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ハーレムコンプライアンス  作者: 日曜
一章 大氾濫
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十六話

 きた道を戻ってきた仙太郎たちは、水場を確保すると早々に野営の準備に入る。この後は戦士団と合流するという目的があるのだが、それはこの場所を拠点として行う予定である。おそらくは、戦士団もそう遠くない場所にいると思われるので、合流はそう難しい事ではないだろう。

 時刻は既に夕刻も深く、西の空では混ざり合う茜と群青が、それを見る者の不安を掻き立てている。これから夜。それは、悪しき者どもが跳梁跋扈する時分。

 あまねく人々に、光という恩恵をもたらす太陽が沈む。その恩恵に浴していた人々は、自らを慈しみ、守ってくれていた太陽が沈みゆく事を惜しみ、夜の訪れに浮き足立つ。

 その、どうしようもない不安が、西の空を見る遊牧民たちの顔に浮かんでいた。


「今日はとりあえず、これまでだな」

「だな。帰りはなにもなかったとはいえ、やっぱり疲れたからな」


 仙太郎の言葉に、タルトが頷く。その顔には、隠しきれない疲労の色が窺えたが、声だけは元気溌溂げんきはつらつとした意気に満ちたものであった。


「空元気か?」

「うっせーんだよ! 俺が疲れて意気消沈してたら、みんな不安になんだろうが。空元気だろうと、虚勢だろうと、張れるもんは張っといて損はねぇ!」

「ふふ……」


 今日一日で、タルトは戦士として随分と成長した。腕前はともかく、その心意気と矜持は、なるほど一人前に指がかかる程度には、評価してもいいだろう。

 そんな事を上から目線で考えながら、仙太郎は笑う。


「それに、疲れたところなんか見せらんないもんな、ラピスや娘には」

「なっ!? ち、違うぞ!俺は別に、奥にいいカッコする為に見栄張ってるわけじゃねーんだかんなッ!!」

「ああ、そうだな」

「あ、テメェ! その顔、信じてねーだろ!?」

「信じてるさ。タルトは格好いいな」

「ケッ! 嫌味かっつの!」


 仙太郎にしてみれば、特段嫌味で言ったつもりはなかった。無論、戦士としてタルトが頼りになるかと聞かれれば、仙太郎は即座に否と答えただろう。だが、その仲間を思い、家族を想うタルトの姿に、同じ男として素直に感じ入ったからこそ、こぼれた言葉だった。


「まぁ、なんだ……」


 そこで難しい表情を浮かべてなにかを言いさしたタルト。口籠もり、逡巡する事数秒。


「……今日は、みんながなんでお前を頼るのか、よくわかったよ……」


 タルトとしては、エルミスに釘を刺された手前、言葉を選んで仙太郎に礼を言ったつもりだった。しかし、はたから聞けばそれは、照れ隠しをしているように見えた。そして、それもあながち間違いというわけではなかった。


「そうか。まぁ、こんなもんは、俺がなにかして得たもんじゃない。俺が賞賛されるようなもんでも、持て囃されるようなもんでもない。だから、利用できればそれでいい、くらいに考えとけ」

「うん? お前を利用しろって事か?」

「俺をっていうか、俺の能力をだな。あんなもんに頼りきりになれば、絶対に手痛いしっぺ返しを食らう。だから、どうしてもそれが必要となったら使う。でも、必要のない場合は使わない。そういう意味での利用だ」

「…………」


 押し黙るタルトは、エルミスがどうして自分にあんな事を言ったのか、薄々感じ取り始めていた。

 仙太郎にとっては、まさしく恩恵は利用しているものであった。仙太郎の持論は、努力なくして成果なし。どれだけ才能に恵まれた人物でも、努力をしなければ宝の持ち腐れである。

 だが、仙太郎にもたらされた恩恵は、その理から外れた代物である。だから、必要になるまでは使わない。こんなものに頼りきりになれば、いずれは依存してしまう。依存し、それが当たり前のものとなれば、仙太郎の中のなにかが、決定的に変わってしまう気がした。

 例えば、努力を重ねる意義だとか、心意気が。それは、七つの大罪に数えられる〝怠惰〟そのものであろう。


「それに、あんな化け物である事を許容してしまったら、俺は……」


 仙太郎は口籠もり、背筋に流れる冷たい汗に身を震わせた。

 あんな人知を超越した力が当たり前になったら、いずれ自分は本物の化け物になる。もしかすれば『んちゃ』とか言いながらパトカーをいて遊んだり、なにかの拍子に『ほよよー』とか言いながら惑星を割ってしまいかねない。……ギャグではなく……。


