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~百十五の巻~ 左大臣様

 「此れは此れは、まさかお気付きとは、つくづく完敗ですかな。」


そう申しながら現れた御仁(ごじん)は、恰幅の良い、禎親様よりかなり年上の、お父様と同年代位の御方だった。


恰幅が良いと申しても、禎親様の様に生活の乱れが見た目に表れておいでという訳では無く、がっしりした体つきに、鋭い視線。


大笑いされておられるのに、お母上様同様、其の目は全く笑うておられなかった。


寧ろ、憎しみの籠もった様な怒りの色を映されて、お母上様を真っ直ぐに見据えながら歩いて来られる。


そして其の後方から家人に挟まれて、風矢が此方(こちら)に連れて来られるのが見えた。


「風矢様!!!」


笹野が其の無事な姿に歓喜の声を上げた。


「ち、父上?!何時からお出でに?」


「愚か者が!!!」


其の瞬間、禎親様に父上と呼ばれた御仁(ごじん)が禎親様に向かうて激怒した。


父上・・・、つまりあの御仁(ごじん)が、噂に聞く、左大臣様なのだろう。


確かに禎親様とは比べようも無い程の存在感と貫禄だった。


左大臣様・・・、政治中枢に在り続ける事に固執し、今は娘である志摩姫様を大海皇子様に入内させようと躍起になられておられると聞く、権力の亡者(もうじゃ)!。


「父上、お騒がせ致し申し訳ござりませぬ!然れど、只今この者達を全員捕えてご覧に入れます故、少々お待ちください!」


「皆の者、早く捕らえ-、」


(たわ)け者!お前はもう()んでおるのが、未だ解らんのか?!」


「だいたい私が来ておる事すら気付いておらぬとは情けない!お前は暫く蟄居(ちっきょ)申し付ける。」


「皆の者、禎親を屋敷に連れ帰り、外に出ぬ様に見張っておれ!」


「はっ!畏まりました。」


「禎親様、此方(こちら)へ。」


「ええい、離せ!」


「父上、父上!何故(なにゆえ)にござりますか?斯様に生意気な女狐共の言いなりになられるなど!」


「其れ以上申す事、許さぬ、由緒ある我が左大臣家の家名に泥を塗る積もりか?早く連れて行け!」


「はっ!」


其れでもわぁわぁ喚いておられる禎親様の姿が漸く見えなくなると、


「お見苦しいところをお目にかけてしまいましたな、大変失礼しました。」


「其の者をお返しせよ!」


左大臣様の号令の下、風矢は離され、


「風矢様!」


と、駆け寄った笹野と抱き合うて、再会を喜んでおった。


お母上様は、其れを確認すると、


「左大臣様、ご子息様には、若干短絡的な傾向がお見受けされますれば、お気を付けになられた方が宜しいかと存じます。」


そう申されると、桔梗屋殿の足労を労い、


「では私共の用は済みました故、此れにて失礼させて戴きます。」


と左大臣様に丁寧にお辞儀をされて帰ろうとなされたのを、


「何時から気付いておられた?」


と左大臣様が呼び止められた。


「初めからにござります。」


「木陰に忍んで人を試すなど、余り良いご趣味とは申せませぬ、貴方様が音に聞こえた香の名手であられる事は、都の貴族なら知らぬ者などおりませぬ、本日の風の向き、其の様な御方が読み違える筈ござりませぬ故。」


「此れは此れは、真に右大臣殿が羨ましくなりましたぞ、貴女の様な方が私の妻でいらしてくだされば、不出来な息子に悩まされる事など、無かったでしょうな。」


「其れはどうでしょう?子は親を映す鏡とも申します。」


「此れは此れは、又一本取られましたか!」


「今宵は潔く身を引きますが、益々本気でお近づきになりたくなりましたな、今からでも間に合うなら、貴女に求婚させて戴きたい位ですが、流石に其れは叶わぬ夢、然すれば、我が不出来な息子に貴女のご息女を是非戴きたい。」


「近い内に、陛下よりお下知(げち)を賜りまして、再度正式に申し入れさせて戴きます、では今宵は此れにて・・・。」


そう不吉な言葉を残されて、左大臣様は屋敷内に戻うて行かれた。



◇◇◇◇


 帰りの牛車の中で、


「珠や、貴女も当然気付いておりましたでしょうね?」


と、お母上様に厳しい目を向けられて尋問された私は、


「い、いえ・・・、香など、全く感じません・・でした・・・、」


と白状させられて、


「柚子、どうやら香の道の講義を、増やさねばならぬ様です。」


「はい、奥方様、ご心配には及びませぬ、先の陛下の皇太子時代に、香の道のご指南をされていらしたという御仁(ごじん)が、未だご健在にて、都の外れで小さな庵を構えて余生を楽しまれておられるとか。」


伝手(つて)がござりますれば、早速明日お伺いしてみまする。」


「其れは重畳。」


「珠や、時が有りませぬ、分かっておりますね!」


お母上様の目がキラリと光られた・・様な・・・、


「はい、お母上様・・・、しっかり励みまする・・・。」


こうして私の講義は更に増えてしまうたのだった。


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