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~百十二の巻~ 追撃

 「珠や、」


「はい、お母上様。」


此方(こちら)の左大臣家ご嫡男・禎親様を名乗る御仁(ごじん)は、一体誰と誰がどうしたと申されておられるのであろうか?」


「はい、お母上様、私も丁度今、其の事につき、思案に暮れておりましたが、全く以て分かりませぬ。」


「やはり、そうでありましたか・・・、」


「禎親様、と名乗られし御方、貴方様は一体誰と誰がどうしたと申されておられるのです?」


次はどう反応なされるかと、期待を込めて、私達皆で禎親様をまじまじと見つめておると、どうやら禎親様にはお母上様の其のお言葉が限界の様だった。


「なっ!何を申す!私は正真正銘、左大臣家嫡男・禎親じゃ!愚弄するのも大概にしろ!お前達のところの家人・風矢とか申す男と、私が世話をしておった女人(にょにん)・小料理屋の弥生だ!!!」


「まぁ、お母上様!其の様な事が世間ではやはりござりますのですか?」


此方(こちら)の御方が真に左大臣家の禎親様であられるのでしたら、未だご正妻をお迎えになられておられませぬ故、咎め立てされる事など、勿論ござりませぬが、其れでも私は!私は!未だに信じられぬ思いにござりまする・・・。()くもご立派なご身分のご聡明な御方が、見境無く市井(しせい)女人(にょにん)に迄お手を付けられておられたなどと・・・、殿方とは皆様そういうものなのでございましょうか?」


世間知らずの貴族の姫君を装うてお母上様に其の様にお尋ねすると、


「ああ、珠や!だからあれ程申したではありませぬか、行ってはならぬと!斯様に下世話な話、貴女の耳にだけは入れたくありませんでしたのに!」


「お母上様!私、私、まさか真に其の様な御方が居られるなど、思うてもおりませんでした故!」


「珠や、貴族と言えど世間には、ま・れ・に、斯様な御仁(ごじん)も居られるのですよ、あっ!勿論、お父上様は違いまする、ご安心なさい、亡くなられた貴女のお母上様と、其れと勿論、私の事だけを、大切にしてくだされておられまする。」


「お母上様!」


私達が手を取り合うて、二人で盛り上がっておると、


「い、いい加減にしろ!」


イライラが頂点に達したらしい禎親様の怒鳴り声が、シンと静まり返った宵闇に響き渡った。


「私は右大臣家の家人の話をしておるのだ!あの女人(にょにん)とは、偶々(たまたま)・・・、偶々(たまたま)・・・、其の・・事故の様なものであったのだが、子が出来たと申す故、男として潔く責任を取った迄の事!然し其の子は私の子では無く、真の父親はあの男だったのだ、私が人が好いのをいい事に、危うく(たぶら)かされるところであったのだぞ!」


「禎親様?貴方様が禎親様で宜しいのですね?」


「ふざけるな!先程からそう申しておろう!」


「失礼致しました、然すれば禎親様、其れ程仰るのでしたら、其の小料理屋の女人(にょにん)とやらに会わせてくださりませ、お相手が居られぬのでは、不義だ、姦通罪だ、などと申されましても話になりませぬ。」


お母上様が変わらず笑みを湛えてそう応じると、初めて禎親様は不安を感じられた様だった。


後ろに控えておった側近を振り返った直後、漸く何かに思い至ったのか、直ぐ様此方(こちら)に目を剥いて向き直ると、


「ま、まさか・・・!」


と呟かれた。


其の時、お母上様の目が、暗闇の中で、まるで猫の如く光った、様な気さえ致した。


お母上様は、変わらずに淑やかな笑みを浮かべたまま、


「如何なさりましたか、禎親様?」


と仰った。


私は其の瞬間、お母上様とは生涯諍いを起こす事無く、仲睦まじく過ごそうと心に誓うた。


禎親様が、再び側近の男を振り返り何か話し掛けようとした丁度其の時、慌ただしく此方(こちら)に向かうて駆けて来る足音が聞こえてきた。


だいぶ暗くなって遠目には分からなかったが、間も無く近づいて来た男には見覚えがあった。


(あれは!!)