「センタロウ?」

「なんでもない。さて、じゃあタルト、お前も夜に備えて休んでこい」

「夜か……。今夜は文字通り、眠れねー夜になるって事か」

「まぁ、俺とエルミスは、昨日も寝てねーけどな」


 仙太郎、エルミス、タルトの中で、今日はまだ休みを取っていないのは、タルトである。とはいえ、二人に比べれば、タルトの疲労具合は軽いものだ。だからこそ、気持ち的には仙太郎とエルミスを優先して休ませたかったタルトだが、流石に自分でもこのままま不眠不休で夜警に臨めるとは思っていない。

 素直に頷いたタルトは、妻と娘が待つ天幕へと馬を進める。

 初陣を見事に生き残ったタルトは、床につくなり数秒で寝入ってしまう。それは心身の疲労が重なっていた事の証左であり、また、自分ではそれに気付いていなかったという事でもあった。得てして、初陣の兵士というものは、自らのオーバーペースに気付かないものである。そして、いざというときに本領を発揮できないのだ。所謂、肩に力が入りすぎている状態だ。

 仙太郎も、シニアリーグ時代に、そんな後輩を何人か見ていたので、すぐに対処できたのである。


 ●○●


「日中の忙しさが、嘘みたいな静けさだな……」

「そうですね……」


 天空は黒く染め上げられ、所々を煌めく星々で飾り立てる。際立った輝きを以ってその装いを彩っているのは、優しく輝く銀色の月である。まるでネックレスのように、夜空という黒いドレスの中心で映えて煌々と輝く、月の色。静かで落ち着いたその輝きは、この暗闇の夜の中では唯一の寄る辺である。

 仙太郎は虫の鳴き声の中、静かに呟く。答えるのは妻。


「まぁ、日中の忙しさの方が異常だったのですから、当然ですね」

「そうだな。あんな騒ぎの方が、イレギュラーだった……」


『イレギュラー』

 嫌な言葉である。そう思った仙太郎は、静かに渋面を作る。


「とはいえ、油断するわけにはいかない。俺たちの中でまともに戦えるのは、俺とエルミス、あとはタルトだけなんだからな」

「一応、何人かは不寝番がいますが……」

「残念ながら、じーさんや女たちは、そこまでアテにはできない」


 キッパリと言い切る仙太郎。それはある意味、的を射た物言いだった。

 仙太郎、エルミス、タルトの三人とは違い、彼等に求められているのは、牽制として弓を引く事だけである。敵に近付かれないように矢を放ち、いわば障壁としての役割しか求められていない。彼等に戦果を期待するなら、まだタルトを単独で敵にぶつけた方が勝率は高いだろう。

 エルミス程弓術に熟達した女性というのは、そうそういないのである。いたらいたで、男どもの面目は丸潰れなのだが……。


「まぁ、流石に昼間のような事はねーだろうな」

「それはそうでしょうね。なにしろ昼に我々が目撃したのは、伝説の朧月銀狼シルバームーンハティなのですから」

「あんなもん、そうそういてたまるかっての……」


 それを倒した仙太郎ですら、もう一度朧月銀狼(シルバームーンハティ)を相手にしろと言われたら、即座に嫌だと言うだろう。なにせ、仙太郎があれに勝つには、嫌でも肉弾戦にならざるを得ないのだから。


「それに、ここは魔物の領域じゃない。魔物との遭遇は、そこまで高い可能性じゃねえ」

「とはいえ、昼の魔物たちを放置すれば、いずれこの平原に魔物の領域が生まれかねません」

「大丈夫だろ。パテラスに事情を説明すれば、訓練がてら狩ってくれる」

「心配なのは、今回の大氾濫に対処する為に必要とされる時間です」

「ああ、なるほど……」


 たしかに、大氾濫の処理に数年を要するなんて話は、枚挙にいとまがない。ただでさえ遊牧民は、実力はともかく、数が少ないのだ。ローラー作戦のような事はできない。


「だが、時間をかければ淀みが溜まり、魔物が増え、魔物の領域になっちまう」

「はい。そんな事になれば、問題は我等ゾル族だけのものではありません」


 他の氏族、果ては王国や帝国にも問題は波及するだろう。

 魔物の領域とは、淀みが蓄積し、際限なく魔物が発生し、繁殖してしまう場所の事だ。人里離れた山中や密林の中に形成される場合がほとんどであり、放置すればどんどんその範囲は拡大してしまう。平原の近辺では、トゥレラ大森林とグリ山脈の中にいくつか確認されている。

 その中に入り込み、魔物の領域を削るのは危険が大きく、また時間がかかる。淀みと呼ばれる、魔物の持つ瘴気がその土地からなくなるまで、根気強く魔物を倒し続けなければならない。王国や帝国、また公国などでは、そういった役割を担うのは、主に冒険者と呼ばれる魔物の駆除を生業とする傭兵たちだ。

 無論、魔物の領域以外でも、時折魔物が発生する。それを放置してしまえば、やはり淀みの蓄積につながり、魔物の領域が広がってしまう。

 人類と魔物は、そうして生存領域を奪い合って生存競争をしているといっても過言ではない。一度魔物の領域と化してしまった土地は、長い時間周囲に悪影響を及ぼす。だからこそ、その魔物の領域から多くの魔物が溢れる氾濫や大氾濫は、最優先での対処を要求されるのだ。

