~七十六の巻~ 尾行
『あの者は何者だ?』
◇◇◇◇
珠が都を離れて早四年。あれも今年で十歳になった。
そろそろ都に連れ戻し、右大臣家の娘として何処に出しても恥ずべき事無き教養と作法を身に付けさせねばならぬ。
遅過ぎるくらいだった。
あの山里に人を差し向けて学ばせてはおるが、やはり都で学ばせておるのに比べれば、全く比べ物にならぬだろう。
珠は望みさえすれば、何れかの皇子様に入内する事も夢では無き、我が右大臣家の息女。
鄙びた娘にならぬ様に、やはり早めに都に戻して教育し直すのが肝要だ。
ましてや離れて暮らして早四年、然も後僅か数年の内には、他家に嫁がせねばならぬ可愛い娘。
私は其の様な事を考え出したら、もう矢も盾もたまらず、暑い盛りではあったが、準備もそこそこに伊勢におる珠の元へ其の事を申し渡しに向かうた。
慌てて出立致したので、予定よりも早く到着した私は、珠が屋敷に居らぬ事を知った。
風矢を付けて、午後は外で過ごしておる事は以前より聞き及んではおったが詳しく尋ねてみると、春野でさえ、何処で何をしておるのか詳しくは把握しておらぬのだという。
『至らぬ事で申し訳ござりませんでした。』
『斯様な鄙びたところ故、反って気を許しておりました。』
そう申して春野は大層恐縮しておったが、私は、今迄私も放任しておったのだから同じ事だと、罪は私にも有ると春野に申して心当たりを尋ねたところ、
『恐らく村外れの森においでかと思われます、以前娘に尋ねた折、其の様に申しておりました。』
◇◇◇◇
先程珠が飛び出してから、昨日春野が申した言葉を頼りに支度をして、数人の供を連れて村外れの森を目指した。
先に行かせた風矢達はとうに見えなくなっており、二人を捜して迷いながら、かなり遅れて、漸く遠くの河原に其れらしき人影を見付けて急ぎ近づいてみると、二人に駆け寄る珠の姿を認めた。
私が更に安堵して其方に行こうとした時、珠に続く男の姿を見た。
『あれは誰だ?』
遠目にはかなり若い男に見える。
身なりから推察するなら地元の何れかの豪族の家人か。
何れにしても、此処からでは判断出来なかったが、このままにはしておけぬ。
考えた末、声を掛けずに様子を伺い、あの者の後をつけて素性を確認する事にした。
◇◇◇◇
珠達が河原を離れて帰路につくと、私は気取られぬ様に距離を取りながら、供の者達を連れて、男の後を追うた。
其の男は村から逆の方向へと歩いて行った。
そして村の中心からかなり外れた、然れど中々趣の有る屋敷に入っていった。
遠目に様子を伺っておると、其の屋敷には家人もそれなりに居るらしく、其の男が入って行くと、皆が其の男に腰を折って迎えの挨拶をしておる様だった。
私は如何したものかと其の場で思案しておったが、直ぐに其の考えは中断させられた。
其の男が外の井戸で顔を洗い、汗を拭きながら身繕いをしておるところに、屋敷の主と思しき男が出て来たのだ。
其の男は若い男に何やら声を掛けておったが、この場からでは其の内容迄は聞き取れない。
然れど、其の様な事は今は問題では無かった。
何故なら・・・、
『右大臣様!あの者は!』
『・・・』
私は己の目を疑った。
信じられぬ。
あの頃に比べ、年相応の風格が出て見違えたが、然れど身間違う筈は無い。
私はあの者を良く知っておるのだから!
何故ならあの者は、私の大切なたった一人の親友・郁馬の乳兄弟であり側近だった男だからだ。
壬生暁房、本人に間違いない。
『右大臣様、如何致しましょう?』
『あの騒乱の折、杳として行方が掴めず、何処かで果てたものとして処理されましたが、まさか斯様なところに潜んでおろうとは。』
『一旦屋敷に戻り、報告を・・・、右大臣様?』
『其の必要は無い。』
『はっ?』
『其の必要は無いと申した。』
『皆にも申し伝える。』
『本日此処で見聞きした事、全て他言無用だ。』
『そう心得よ!』
『もし、この命に従えぬ者在らば、構わぬ、今この場でこの私を斬ってから行け!』
『う、右大臣様・・・。』
『『御意、仰せのままに!』』
『皆、済まぬ・・・。』
『此処からは私一人でよい、皆はこの場に控えておれ。』
『『畏まりました。』』
そして私は話をすべく、其の屋敷に向かうた。




