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再会した一朗太少年は、青ざめ、顔色が悪く、体調もすぐれないように見えた。
ただ、以前のような気弱で線の細い少年、という感じではなく、なんといえばいいのだろう、どこか芯のような強さをうかがわせる顔つきになっていた。
彼らは姉の弔いを済ませた後、奈津を連れて駿府へ向かう予定だったらしい。
どうも父岡部殿の回復に見通しが立たないようで、回復したとしても武将としての働きは難しいだろうと本人も思ったらしく、駿府へは当主の隠居と、新たに一朗太殿が跡を継ぐ事を届け出に行くとのことだ。
一朗太殿には丁寧に頭を下げられた。
こちらも、守れなくて申し訳ないと、口に出しては言わなかったが、頭を下げて謝意を伝えた。
彼の表情は硬く、よく眠れていないのか目の下には隈が出来ていた。
予想以上にひどい妹の状態に、衝撃を受けているのかもしれない。
奈津は、いまだに夜中に悲鳴をあげ、いや夜中でなくとも、不用意にだれかが側に来るとパニックを起こして泣き叫ぶ。
典型的なPTSD(心的外傷後ストレス症候群)だと思う。
一朗太殿でも無理なようなので、あえて勝千代は会いに行っていない。
大柄な男である万事や寒月様には恐怖心を抱かないようだから、人間が怖いというよりも、見慣れない相手に過剰に反応してしまうのだろう。
時間をかければ症状は良くなっていくと信じたい。
「駿府へはいつ?」
いくら奈津の状態が悪いとはいえ、当主の交代を報告しないわけにはいかない。
早いうちに行く必要があるだろうと尋ねると、一朗太少年は迷うように唇を引き締め、小さく「わかりません」とつぶやく。
「奈津を置いてはいけません」
兄として、あんな状態の妹から目を離したくないというのは理解できる。
岡部家の大黒柱である父が伏し、長姉と真ん中の弟が死んだ。残る家族を守りたいと思って当然だと思う。
「ですが、早く報告しなければ、岡部家には軍役があるでしょう」
勝千代が気遣いながらもそう尋ねると、一朗太少年は疲れたように目をしばたかせた。
「父の負傷と、雪崩により城が塞がれてしまったことは報告済みです。兵の多くを失ったことも」
今は冬なのでそれほど多くはないが、今川家では定期的に各一門から兵を招集する。
夜盗対策や、灌漑工事や、城の修復などの場合ももちろんあるが、岡部家にとってそれより問題になるのは、他国への遠征や攻め入られた際の守りとしての役割だろう。
そもそも岡部の城は信濃との国境付近にあった。山城というにはしっかりとした造りで、人が多く居住できるほどの規模もあり、麓には、主に城で働く者たちや、城への物資を運んできた者たちのための町が形成されていた。
掛川城のような、行政機能まで兼ね備えた大規模な城ではなかったが、その地域の束ねとなる軍事拠点だったはずだ。
つまり岡部家は、信濃方面の防衛の一端を担っていた。
雪崩とはいえ城を失い、兵士を失うという事は、任されていた仕事を果せなくなった、という意味を持つ。
「若君」
うつむき、悔しそうな表情を隠せない一朗太を気遣うのは、母方の伯父の下村だ。
「……わかっている」
一朗太は小声でそう呟いて、さっと顔を上げる。
彼はまだ若い。十歳をようやく超えるかといったところだ。
それでも、この先は岡部家の当主として、おそらくはすぐにも元服し、大人としてふるまわなければならない。
かつての怯え、気が小さそうだった少年は、それでも彼の精いっぱいの踏ん張りを見せて、勝千代の前で両手をついた。
「本当に色々とご迷惑をおかけしました。父があのような事をしたにもかかわらず、姉と妹を救い出してくれたことに感謝いたします」
だが守れなかった。……こぼれかけたその言葉は、勝千代の喉の奥に引っかかって出て来なかった。
「まだ今川館からの通達はないのですが、おそらく父の隠居の報告に上がった際、あの城を引き渡すように言われると思います」
それは極めて合理的な考えで、おそらくその通りになるだろう。
経験のない、兵も持たない幼い当主に、国境を任せるわけにはいかない。
だが一朗太は、おそらくは下村も、思い違いをしている。
子供はいつまでも子供ではない。
あと何年もしないうちに背も伸び、精進し続ければ岡部の名に相応しい男になれるだろう。
これは終わりではない。
猶予だと思えばいい。
「今川が城の修繕費を払ってくれると思えばいいのです」
勝千代は、あえて明るくそう言った。
「かなりひどく潰されていましたから、国境の防備のために、もう一度新しく、もっと堅牢なものに建て替えてくれるでしょう」
一朗太少年が、意表を突かれたように勝千代を見た。
「修繕が終わるころには、再び岡部家も精強さを取り戻し、勇名をとどろかす日も来ると信じています」
うるっとその目が潤んだ。しっかりしようと思っているのはわかるが、まだたった十の子供なのだ。
「おそらくは、今川館が何がしかのお役目を下さると思います。雌伏の時と思い、御励み下さい」
「……っ、はい!」
とはいえ、戦力にならない子供であれば、任せられる仕事もたいしたものではないだろう。
父親と比べられて悔しい思いもするかもしれない。
残った岡部家の配下のものたちが、そのままついてきてくれるかもわからなかった。
だが、何度も言うが、子供はいつまでも子供ではない。
今全盛期の者たちが年老い、槍を握れなくなる頃、勝千代や一朗太はその代わりを担う世代なのだ。
「何かあればいつでも頼ってください」
一朗太少年の、込み上げてくるものを懸命に抑え込んでいる表情をじっと見つめる。
そうだよな、ほぼ同じ世代、同じ今川家。
この先何度でも顔を合わせるだろうし、時には同じ戦場で戦う事もあるかもしれない。
そう思えば、親しくしておくのも悪い事ではない。
え? オトモダチになろうって言った方がいいの? すごく恥ずかしいんだけど。
勝千代は内心の気恥ずかしさを押し殺し、碁は打つかと聞いてみた。
一重にしては長い睫毛がパシパシと動き、ややあって、こちらの意図をくみ取ってくれたのだろう、一朗太もまた口元をもごもごさせて「はい」と呟く。
寒月様から借りてきた碁盤を囲み、しばらく碁を打ちあい、たわいもない話をした。
何気に、楽しい時間だった。