 その対処には、国を超えた協力が義務付けられている。無論、建前上では、だが。


「つってもまぁ、流石に数日で魔物の領域になるなんて事はない。それまでに、パテラスたちが相手してる群れを片付けちまえば、魔物の処理そのものはそれ程難しくない」

「しかし、対処に手間取り、数ヶ月かかれば……」

「大丈夫だ」


 仙太郎は自信を持って繰り返す。妻の不安を払拭する為、力強く。


「俺が、なんとかしてやる」


 仙太郎にとっては、自分のせいで遊牧民たちの平原に汚点を残すわけにはいかない、という気持ちが大きかった。勿論、エルミスの不安を解消するという、自分本位以外の理由もないではなかったが。


「そう、ですか……。頼る事しかできぬ自分を恥じるばかりですが、どうぞよろしくお願いします」

「エルミスが、わざわざ頭を下げる必要なんてない。これは、俺が決めた事だ」

「はい。ありがとうございます」


 そう言って微笑むエルミスの表情に、一抹の憂いが浮かんでいる事に気付かなかった仙太郎。夜という美しいドレスは、往々にしていろいろなものを隠してしまうものだ。いたずら好きな夜によって、仙太郎はタルトが休息から戻ってくるまで、仮初めの平穏を享受したのであった。

 それは、形はどうあれ、仙太郎にとって嬉しく、愛しく、温かいものであった。


 ●○●


 次の日。

 仙太郎が周囲を警戒し、見回っていたところに、一騎の戦士が訪れた。遊牧民の戦士団の一人である。

 仙太郎は、彼が自分たちを見る表情がとても気になった。まるで驚きから覚めやらないうえ、絶望そのものを見つめるような――驚愕と失望が綯い交ぜとなった顔が。


「センタロウ……。どうして! どうして戻ってきたッ!?」


 戦士は、逃したはずの民たちが、次の日には元の場所にいる事に困惑し、仙太郎を詰問した。それは、心の底から絞り出されたような糾弾だった。

 興奮する彼に、噛んで含めるように説明し、理解を得ようとした。しかし、それでも戦士は首を振る。


「センタロウ、頼む。なにも言わず、元の目的地に皆を導いてくれ……」


 そんな事をすれば、死人がでる。それがわかっていてなお言っているとすれば、彼にはその犠牲を覚悟してなお、そう言わねばならない理由があるという事だ。


「……なにか、あったのか……?」

「……大きな被害があったわけではない……」


 要領を得ない戦士の説明に、仙太郎だけではなくエルミスやタルトも首を傾げる。


「だがそれは、族長が指揮をしたからだ。このままでは、我等に勝利はない……」

「どういう事だよッ!? 俺たちゾル族の戦士団が、負けるってのかッ!? それも、始める前から負けが確定してるなんてあり得ねーだろッ!?」


 気色ばんで戦士に詰め寄るタルトが、がなりたてる。


「落ち着け、タルト。おい、頼む。端的に、重要な部分だけ聞かせてくれ。納得できたら、無理にでもみんなを連れてくからよ」

「ああ……」


 戦士は重々しく、口を開く。


「そっちに朧月銀狼シルバームーンハティがいたように、こっちの群れにもボスが現れた……」

「なッ!?」

「……――」


 声をあげて驚くタルトと、絶句するエルミス。


「しかも、見た事も聞いた事もないような、怖るべき化け物だ……。族長の判断が遅れていたら、多くの新兵たちが死んでいただろう……。おそらく、そちらにいた朧月銀狼シルバームーンハティは……」

「ボス争いに敗れた、敗残兵たち」

「そうだ……」


 仙太郎の声に、戦士は力なく頷いた。

 だとすれば、数が少なかった事にも納得がいく。そしてそれは、彼等遊牧民にとって、さらなる絶望としてもたらされた情報である。群れの大きさは、つまりはボスの力量の差という事。つまり、敵は単純に考えて朧月銀狼シルバームーンハティより、二倍以上強いという事だ。


「……おい」


 静かに紡がれた声に、そこにいた全員は押し黙る。仙太郎のその声には、そんな強制力があった。


「今すぐ、戦士団をこっちに戻せ。そして、民を連れて別の場所に移れ」

「だ、旦那様っ!?」

「エルミス、お前もだ」

「い、嫌ですっ!」

「駄目だ」

「嫌ですっ!! いかに仙太郎と言えど、孤立無援で戦い続ける事などできないはずッ! 私は——」

「駄目だ」

「……ッ」


 なおも言い募ろうとしたエルミスは、しかし仙太郎の有無を言わせない強い声と視線に、言葉を封じられてしまう。


「おい」


 仙太郎はエルミスから視線を外すと、戦士に向き直る。


「選手交代だ」

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