N-048 今日は休日
「お兄ちゃん、この壁はどうして光が滲んでるんだろうね?」
「この模様に仕掛けがあるような気はするんだけど……、俺にも分んないよ」
俺とエルちゃんは、迷宮入口の壁面を飾る複雑な彫刻を見学中だ。
迷宮の数十mは続く壁面は垂直で鏡のように磨かれている。その平面に複雑な紋様が刻まれているのだが、象形文字のようにも、古代の漢字のようにも見えるのだ。
何かの意味が込められているような気が擦るぞ。そして、不思議なことにその文字のような刻み目から光が溢れているように思える。
まぁ、銃と剣に魔法の世界だから、何があってもいいような気もするけど、結果には原因があるはずだ。光の滲みが結果だとしたら、その原因を作っているものはこの文様なのだろうか?
壁面の端は同じように磨かれた平面だが光の滲みは見られない。この紋様の刻み目からのみ光が滲んでいる。
もう1つ、この光は二次的なものであるという考え方もできる。その場合の原因もこの紋様だろう。そして結果は俺がまだ見ることのない何か……。ということになるのかな。
まぁ、どっちにしろ今の俺にはそこまでだ。この世界の俺の知る全ては限られたものでしかない。
フラウと言う名の女性がその謎を教えてくれるかもしれないけど、今は迷宮の奥底にいる筈だ。
だが、いくら連合王国の頂点に立つハンターと言っても、銀レベルと言うことだ。赤、白、青、黒そして銀だから、かなり腕の立つ2人なんだろうけど、大丈夫なんだろうか?
「お兄ちゃん、次ぎは事務所に行ってみようよ!」
「そうだね。時計があるって言ってたし、一度はみておかないとね」
エルちゃんには複雑な紋様としか見えなかったのだろう。退屈してきたみたいだな。
俺はエルちゃんと一緒に事務所に足を運んだ。
事務所は平屋建てのログハウスだ。
雨が降るわけでもないのに屋根が付いている。
そして、結構大きいな。遠くから見てるだけだったが近付いて見ると10m四方はあるぞ。
3段の階段を登ると木製の扉がある。
「こんにちは」と言いながら扉を開けると、中はちょっとしたホールになっていた。
小さなカウンターと3つのテーブル。テーブルには両側にベンチのような椅子が付いている。
そしてテーブルに座っていた数人が俺達に顔を向けている。
「どうした。何か用か?」
「用と言う訳ではないんですが、せっかく迷宮に来たものですからちょっと時計と言うものを見てみたいと……。」
壮年の男の質問に応えると、椅子に座ったまま部屋の一角を指差した。
「あれだ。連合王国からもたらされた物だが、ここでは役に立っている。時間を計るという考えは俺には余り意味が無かったのだが、この場所は夜も昼も判らない。あの時計だけが時の経過を知らせてくれるのだ。短い針が上をむいたら、あの小さな小窓から鳩が出て鳴くのだ。まだだいぶ先になるな」
男の話を聞いてエルちゃんはちょっと残念そうな顔をしている。鳩が見たかったのかな? そして、鳩時計そのものは俺の家のリビングにあった奴と同じデザインだ。
機構は簡単だったが、かなり時間が正確だったのを覚えている。
オヤジの話では、振り子時計は正確だと言っていたが何故だかは教えてくれなかったな。
此処まで似た物がこの世界にあるのは、美月さんが関与してたりするのかな?
