~六十六の巻~ 洞窟の先
『珠、惚けておる暇はない。』
(はぁ?)
そう申すと同時に、セイは私の左手を取り、引っ張り上げた。
『私達には時が無いと申しておろう。』
(はぁ?)
(全く!セイは女子の気持ちを解さぬのだから!)
何もかも真っ直ぐに口にするセイは、誠実な人なのだとは思うが、初めての恋に漸く気付いたばかりの私には刺激が強過ぎて、先程から心の臓はドキドキ・ドキドキ、顔は火照り通しで、余りの展開の早さに付いてゆけぬ。
顔の火照りを見られたくなくて、手で頬を押さえておると、
『お前に見せておきたき場所があるのだ。』
突然其の様に申すので、
『見せておきたき場所?』
思わず、恥ずかしさも忘れてセイを振り返って見ると、
『ああ。』
そう申して其のまま私の手を引き、歩き出した。
◇◇◇◇
セイに連れて行かれたのは、私達二人の秘密の洞窟だった。
セイは囲炉裏の広間迄来ると、いつもと変わらぬ慣れた手つきで火を起こし、今日は其の火を太目の枝を二本見繕うて更に其方に移して、一本を私に手渡してきた。
『落とさぬ様に気を付けよ、では行くぞ。』
そう申して囲炉裏の火を消すと、私が今迄足を踏み入れた事がなかった、更に続く洞窟の奥へと私を誘った。
暗い道を松明で足元を照らし注意しながらセイの後に続いて行くと、徐々に辺りが湿り気をおびてきた。
ピチャン、ピチャンと其処かしこの壁や天井から水滴が落ちてきている。
道は不思議な事に、あの広間を出てから、緩やかだが上りに転じておった。
『滑る故、足元に気を付けよ。』
セイが前を向いたまま声を掛けてくれた。
『あり・・が・・とう ・・・。』
緩やかな上り坂は、セイの申した通り、油断すると足を取られて滑りそうだったし、普段余り歩き慣れぬ私にとって、特に上り坂は正直辛かった。
(後どれ位掛かるのだろうか。)
真っ直ぐに歩いて来てはおるのだが、途中既に何箇所か、左右に折れる道が存在しており、この洞窟が入口から想像したよりもかなり広いのだという事が判った。
もしも今来た道を一人で戻るように言われたら、果たして戻れるかどうか正直自信は無かった。
セイは既に何度も此処を訪れているからなのか、其れとも私には気付けておらぬ何らかの目印が有るのか、進路に迷いは微塵も無い様だった。
私が不安を感じ始めた時、
『大丈夫か?後僅か故、堪えよ。』
そう励ましてくれた。
其れから二人、暫く無言で歩いておると、程なく水が流れる音が何処からともなく聞こえてくる様になった。
『聞こえるか?川だ。』
この先に川が在る。
セイが一時立ち止まって前方を指差した。
私も足を止めて前方に目を向けると、松明が届く範囲以外は漆黒の闇に包まれておったこの地下道の先に、出口らしき、うっすらと明るくなっておる場所が見える。
『少し急いでも構わぬか?』
『はい、構いませぬ。』
私がしっかり頷いたのを見て微笑むと、私の頭に手を置き、ぽんぽんと二回軽く撫でた後、
『よし、では行くぞ!』
先程迄より幾分早足になって再び歩き始めた。
私はセイが触れた頭に少し手をやると、俯いて後に続いた。
(やはり子供扱いされておる・・・。)
優しく頭を撫でられて嬉しい気持ち、触れられた事が恥ずかしい気持ち、子供扱いされて悲しい気持ち、私の心の中は、色々な気持ちがない交ぜになっておった。
セイは足を速めても、後ろにおる私への気遣いは、決して忘れぬ。
私が遅れておらぬか、絶えず後ろを確認してくれておる。
今思えば初めて出会うたあの日からそうだった。
あの日も私達が苺を採り終えるのを、ただ黙してじっと待ってくれておった。
戻る際には、道を覚えようと周りをきょろきょろ見ておった私に、道標を教えてくれた。
そう、セイはいつ如何なる時も私の事を見て、気に掛けてくれておるのだった。
(これは私の自惚れ?)
(其れとも誰に対しても等しく優しいの?)
そんな取り留めの無い事を考えながら歩いておったら、とうとう、つるりと滑って、前のめりに躓いてしまうた。
『きゃ、』
(いっつうぅ!!!)
掌と膝を思い切りぶつけて、痛みで起き上がれずにおると、
『珠!大事ないか?どこを打った?見せてみよ。』
セイは直ぐに傍に来てそう申すと、私の手を取った。
松明を照らしてよく見ると、私の掌は少し深く擦り剥けて、血が滲み出てきておった。
膝の方もじんじん響いておる。
するとセイは、私が落とした松明を拾い上げると、此れも持てるか?と己の松明と共に私の方に差し出した。
私が意味が解らずに松明を見つめておると、
『二本共持って負ぶされ。』
と私の手に松明を強引に押し付け、背中を私に向けてしゃがみ込んだ。
(えっ、負ぶ?)
(・・・?)
私が余りの恥ずかしさに、辺りを見ておどおどしておると、
『誰も見てなどおらぬ、ほら早くせよ!』
呆れた様にそう申すと、私を手で煽った。
(儘よ!)
私は十にもなって負んぶされるなど、羞恥で穴があったら入って隠れたいと思うたが、よくよく考えたら、既にここは穴の中だったと思い至り、其れならまぁ良いかと無理やり自分に言い聞かせ、セイの肩に抱きついた。
セイの背中は大きくて、そして温かかった・・・。
私を背負うても、セイの歩みは遅くならぬどころか、寧ろ早くなっておった。
先程迄は私に合わせて、あれでもゆっくり歩いてくれておったのだという事は明らかだった。
しっかりとした足取りで坂を登ってゆくセイに、
『重くはありませぬか?』
と一応訊いてみると、
『ああ、たいそう重いな、手が痺れておる、初めてだ、斯様な事は。』
と申すので、
『す、済みませぬ、気付かずに!もう歩けまする。』
慌ててそう申すと、
『あははは、冗談だ、真に受けるな。』
だから珠は面白い。
と笑うておる。
又からかわれたと解り、
『セイはいつもいつも私をからかうて、何が面白いのですか!』
『もうセイとは口をききませぬ!』
と私が膨れておると、
『済まぬ、悪かった、其の様な事、申すな。』
『其れと、前から思うておったが、寧ろお前は瘦せ過ぎだ。』
『きちんと食べておるのか?女子が其れでは良い子が産めぬぞ。』
などと性懲りもなく平気で申してくる。
『あ、赤子など、まだ先でござります。』
私はまだ十なのですよ!
予想外の問答に発展してしまうた会話に、私が口をパクパクさせてあたふたしておる時、私達は漸く出口に差し掛かっておった。




