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勝千代はしょんぼりとひとりで座り、しおしおと俯いていた。
父は腕組みをして目を怒らせているし、志郎衛門叔父はくどくどと理詰めで巻いてくる。
幼いひとりを囲んで、大柄な大人二人が叱りつけるこの状況は、普通の子供であれば傍目も気にせず号泣していただろう。
勝手に交渉したのはまずかったと思う。
誰とも知れぬ男を部屋にあげたのも、危機管理がなっていなかったと思う。
言い訳はするまい。
勝千代はまだ幼い童子であり、御家を背負っての交渉事をする権利などないのだ。
側にいる主だったものは父の側付きたちで、自身のための臣もいなければ、傅役もいない。護衛の数も少ない。
つまり、まだ福島家の嫡男としての体裁が整ってすらいないのだ。
そんな状態で、他国のものとの折衝をするなどあり得ないし、スタンドプレーもいいところだ。
父と叔父が怒っているのは、勝千代を心配しているからだとわかっている。
相手は海千山千の交渉役だ。うかうかしていたら足元から掬われ、身ぐるみ剥がされていてもおかしくない……と、叔父は言う。
まあ確かに、一筋縄ではいきそうにない人だった。
だが、それほど話が通じない、恐ろしい人には見えなかった、と言えば、また長々と説教が続くのだろう。
「……ごめんなさい」
しょんぼりと俯いて、「反省しています」と全身で表現してみせると、父だけではなく叔父までもが「うっ」と呻いた。
そうっと顔を上げ、上目遣いに様子を見てみると、叔父は仰け反り、父は髭面の口元を押さえて視線を泳がせている。
これはいける! と思ったのは、大人の打算か子供の浅知恵か。
「ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
意図的に長く瞬きをしなかったせいで、うるっと視界が滲んだ。
叔父は何度か咳払いをして、素早く理性を取り戻した。
父はまだ口を押さえて唸っている。
「と、とにかく、この一件の片がつくまで、勝千代殿は部屋からお出にならないように」
そんな。
「おとなしく反省していてください」
まさか厠も駄目とか言わないよな? 樋箱は嫌だ。
「柴垣のことは任せなさい」
いや、横領の件もあるのだけれども。
叔父に相談したいと思っていたし、人払いがされているので絶好の機会ではあったが、今話すと更に怒られる。
火に油を注げば、それこそ強制樋箱の刑になりかねない。
それだけは、それだけは勘弁だった。
さりげなく段蔵あたりに情報のひとつとして投げ込んでもらうしかない。
それにしても、この年にして謹慎処分か。
大人たちが去った室内で、なおもしょんぼりと項垂れる。
兄彦丸を亡くした父が、勝千代を過保護なまでに気にかけているのはわかっていた。
下手をすれば今後一切、危険から遠ざけられる箱入り生活が待っているのかもしれない。
「……はぁ」
がっくりと肩を落としてため息をつく。
やはり四歳児らしく、無垢無邪気なお子様路線を固持するべきだったか。
ふっと視界の端を何かがかすめ、気が付いた時には傍らに弥太郎が座っていた。
今の今までそこにはいなかったのに、瞬きひとつする間に唐突に出現したような感覚だった。忍びの術というやつだろう。
「……随分と叱られましたね」
追い打ちを掛けないでほしい。
ため息をつくと、そっと湯気が立つ小ぶりな湯呑みが置かれた。
「出がらしですが」
先程の、興如へ出した煎茶の残りだろう。
何番煎じでも味のない白湯よりはいい。……かなり渋かったけど。
「書簡をお預かりしております」
ついで、とばかりに差し出されたのは、御台さまから頂いた書簡なみに美しい、和紙で包まれた文だった。
ずいぶんと格式ばった、正式なものに見える。
「父上にお渡ししたほうがいいのではないか」
「若君宛てですので」
こいつ、面白がっているな。
叱られたばかりなので、さすがに前のめりで受け取るのは躊躇われたが、表書きの美しい筆跡に誘われて、思わず手に取っていた。
「興如さまからです」
裏には泗水とある。雅号だな。
男性的でいて端麗なその手は、見ほれるほどに完成度が高い。筆跡は人がらを表すと言われているが、それだけ見れば相当に徳の高い人なのだと思ってしまうだろう。
ただし内容が少し……いや、かなり俗物的だった。
なんだこれ。
父に持って行かせなくてよかった。即座に頭に血が上り、とんでもない事になっていたかもしれない。
呆れた顔を隠せず、広げたまま弥太郎に渡した。
人買いのルートを壊滅させ、売られていった領内の人々を探す協力をする見返りに、本願寺派の新しい寺の建立と、五百貫の寄進が要求されている。
……これはもう、決裂といってもいいのではないか?
「妥当な額だと思いますよ」
え、そうなの?! 寺の建立からして、想像もできない莫大な資金が必要だろうに。
「柴垣家の借金額を考えてください。ほかにも大勢の者が借金を抱えて身売りをしたという形になっています。それを考えれば、多いとは思えませぬ。ただ……」
弥太郎はぎゅっと眉を寄せ、書簡の一部分に険しい目を向けた。
「最後のこの部分、殿がご覧になられたらさぞお怒りでしょう」
「最後?」
「代わりに、若君の身柄と引き換えでもよいというお話です」
「そんなものは冗談だろう」
過剰な装飾語で勝千代の事を称賛したうえで、ご子息を囲碁の相手に本願寺派に貸し出してくれるのなら、そのことに免じて寺の建立も寄付金もいらぬと書いてある。
どう考えてもリップサービス、あるいは冗談の類だろう。
「そういうお話が出ていることをご存じなのではないでしょうか」
「わたしを含め男児を出家させるという例の話か?」
「正式に立候補なされたのでは」
戻って来た書簡を、最初から読み直す。
書道の先生のお手本のような流麗な書体から、言外に含めた何かを読み取ろうとしてみるがわからない。
そして何度読み返してみても、最後の文面は冗談として付け加えられている風にしか見えなかった。
これは勝千代の読解力の問題か?
普通ならわかるものなのか?
「……父上には見せぬほうがよいか?」
「ですが放っておくわけには参りません。正式な返書です」
「うん」
勝千代は困惑しながら更にもう一度文面を精査し、やはりわからぬと匙を投げた。
「叔父上を呼んできてくれぬか」
こういうものは、叔父の職域の気がする。
父に見せる前に、ワンクッション置くのもありだろう。




