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~六十三の巻~ 嫉妬

 夜明けと共に笹野が濯ぎを持って来た。


笹野とは、あの大泣きした日から寝所が別になっておった。


元々この屋敷は笹野の実家であるので、当然と言えば当然だが、笹野には笹野の立派な自室が有るので、これを機会に、そちらに戻うたに過ぎず、笹野の母である乳母の春野からも、以前より、そろそろ別々に休むようにと事ある毎に言われておったので、寧ろ其れは自然の流れだった。


『姫様、余りお休みになられておられぬのではありませぬか?お顔の色が今朝も優れませぬし、かなりお疲れのご様子・・・、』


『ええ、結局一睡も出来ず・・・、』


『やはり!然すれば本日は一日お部屋でお休みになられてくださりませ。』


『右大臣様のお話は伺わねばなりませぬが、其れ以外は全て取り止めに致しましょう、其の様に母上にも申しておきまする。』


『ええ、ありがとう。』


其れから、全く食欲など無かったが、気は進まなんだが此れからお父様にお会いせねばならぬし、昨夜から何も食しておらぬので、少しでも何か口に入れよと笹野が申すので、朝餉を取る事にした。


其れで笹野が膳を取りに奥に行くと、直ぐに春野と笹野が並んで二つの膳を運んで来た。


其れを見た瞬間、最初は笹野の膳かと思うたが、其の豪華な膳に、直ぐにそうでは無いと判った。


(お父様の膳だ。)


其れを肯定する様に、


『右大臣様がお見えになられます。』


春野が入室前に私に斯様に告げたので、私は直ぐに立って下座に移った。


二人が膳を並べて退室して程なく、お父様が春野の案内で参られた。


『おはようござります、お父様。』


『昨夜は我が儘申しまして、大変申し訳ござりませんでした。』


私が前に進み出てご挨拶申し上げると、


『おはよう、顔を上げよ、加減は如何だ?』


私が顔を上げると、


『まだ顔色が優れぬ様だが一体如何した?食べられるのか?』


『はい、申し訳ござりませぬ、昨夜余り眠れず・・・、食欲も無いのですが、笹野が何か一口でも口にせよと申すものですから・・・』


『あれ程疲れた様子であったのに眠れなんだと?一体如何した?他は何とも無いのか?医師を参らせたらどうだ?』


『いえ、大事ではありませぬ、然れど、本日は一日部屋にて休ませて戴こうと存じます。』


『真か?ならば良いが、其の様な具合では、都迄戻る旅の道中が心配でならぬ。』


『は?都とは?』


『昨夜も申したであろう、迎えに来たと、共に都に帰るのだ。』


『い・・つ・・・?』


『色々支度もあろうから十日後だ、間に合わぬ物が有るなら、後で送らせるか、都で揃えれば良い。』


『十日?』


『そうだ、然らばそなたは、支度は皆に任せて、一日も早く体を回復させよ。』


其れでは身が保たぬ、と仰るお父様に私は呆然となった。


『何故?何故斯様に急に?何故でござりまするか?』


『そなたももう十歳ぞ、いつまでも斯様に鄙びたところに居っては、嫁の貰い手が見付からぬ。』


『一日も早く都に戻り、右大臣家息女として恥ずかしくない教養と作法を身に付け、皆様にお披露目して、より良い縁談相手を探さねばならぬ。』


『私はまだ十にござります、縁談などと申されましても・・・、』


『直ぐにとは申さぬが、然れど学ぶには時が必要だ、十でも遅いくらいだ。』


『私は!』


(私は?)


(今何を申そうとしたの?)


すると私の頭にセイの顔が浮かんだ。


(珠はまだまだ子供だな。)


斯様に申したセイの声と共に・・・。


そして又姉上様と共に歩いてゆく後ろ姿が・・・。


(あっ・・・、)


其の時だった。


チクッ、チクッ、


まるで胸を針で刺されておる様なチクチクした痛みが繰り返し襲うてくる。


私は痛みを抑えようと胸に手をあてた。


嫌だ!例え姉上様といえど、あの御方は、あの御方は・・・、


あの御方の目、私をご覧になられたあの目には色々な物がないまぜになっておられた。


一見悲しげに見えたけれど、今はっきりと判った。


何故なら今の私の目、二人の姿を思い浮かべておる私の心の目は、きっと昨日の姉上様と同じ目をしておるから・・・。


深い悲しみ、気がおかしくなりそうな程の姉上様への羨望、この気持ちは、この気持ちは嫉妬。


セイが例え姉上様といえど、他の女人(にょにん)と共に歩いてゆくのが私には耐えられぬ。


ましてやあの御方は、血の繋がらぬセイの婚約者。


セイが申した通りだ、私は真に子供だった、こんな状況になって漸く己の気持ちに気付くなんて!


私はすっくと立ち上がると、


『珠?如何した?』


『お父様、食事の途中のご無礼お許しを、お叱りは後でお受け致しまする、然れど珠は、まだ礼儀も知らぬ鄙びた娘でござります故!』


其れだけ申すと、私は何の迷いも無く部屋を飛び出した。


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