずだ。
「できないなんて言わないよね?」
「……」
「野盗と思うから厄介なんだよ。敵の尖兵だと考えればいい」
二、三人の小さなグループだったとしても、見つけ次第しらみつぶしにしていけば、そのうちいなくなるはずだ。
「領内の厄介者なら、討伐して感謝されこそすれ、誰も問題にしないはずだよね? まあ、つながっている人がいるなら話は別だけど」
そうだ、いいことを考えた。
捕まえた者たちをそっくりそのまま開拓民として使うのはどうだろう。軍役中の暇なところに見張りを任せ、荒れ地を開拓させるのだ。
あるいは、町や街道、城などの整備要員として使うのは?
もともとが食うに困って野盗に身を落としたというならば、食い扶持を稼げるようにしてやればいい。
「……悪い顔してますね」
「え?」
悪い顔? おかしなことなど考えていなかったが。
二木が長々とため息をつく。
少し考えさせてください、と返事は保留にされた。




