~百二十一の巻~花嫁行列
◇◇◇◇
「お父様、お母上様、其れではどうかお体にお気を付けて、息災にお過ごしくださりませ。」
私は名残惜しくも、想いを断ち切る様に、立ち上がり屋敷を後にした。
皇子様、いえ、大海様は、都の外れの緑豊かな地に小さな庵を構え、今は其方に転居なされていらっしゃる。
周囲からは、元皇子様がお住まいになられるには、余りにお寂しい佇まいだと、誰かの思惑で追いやられたのではないか、お気の毒だと様々な噂が立ち上ったが、当の大海様ご本人は一切意に関せず、実際、其の庵を求められたのは大海様ご自身で有らせられ、漸く静かに好きな学問に打ち込めるとたいそうお気に召していらした。
私も何度か足を運んで、部屋を整えたり荷物を先に運び込んだりしておったが、其処はどことなく伊勢の山里にも似た、緩やかに時が流れておる住み心地の良い土地だった。
庵も、私達二人に家人達で密やかに暮らすには丁度良い広さだと私は思うておった。
内裏に近い都の中心部にある右大臣邸から大海様の屋敷迄は、馬で駆けても小半刻程の距離で、決して便は良くないが、恐らく大海様は、世間の目から離れたこの地でひっそりと暮らす事で、私を快く思わぬ方々から守うてくださるお積もりなのだと、私は密かに有り難く感じておった。
◇◇◇◇
花嫁行列は、お父様の先導の下、花嫁に付き添うて嫁ぎ先に入る家人や多種多様な花嫁道具が列なり、かなりの人数ではあったが、元皇子様へ嫁ぐ花嫁としては、決して派手やかなものでは無かった。
お父様は右大臣家の威信にかけた、華やかな行列を演出したがっていらしたが、私達二人の意向を知り、渋々ながらも了承してくだされたので、申し訳ないながらもほっとした。
其の代わりと申しては何だが、先に宣言されていらした通り、私の為に各地より選りすぐりの品々を、持参品としてご準備くだされた。
こうして屋敷を出た私の門出を、街中では多くの民が沿道を埋め尽くして、祝福してくだされた。
街中を外れ、家々も最早疎らな畦道に差し掛かったと思しき頃、喧騒は一切しなくなり、かわりに輿の外から聞こえてくるのは、時折上空を飛んでいく烏の鳴き声くらいだった。
閑かな早春の畦道を、ゆったりと、もうすぐ夫となられる方の元へと進む花嫁行列は、辺りの風景に溶け込み、正にえも言われぬ風情だった・・・。
後少しで、梅の花があちらこちらで綻び始める。
珠は、紅白の可憐な花を思い浮かべて、知らず知らずのうちに目を細めていた。
大海様がお住まいになられていらっしゃる庵にも、庭に梅の木が数本植えられておった。
先日二人で庭に出て、紅白どちらでしょうと話したばかりだった。
其の答えもあと幾日かで判る筈だ。
運が良ければ、花を楽しんだ後には実を採る事も出来るやもしれぬ。
其れは真に些細な楽しみだった。
然れど、珠は漸く気付いたのだ。
此れが生きてゆくという事なのだと・・・。
◇◇◇◇
結納を済ませた後、珠は大海様に伴われて大海様のお母上様が眠られておられる皇家の墓所を訪れた。
其処は都を一望出来る丘陵地で、常に衛兵に護られ、皇族以外の立ち入りは禁止されておる現世から隔絶された場所だった。
私達は見晴らしの良い石段を一段一段登り、丘の上に立つ墓碑を目指した。
毎月のご命日には、此処を必ず訪れておられるという大海様と違い、屋敷の外に出る事の殆ど無い私は、段々と息が上がり始めて、私達の間隔は徐々に開き始めた。
『大丈夫ですか?』
大海様が数段上で立ち止まられて、私を心配そうにお待ちくだされていらっしゃる。
私は必死に足を速めて、漸く大海様に追い付いたが、再び登り始めると、直ぐに又二人の間隔は広がってしまうのだった。
『この辺りで小休止致しましょうか?珠姫には此れからもう少し体力をつけて戴かねばならぬ様ですね。』
大海様は階段の中腹で、へとへとになりながら必死に登り来る私を笑いながら見ていらした。
私が漸く大海様の元に辿り着くと、大海様は懐から布巾を取り出し、其れを当然の様に石段に敷き、どうぞ此方にお掛けくださいと私に示された。
斯様に大切にして戴く事に未だに慣れぬ私は、戸惑いを隠せぬのだが、女人に優しく接するのは男の務めです、と大海様は譲らぬ。
私は恐縮しながら其の布巾の上に座らせて戴いた。
私が腰掛けたのを確認すると、大海様も私の横に並んで腰掛けられ、其れから私達は、私が屋敷から持参した、笹野お手製の美味しい甘粥を二人で戴きながら、のんびりと眼下に広がる素晴らしい景色を堪能しておった。
『実を申しますと母上は、いつの日にか此方の墓所で眠る事を、余り望んではおられぬ様でした。』
『母上は、父上がお出での内裏の側近くに眠りたいと、常々申されておられたのです。』
『おかしいですよね、いずれは父上も此方に参られるのですから・・・。』
『もし母上のご希望を叶えて差し上げたら、父上が此方にお出でになられた際に、別れ別れになってしまわれます。』
『私には未だにそう仰られた母上のお心が、解らぬのです。』
斯様に申されて、大海様は困惑なされておいでのご様子だった。