「お前達も迷宮に行くのか?」
「はい。昨日行ってきました。まだ白ですから、真中より少し手前で魔物を狩っていました」
「ふむ、それはかなり運が良いぞ。昨日、迷宮に入った青5つよりレベルの低いハンターのチームは6つ。その内、2つが帰って来ない。青1つのチームと白8つのチームなのだが、迷宮1階の手前ならばそれなりに魔物を狩れると思っていたのが裏目に出たようだ。まぁ、こっちに座れ。昨日の狩りの様子を教えて欲しい」
壮年の男が事務所の入口近くにいた俺達に自分のテーブルの前のベンチを指差した。
そこにいた男女は席を立つと隣のテーブルに移動する。
席を空けられたら、座るしかなさそうだな。
とりあえず聞きたいのは俺達の狩りの様子なのだろうから、ここは黙って従うのが良さそうだ。
エルちゃんと顔を見合わせて小さく頷くと、男の前のベンチに腰を下ろす。
お茶のカップを載せたトレイを運んで来た女性が、俺達の前にカップを置くと、男の隣に座って俺達を見詰める。
アイネさん達とは違って静かな感じのする女性だな。
「まぁ、飲んでくれ。それで、昨日の狩りについて……、そうだな。最初の獲物を狩った場所からでいい、教えてくれ」
「そうですね……エルちゃん、昨日の俺達の狩りの道筋を覚えてる?」
「地図がありますか?」
エルちゃんの言葉に、隣のお姉さんがバッグから地図を取り出してテーブルに広げた。
「私達は、入口から伸びる通路を真直ぐに進みました。私達が今入れる区域は真中までです。ですから、この真中付近にある十字路のひとつ手前を左に曲りました」
「俺達の後に続くチームを、俺達の後ろを照らす光球でたまに見掛ける事もできました。100D(30m)位、離れていましたが、この十字路にきた時にはもういなくなっていました」
「どうやら、お前達が一番深くまで行って帰って来たようだな。その奥の区域には2つのチームが入った筈なのだが、まだ帰って来ぬ」
そう言って、パイプを取り出し、席を立って奥へと向かって直ぐに戻ってくる。火を点けに行ったみたいだな。
「そこで、ちょっとした出来事がありました」
「あぁ、それはアイネから聞いた。バリアントの共食いだな。しかし、それによって体が俺達よりも大きくなったとは信じられぬ話だ」
「バリアントにロアルで攻撃しましたが、銃弾は1D(30cm)位のところまでしか入り込みませんでした。そこで2人で【メル】を連発して燃やすことにしたんですが、長い間バリアントを燃やせば他の魔物が寄ってきます。最後はこの銃でバリアントの中心を狙って撃ちました。それでどうにか倒すことができました」
男がフゥーっと煙を吐き出す。
「アイネの話で、バリアントが共食いしていたことは分ったが……、そんな経緯だったのか」
「迷宮の中では人が変わったように慎重に行動するんですが、外に出ると……」
俺の言葉に男が小さく笑う。
「あいつの兄達もそうだったんだ。流石は兄妹、似るものなんだな」
そう言って目を閉じる。
昔を懐かしんでいるんだろう。アイネさん達を逃がすのに懸命に戦って亡くなったアイネさんの兄達は、この男の友達だったんだろうな。
「バリアントの後はこんな風に迷宮内を歩いていました。ですから区域の外には出なかったと思います」
「その後の魔物は何時もの魔物でしたよ。得に変わった様子もありませんでしたし」
俺達が、そんな話をしていると突然ポッポーって、鳩時計の音が鳴り出した。
エルちゃんが席を立って急いで鳩時計の下に行って時計の窓から顔を出す木彫りの鳩を眺めてる。
10回程鳩が鳴くと、小さな扉がパタンと音を立てて閉じた。
エルちゃんは目を見開いて見ていたな。
ちょっとした仕掛けなんだが、初めて見る鳩時計は吃驚すると思うぞ。
「おもしろいだろう。俺にはその仕掛けはいらないと思うのだが、そこがいいという者も多いのだ」
「そうですね。でも、この場所ではこれだけが時間を知る手立てになりますね」
「そうだ。だから、迷宮に入る者はここで時間を確認して、ゆっくり燃える線香を使って迷宮内での時間を知る手立てとするのだ」
そういえばこの世界には時間の概念がある。そしてそれは12時間を2回で1日とする俺の世界の時間単位と変わらない。
これも、美月さんがもたらしたものなのだろうか?
