~七十九の巻~ 羨望
私がセイと共に在れるのは、後ほんの僅かな時・・・。
セイは優しい人だ。
私と離れた後、姉上様のお傍で、姉上様を大切に慈しんで、生涯守うてゆくのだろう。
姉上様が私を羨む要素など何も無い、何も無いのに・・・。
◇◇◇◇
ある時、私は気付いてしまうた。
いえ、恐らくあれは敢えて私に気付かせる為に・・・。
セイが何気なく袂から出した汗拭き用の布巾には、綺麗な青い駿馬の刺繍が施されてあった。
明らかに誰かの手による美しい刺繍。
誰の手による物かは訊かずとも判る。
セイが必ず使う布巾を贈れば、優しいセイが、姉上様が丹精込めて刺繍してくだされた布巾を使わぬ筈が無い。
私はこの冬都に戻り、然すれば二度とセイとは逢えぬというのに、今生では・・・。
然れど同時に私にも、姉上様のお気持ちは手に取るように解る。
其れでも嫌なのだ。
自分の愛しい人が、ほんの僅かな間でも、他の女子と共に在るのが。
一時でも他の女子を想うておるのが。
セイと婚儀を行うたあの日に納得した筈だった封印した私の想い。
今日迄、ただ目を逸らしておっただけなのやもしれぬが、セイの持つたった一枚の布巾で、其の封印に綻びが生じ始めてしまうた事を、私は感じずにはおられなかった。
◇◇◇◇
其れ以来、私の気分は塞ぎがちだった。
日に日にセイとの別れは近づいておるというのに・・・。
セイは屋敷に戻れば姉上様がいらっしゃるのだ。
今ですら既に一緒に暮らしておって・・・。
二人は普段如何様に過ごしておるのだろう?
よく会話をするのだろうか?
食事は家族なのだから当然一緒に取っておるのだろうし・・・。
斯様に詰まらぬ事をうじうじうじうじ考えては、更に気分が塞いでゆく、正に出口が見えぬ悪循環だった。
『何を考えておる?』
私が、手習いをすると申しながら一向に筆が進まぬのを見て、呆れた様にセイが申した。
『まぁお前の事だ、又どうせ詰まらぬ事で悩んでおるのであろう?』
『悩む前に構わぬから私に申してみよ。』
『詰まらぬ事とは!私の気持ちなど何も知らぬのに!』
『余計なお世話でござりまする!』
そっぽを向いた私に、
『ほぉ、余計なお世話とな、其の様な事、申してよいのか?』
『き、きゃあ、な、な、何する、降ろして、降ろしてください、ぶ、無礼な!』
私はセイの肩に担ぎ上げられておった、まるで米俵の様に!
『ほぉ、無礼か、ははは、私を無礼者扱いしたのはお前が初めてぞ、やはり珠とおると新鮮で愉快だわ。』
などと笑いながら、其れでも私を降ろしてはくれず、ずんずん洞窟の奥を目指して歩いて行く。
ふと気付けば、セイの首元からは革紐がちらりと覗いておった。
夫婦の証の指輪だ。
勿論、私も首から下げておる。
其の革紐を指ですくい、手持ちぶさたで何の気なしに指に巻き付けてみる。
途端に何故だか涙がほろりと落ちてきて、丁度革紐を巻き付けた指を濡らした。
すると其の涙の粒が、革紐を伝い、下へ下へと流れゆく。
暫くすると、
どうした事だろう?
セイの胸元がピカッと光ると、一瞬にして其の光が、セイの身体ごと担ぎ上げられておる私迄も包み込んだ。
『泣いておるのか。』
セイが悲しげな声で私の背中をそっと擦った。
『な、泣いてなどおりませぬ、何故私が泣いておるなどと・・・、』
私は又子供扱いされるのが嫌で、急いで目尻を拭うてそう返した。
『私達は魂の夫婦だと申したであろう。』
『私達は互いの感情に引き摺られる。』
『お前が泣けば、私も泣く。』
『えっ?!』
驚いて体を起こしてセイの顔を見ると、頬に一筋の涙が煌めいておった。
『だから言葉にして私に申してみよと申しておる。』
『お前の心に渦巻く暗雲は、私の心にも渦巻いておる。』
『えっ?』
私は逃げ出したくなった。
斯様に醜い心の内が、全部セイに伝わっておったなど、此れ程恥ずかしくて、情けなき事は無い。
もうお仕舞いだ、斯様に嫉妬深く鬱々とした女子など面倒になったに違いない。
セイにはもっと、澄み切った大空の様におおらかな心でセイを包み込む事が出来る・・・、そう、姉上様の様な・・・。
そう思うた途端、またまた涙が、今度はぽろぽろ溢れて止まらなくなった。
『お前は全く人の話を聞いておらぬな、泣いておらず思うておる事を申せ、どうせ私にはもう伝わっておるのだ。』
『わ、私は・・、ひっく・・、セ、セイに、ひっく・・、ふ・・さわ・・しく・・、ひっく・・、な・・い、ひっく・・、』
私は全く子供だ。
セイにいつ迄経っても子供扱いされるのは当然だと思うた。
泣きながら斯様な事を申せば、既に私を疎ましく思うておろうが、優しいセイは私を見捨てる事が出来ぬ。
私は同情で残りの日々を共に過ごして貰えるかもしれぬが、心は既に姉上様と共に在るセイの傍に居れば、益々辛いばかりではなかろうか?
然れど!然れど!其れでもセイの傍に居たいと、もう一人のあさましい心の私が訴える。
己がどんどん醜い女子になってゆくのが嫌で堪らぬのに、其れでも止められぬ。
私がどうにも出来ぬ己の感情に、もうどうしてよいか分からず、ずるいと解っておりながらセイの首にしがみ付くと、
セイは立ち止まって、
『何故初めからそうせぬのだ。』
『全くお前は昔から意地っ張り故、手こずるわ。』
そう申したセイの口調は、呆れながらも、何故か嬉しそうだった。
私が其の言葉に少しだけ勇気づけられて顔を上げると、優しい瞳のセイと目が合うた。
私は我慢出来ず、再びセイの首にしがみついた。