顔を見られぬ様に私はさり気なく俯き加減に立ち位置を奥にずれると、笹野もすかさず私の後ろに着いた。


あれは、女人(にょにん)の家に居った見張りの一人だ。


「ご報告させて戴きます。」


此処(ここ)迄走り通しだったのであろう、ハアハア息を弾ませながら、禎親様の(かたわら)に来て片膝を付いたあの見張りは、暗がりでよくは分からなんだが、かなり意気消沈して怯えておる様だった。


何故(なにゆえ)持ち場を離れた?指示する迄離れてはならぬと、あれ程申しておいた筈!」


「も、申し訳ござりませぬ、然れど・・・、」


そう言って周りをチラッと見た見張りは、


「失礼致しまする。」


と立ち上がると、禎親様に近寄り、何事か耳打ちしたのだが、其れを聞いた禎親様の表情は、見る見る般若の形相に変化していった。


そして此方(こちら)を睨み付けると、


「女を、弥生を何処へやった?!」


と叫んだ。


「は?女とは?一体何のお話ですか?如何なされました?」


お母上様が落ち着いた態度を崩さぬのに益々逆上した禎親様は、


「白を切るなら、構わぬ、桔梗屋に訊く迄の事。」


禎親様はこの期に及んで未だ、あくまで主導権は己に在ると思われておられるご様子だ。


「禎親様、女とは、もしや先程から仰せの小料理屋の女人(にょにん)の事にござりまするか?其のご様子から察するところ、何やら行方知れずなのでござりまするか?」


禎親様が此方(こちら)を睨み付けたまま、其れでも事実なので答えに窮しておられると、お母上様はこの機を逃す事無く更なる追い討ちを掛けた。


「まぁ!其れでは、先程も申し上げましたが、ご指摘の姦通罪など立証出来ませぬでしょう、風矢は何処に居りましょうか?そろそろ暗くなって参りました故、早く連れて帰りたいのですが。」


其れを聞いた禎親様は、最早怒り心頭で、


「何を申す!今、桔梗屋を捕らえて此方(こちら)に引っ立てて参る故、其処を動くな!」


と私達に向かい怒鳴ると、


「おい!直ぐに桔梗屋を捕らえて参れ!」


側近の男達に、桔梗屋殿を捕らえてくる様に指示を出した。


「はっ!畏まりました!」


側近の男達が、桔梗屋殿の店に向かおうと走り出そうとしたところで、


「お待ちなさい!!!」


お母上様の此迄伺った事も無い程の鋭いお声が、其れを遮った。


「何故止める?やはり桔梗屋と手を組んで女を隠したな!」


禎親様が、鬼の首を取ったかの如く、勝ち誇ったお声で、私達を(ののし)ったが・・・、


お気の毒に・・・、


お母上様の方が一枚も二枚も上手(うわて)だった。


「其の件は何を仰せか分かりませぬと先程から申し上げておるではありませぬか。」


「私がお引き止め致しましたのは、そうではありませぬ、行く必要が無いと申しておるのです、無駄骨になられます。」


「何を申す!やはり桔梗屋に問い(ただ)されるとボロが出る故、我等に会わせたく無いのだな!」


そして側近達に、


「何をしておる?早く連れて来いと申しておるだろう!!!」


と怒鳴り声を上げた。


以前話に聞いた志摩姫様といい、どうやら左大臣家の方々は皆様、少々ご気性が荒いらしい。


側近達はご機嫌最悪な主にびくびくしながら、桔梗屋に向かうべく慌てて再び駆け出したが、


何故だか直ぐに舞い戻うて来た。


「何をしておる!?私の命がきけぬのか?早く行けと申しておろう!」


「然れど禎親様、其の・・・、」


「一体何だ!」


「桔梗屋殿が此方(こちら)に来られましたが・・・、」


「はぁ?」


「ああ、お見えになられましたか、故に教えて差し上げたのですが・・・、無駄骨だと。」


(お母上・・様?)


(いつの間に?)


(一体、どうなさるお積もりなのですか?)


何も聞かされておらぬ新たな展開に、然しもの私も付いてゆけず、不安に駆られてちらりとお母上様に視線を向けると、


お母上様は再びにっこりと微笑んで、然し、其の目は一切笑うておられず、獲物を狙う獣が如く、禎親様をただ真っ直ぐに見据えていらした。


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