~百三の巻~ 珠の見解
「お母上様、本日突然お伺いさせて戴きましたのは、折り入ってご相談させて戴きたき火急の案件がござりました故にござります。」
茶菓子を戴いた事で先程迄の緊張がすっかり解れた私と笹野は、視線を交わして互いに完全に己を取り戻せた事を確認すると、改めてお母上様に訪問の意図をお伝えした。
お母上様は、直ぐに柚子に目配せなさると、柚子が、
「若君様におかれましては、次の講義のお時間にござりますれば、ご歓談中誠に恐れ入りまするが、そろそろお部屋にお戻りになられた方が宜しいかと存じまする、楓、若君様をお連れしなさい。」
「母上!嫌です!私も姉上のお力になりたいのです!私にも、何か出来る事はござりませぬか?」
すると間髪を入れずに隼人がお母上様に、斯様に可愛らしい抗議を入れてくだされた。
「隼人、其れはなりませぬ、此度は其のお心のみ頂戴致します。」
「私がまだ幼い故ですか?然れど私は当家の嫡男、父上ご不在の折、私とて当家の為に、何か力に成りたいのです。」
「隼人、ありがとう、知らぬ間にすっかりご立派に成られて、私は其のお気持ちだけで十分です。」
「姉上・・・、」
「隼人、貴方が今すべき事は、少しでも多くを学び、知識を習得し、いずれこのお国、陛下の御為にお役に立てる様に精進する事ですよ。」
「母上!然れど、父上ご不在の折、如何なさるおつもりですか?せめて私にも其のお考えをお聞かせください、私はまだ元服もしておらぬ幼き身なれど、当家の嫡男、父上よりご出立の折、皆を守るのは私の務めと託されております。」
「確かに、隼人ももう十歳・・・、楓、本日ご講義戴く先生に、午後に時間をご調整戴く事が可能か、急ぎ使者を立てよ。」
「母上!」
楓が、畏まりました、と急ぎ席を立ち、部屋から出て行くのをお待ちになっていらしたお母上様は、楓の姿が見えなくなると、私の方を真っ直ぐにご覧になられて、
「では珠、お話を伺いましょう。」
そう申された。
「はい、お母上様、風矢が捕らえられた一件は既にお聞き及びの事と存じまするが、私は此れより、風矢の縁という其の女人の元へ行って参りたく、お許しを戴きに参りました。」
「女人の元へ?」
「はい、此度の全ての発端は其の女人でござります故。」
「笹野、私はまだ子が居りませぬ故、子を思う母親の気持ちというものが、想像でしか解りませぬが、母親とは、己のお腹を痛めた子を、其の様に簡単に手放す事が出来るものなのでしょうか?」
「いいえ、姫様、決して其の様な事はござりませぬ、母親はまだ幼き我が子を、例え一時たりとも、己の目の届かぬ処へ連れて行かれるだけで、心配でおかしくなりそうになりまする、何処か分からぬ場所に連れて行かれたり、ましてや人に渡して二度と会えぬなど、気が狂うてしまうても決しておかしくありませぬ。」
「笹野の申す通りです、私とて同じ思いです。」
「然らば其の女人とて同じ母親、気持ちは同じ筈、故に私は其の女人の母心に賭けてみたう存じまする・・・。」
「と申すと、其の女人は初めから風矢に子を託すつもりなど無かったと?」
「はい、恐らく女人の目的は風矢に父親が己だと認めさせる事のみ、其の後は御子と共に都を離れ、何処か静かに暮らせる地を探すつもりだったのではないでしょうか?」
「では其の女人は、何故其の様な事をしたのです?」
「はい、恐らく禎親様から御子は己の種では無いと難癖を付けられ、このままでは親子共々命の危険が有ると感じた其の女人は、禎親様に従うておる振りをして、都から逃れる機会を狙う事にしたのだと存じます。」
「然れど、禎親様は其の様な女人の思惑等承知されており、其の上で更に利用したのです。」
「子には何の罪もござりませぬが、其の女人に真実を語って戴かねばなりませぬ、故に少々の荒療治もやむを得ぬかと存じまする。」
「其れで?いったい何を致す積もりなのです?」
「はい、其れに伴いまして、何点かご相談させて戴きたき事柄もござりまして参りました。」
「先ず、其の可能性は極めて低いとは存じまするが、真実其の御子が風矢の子であった場合でござりまする、其の場合其の御子は、この右大臣家で責任を持って当家の家人として育ててゆきたいのですが・・・、」
「笹野も其れで良いのですか?」
「はい、真に風矢様の御子なのでしたら、私達夫婦の子と思うて、家人としてお役に立てます様に立派に育てまする。」
「其れならば私は構いませぬ。」
「ありがとうござります。」
「其れと此れから女人に会う際に、口の達者な侍女を、誰か一人お貸し戴きたう存じまする・・・。」
「其れから-、」
「ご歓談中失礼致しまする、ご用事を承りました侍女が、只今戻りまして、珠姫様にお目通りを願い出ておりまする。」
話の途中、先程役所に走らせた侍女が戻うたとの知らせが入った。
此れ程に早う戻るとは、申し付けた以上に、余程急ぎ往復してくれたに違いない。
「構わぬ、通してください。」
「お母上様、少々お待ちくださりませ。」
「珠姫様、只今戻りましてござります。」
「ご苦労様でした、よくぞ此れ程早うに戻うて来てくれました。」
「調べはつきましたか?」
「はい、此方に原本通りに書き写して参りました。」
侍女は其の様に申すと、書き付けを袂から出して、私の方に恭しく差し出した。
私は其の書き付けを広げて思うた通りの結果に満足し、自然と口角が上がっておった。
「其れと、此れは役所の担当者が申しておったのでござりまするが、今朝一番に、風矢様も立ち寄られた由にござります。」




