~九十三の巻~ 天女
◇◇◇◇
「私はあの日貴女に恋をしたのです。」
「正確に申しますと、貴女が私の上に降って来られた時でしょうか。」
あの折の事を思い出されたのか、くっくっくと楽しそうに笑われて、
「あの時、陽の光の中で私の元に降っていらした貴女を、青い天から舞い降りた天女かと、本気でそう思うたのです。」
「然れど、宴を後にして貴女と過ごした書庫に戻り、落ち着きを取り戻してみますと、己の取った愚かな言動に、今更ながら気付きました。」
「左大臣親子の気位の高さを知らぬ者はおりません。」
「私が斯様な態度を取った事により、何が起こるかは火を見るより明らかです。」
「今頃は既に私の恋わずらいの相手が誰なのか、追求しておるに違いないと思いました。」
「貴女との事は、幸いにも誰にも気付かれてはいなかったと思いましたが、其れでも、もし貴女に何かあったらと思うと、気が気ではありませんでした。」
「己の浅はかさを呪いたくなりました・・・。」
「其の上、この件が貴女の耳にどの様に届くかも、不安になりました。」
「相手が特定されておらぬ現段階では、様々な憶測が勝手に飛び交う事でしょう。」
「其れを貴女が耳にされたら、貴女がどう思われるか・・・。」
「貴女は恐らく誤解なさるに違いありません。」
「何せ、悔しいかな・・・、」
其処で皇子様は一呼吸置くと、微苦笑を浮かべられて、
「貴女は私の事など、眼中にも無かった様ですから・・・。」
冗談めかしてそう仰られると、皇子様は片目を瞑られて、微笑まれた。
「皇子様・・・、」
私はどうお返事申し上げれば良いのか分からず、言葉に詰まってしまうた。
「ああ、良いのですよ、貴女はお気になさらなくて、私が勝手に貴女に懸想しただけなのですから。」
まぁ、少しは気にして戴け無いと、其れは其れで困りものですが・・・ね。
またまた皇子様は茶化して其の様に仰るので、慣れておらぬ私は、本当にお返事に困ってしまう。
「あはははは、貴女は本当に可愛らしい方だ、つい虐めたくなりますから、其の様なお顔は、私以外の者の前では、今後して戴きたく無いですね。」
「?」
私が皇子様の言葉に戸惑うておると、
「はぁ~、全く貴女は・・・、申し上げておる傍から又其の様に可愛らしいお顔をされていらっしゃる。」
「今後は私以外の前では禁止ですよ、貴女を虐めてよいのは私だけですから。」
「み、皇子様ったら、も、もう本当にお許しくださりませ。」
「あはははは、ずっとこうして貴女と過ごしておりたいところですが、残念ながら今は時がありません、続きは又の機会に取っておきましょう。」
「本題に戻しますが、其れ故、私は貴女に正式に婚姻を申し込む事と致しました。」
「本来でしたら時を掛けて、私の事をよく知って戴き、貴女にもご納得して戴いた上で、私の元に来て戴きたかったのですが・・・。」
「然れど、貴女が詰まらぬ噂に惑わされ、私の事を誤解されたらと思うと、其の様に悠長な事を申しておる事が出来なくなりました。」
「更には万が一、私の想い人が貴女だと知られたら、其の事を快く思わぬ輩が良からぬ事をせぬとも限らず、ならばいっその事、正式に貴女に求婚し、婚約してしまうた方が、貴女をお守り出来ると判断致したのです。」