俺達はお茶のお礼を言って事務所を出る。
さて、今度はどこに行こうかな?
◇
◇
◇
迷宮前の広場は結構大きい。隅々まで見てみると結構おもしろいものが置いてある。
1m位の変な彫像はいったい何の姿なんだろう。人のようで人ではない。ひょっとして、人型の魔物、魔人という種族もあるのだろうか?
俺達の暮すネコ族の村へ行く通路の反対側にも洞窟の道は続いている。
こっちは何処へ行くのかと考えていると、エルちゃんが道標を見つけて教えてくれた。
この洞窟は、パラムの廃都近くまで伸びているようだ。パラム陥落の折はさぞかし大勢の者達が此処を通って逃げたに違いない。
今はどうなってるんだろうな。
エルちゃんの故郷だし、一度見ておいたほうが良いのだろうか?
「こっちは止めときな。半日程歩いた所に監視所がある。その先は白ではキツイ魔物が出るぞ」
不意に後ろから声を掛けられた。
振り返ると俺より少し年上のネコ族の男が立っていた。
隣にいる女の子は、エルちゃんより年上だな。恋人なのか、妹なのか迷うところだ。
「前に行ったことがあるにゃ。怖いオジサン達がいっぱいいたにゃ」
「青の上位者と黒の連中だ。こっちに魔物が来ないように見張ってくれてるんだ」
隣の女の子にそう説明している。どうやら、妹のようだな。
仲の良い兄妹のようだ。
「俺達はやっと白だから、無理だね。忠告はありがたく頂くよ」
「俺はレイクと呼ばれてる。こっちは妹のエリルだ。俺達も白だから、たまに会うこともあるだろう」
「俺は、てっちゃんと呼ばれてる。こっちは妹のエルだ。こっちこそよろしくな」
そう挨拶して互いに手を握る。
近くにある手頃の石を椅子代わりに腰を下ろして迷宮での狩りの話を俺達は始めたのだが、エルちゃん達は編み物の話をしているぞ。
レイクの妹も編み物ができるみたいだな。
「バリアントを【メル】で攻撃してるのか……。俺達のチームは5人だけど、【メル】は1人だけだからな。そして【シャイン】や【サフロ】も担当してる。そう簡単に使うことができないな」
レイクが羨ましそうに俺を見た。
「それでも、レイクの方は銃がパレトなんだろう。こっちはロアルだからな」
「それが俺達の利点かもな。前衛の3人がパレトの強装弾を使う。そして2人は何時も散弾を入れてるからな。残りの2人はハンテだ」
ハンテはパレトのバレルが長いタイプだ。たぶん女の子が使ってるんだろう。パレトよりも命中率は高いし、通常弾でもパレト用を使うから威力はある。
色々話してみると、昨日迷宮で俺達の後を付いて来たチームが彼らのチームらしい。許可された区域の中ほどで右に折れたようだ。
「さっき事務所に出向いたら、2つのチームが戻っていないと言っていたぞ」
「それは俺も聞いた。やはり、魔物にやられたんだろうと皆で話していたんだ」
となると、帰ったらアイネさん達と相談しなければな。
少し険悪な状態になっているなら俺達が無理して挑むのはどうかと思うぞ。
ピィー……っと甲高い笛の音が洞窟内の広場に鳴り響く。
「どうやら、何かあったらしいぞ。てっちゃん達も仲間のところに早く戻れ。あれは事務所からの緊急の知らせだ」
その言葉に直ぐに席を立って、エルちゃんを連れて野営地に戻る。レイクも2人で走り始めた。互いに顔が合うと片手を上げて挨拶し健闘を祈る。
「戻って来たにゃ! アイネ姉さんが事務所に行ったにゃ。直ぐに仕度をするにゃ」
マイネさんが俺達2人に指示を出してきたので、装備ベルトを着ける。俺達の装備はこれでいい。ライフルは2丁とも籠に入っているし、槍もその中だ。
いったい何が起こったんだ?
それが分らない内は不安になるな。




