~百九の巻~ 脱出
「風矢の御子では無いと?」
「何を申しておるのです?貴女が風矢に其の様に告白して、育てて欲しいと頼んだのではなかったのですか?」
「お許しください!禎親様より其の子は真は己の子では無いのであろう?事実だと認めねば、この場で、この私を謀った罪で親子共々斬って捨てる、然れど認めれば、此度だけは幼子に免じて許してやると脅されまして・・・、」
「ひ、酷い!」
額を床に擦り付けて震えながら許しを乞う女人に笹野は近寄ると、
「顔を上げてください。」
と其のか細い手に、己の逞しく日焼けした母親の手を重ねた。
「では何故、風矢にわざわざ会いに来て、其の様な事を申したのです?」
「見逃して戴く禎親様からの条件で、御子の父親だと風矢様を丸め込めと・・・、」
「つまり、初めから騙す積もりで風矢の前に姿を現した、そういう事ですね?」
「はい、仰る通りにございます。」
「罪は全て私にございます!罰は如何様にもお受け致します!然れどこの子に罪はございません!どうかこの子だけはお助けくださいませ!」
「弥生様、其れは違います。」
「さ、然れど、この子は何も知らず-、」
「そうではありませぬ、罪は全て禎親様に有ります。」
「えっ?」
「己の利害でしか物事を捉えられず、其れにより邪魔になれば、己の血を分けた御子でさえ切り捨てる、人を人とも思わぬ鬼の所業、断じて許せませぬ!」
「あっ!」
「私達は貴女から、其の言葉を聞きたかったのです、辛い思いをさせて済まぬ事でした、然れどこうでもせねば、真実を聞かせて戴けぬと思い、斯様な荒療治をさせて戴きました・・・。」
「私達は貴女方親子を助けに来たのです。」
「えっ?私達を?」
「そうです、貴女方が置かれている状況は、あくまでも推測でしたが、全て承知しておりました。」
此れをご覧ください、と先程役所で入手してきたばかりの御子の出生届出書の写しを、弥生様に見せた。
「其の御子は四つでは無く、真は三つですね?」
「そ、其れは!」
「其の御子が三つならば風矢の御子という事は有り得ませぬ、風矢が笹野と祝言を挙げて以降如何に過ごして来たかは、誰よりも私達が存じております。」
「弥生様、時が有りませぬ故、最後に一つだけ・・・、風矢も其の事実を承知しておったのです、昨日此方に伺う前に、風矢も役所に立ち寄り、この書類を閲覧しております。」
「其の意味が解りますか?」
「あっ!」
「な、何故私の様な者の為に其処迄してくださるのですか?!嗚呼・・・!お許しください!」
「私達は風矢の思いを引き継ぎます、貴女方を安全な所迄お連れ致します、時が有りませぬ、直ぐに此れに着替えてください。」
私は、私の頼んだ通り忠実に厨房を隅々迄見て回って時間稼ぎをしてくれておった台所方の皆々に、
「話はつきました、道具箱を此方に!」
と声を掛けた。
「「はい!」」
直ぐ様道具箱を此処迄運んで来た下男二人が、子が入れる程の道具箱を担いで此方へやって来た。
「窮屈でしょうが、少しの辛抱です、御子をこの中へ。」
「坊や、驚かせて済みませぬ、私達と一緒に表に行きましょう!ただ、私達が蓋を開ける迄、坊やはこの中で、ジッとしていて欲しいのです、決して声を出してはいけませぬ、私の言う通りに出来ますか?」
「母様もご一緒ですか?」
不安そうに弥生様を見上げた我が子に、
「勿論です、何時迄も、何処迄も私は一緒に居りますよ。」
そう優しく頭を撫でた弥生様は、思うた通り、笹野と何ら変わらぬ、一人の普通の母親だった。
「さぁ、急いでください、怪しまれるといけませぬ。」
御子を道具箱の中に入れると、私は皆に、
「では、行きましょう!弥生様を間に挟んで、出来る限り堂々と!」
と号令を掛けた。




