N-032 追っ手
小屋を出て7日目に俺達は峠に到着した。
峠と言っても、此処は山と山の谷間にしか見えない。その谷間が此処からは北に下がっているから峠と言うことになるんだろうか。
まだ雪は降らないが、そろそろ危ない空模様だ。
そして、一旦雪が降れば、此処は誰も通れなくなるだろう。俺達に追っ手が迫っているとは考えにくいが、万が一ということはありえるのだ。
「此処が峠だ。この空模様だと、直ぐに雪がこの峠を閉ざす。そうすればたとえ追っ手が来ようとも俺達を追うことは不可能だ」
「あれが水場にゃ。ちゃんと水筒の水を入れ替えておくにゃ」
レイミーさんが指差した先にはチロチロと流れる小さな流れがあった。
思ったより小さいな。少し補給に時間が掛かりそうだ。
「ここで、昼食を取って直ぐに発つ。少しでも早く此処を発った方が良さそうだ」
「確かに、空模様が怪しいですね。この先の道は険しいのですか?」
「直ぐに森に入る。それ程斜面はきつくは無いが、雪が降れば動きが制限される」
「となれば、もし追っ手がいるのであれば、来るのは……。」
ドォン!
その銃声は南の方向、俺達が上ってきた方向だ。
直ぐに数発の銃声がその後に続いた。
水を汲んでいた女性達が全員俺達を見詰める。
「大丈夫、だいぶ距離がある。水を交換したら直ぐに此処を離れるぞ」
「実際のところは?」
「たぶん、10M(1.5km)は離れていまい。銃声から考えると1分隊、10人の追っ手ということになる」
「近すぎますね。先を急いでも直ぐに追いつかれます」
「どこかで、通り過ぎるのを待つか、さもなければ一戦交えるかだな」
「皆、貴方に従いますよ」
水を汲み終えたエルちゃん達が集まってくる。
不安げな表情で俺達2人を見ているけど、さてどうしたものかな?
「とりあえず先を急ぐ。追っ手との距離はおおよそ10M位だ。今は何かに襲われているようだが、レムナム軍の精鋭だろう。直に俺達を追ってくるはずだ」
エクレムさんは先頭になって峠を降りはじめた。その後をお姉さん達が続き、エルちゃんが行く。俺の直ぐ前にはレイミーさんが歩いている。
殿が俺1人ではちょっと不安を感じたのかな。
降りはじめると直ぐに岩場になってきた。すると、エクレムさんは岩場を東に移動する。横に逸れるってことだな。幸い、足場は岩ばかりだから横に逸れても足跡なんかは残らない。
少し進んだ所で、小休止を取ると、俺の所にエクレムさんが走ってきた。
「お前達は先を急げ。俺は戻って様子を見てくる。この辺りは何度か来ているから、レイミーが休み場所を知っている。そこで待っていてくれ」
俺に、そう告げると来た道を逆に走っていく。
結構速い歩みなんだが、物音1つ立てないで進んでいくのを見ると、流石にネコ族だけの事はあるな。
「こっちにゃ!」
レイミーさんが小声で指示を出す。そして列の先頭になって歩き始めた。
岩場は横に伸びて続いているようだ。
そんな岩場を歩いていると、レイミーさんが突然立止まった。
「此処にゃ。此処でエクレムを待つにゃ」
そう言って、岩の割目に入っていく。人がようやく通れるような岩の割目を抜けると、中はちょっとした岩窟になっている。
風も通らないから結構暖かく感じるな。
「これを使って焚火をするにゃ」
そう言って籠から大きな笊を取り出した。中には炭が沢山入っている。
数個の石を使って小さな炉を作ると、枯れ枝に火を点けてその上に炭を載せる。これで、煙を立たずに火を使えるという訳だ。
小さなポットに水を入れて炉の上に載せてお茶を沸かす。
俺は、少し岩窟を調べてみた。
入口は小さかったが、この場所は結構広い。教室よりも少し狭いぐらいだな。そして奥に洞窟が延びている。
「気が付いたにゃ。あの洞窟は5M(750m)位、伸びてるにゃ。入口を押さえられても、遠くに逃げられるにゃ」
お湯が沸いたところで、皆でお茶を飲む。カップ半分位の僅かなお茶だが、冷え切った体には何よりのご馳走だ。
皆が焚火の回りで一休みし始めたので、俺は背負ってきた籠から、ライフル銃を取り出してカートリッジを詰める。
そして、入口付近の岩陰に隠れて周囲を伺った。
1時間程経った時、エクレムさんが体を低くして走って来るのを見つけた。
直ぐに岩窟の中に入って皆に知らせる。
それを聞いたレイミーさんはポットを炉から外して、炉に岩窟の床に広がっている砂を掛けて炭を消した。
やがて、エクレムさんが岩窟の中に入ってきた。
レイミーさんがポットに残ったお茶をカップに入れて渡している。
エクレムさんも喉が渇いていたらしく、一口にそのお茶を飲み干した。
「レムナム軍の追っ手はイヌ族の連中だ。数は6人に減っている。途中でガトルか何かに襲われたようだ。追っ手の6人中2人が傷を負っていた」
「イヌ族じゃ、横にそれても無駄にゃ。匂いを辿ってやってくるにゃ」
「レムナム軍の中でイヌ族だけで作られた部隊にゃ。血も涙も無い連中にゃ」
「あぁ、どうやら一戦は避けられないぞ」
こうなっては覚悟を決めるしか無さそうだ。
入口を岩窟の中の岩や石を積み上げて塞いだが、結構隙間が開いてるぞ。
レイミーさんは入口から横にずれた場所に改めて炉を築いて大きな鍋を掛けた。夕食のスープを作るのかな?
入口の石積みをしばらく眺めていて、ようやくその意味が理解できた。
追っ手の体を直接狙うのではなく、足を狙うのだ。
入口の壁から銃を低く出して足を狙って撃つ。当れば命は助かるかもしれないが、俺達を再び追い掛けることはできなくなる。
射殺することにはならないから、罪悪感を持たずに銃を撃てる利点もあるな。
俺とエクレムさんはパイプを楽しみながらひたすら追っ手を待つ。
お姉さん達が交替師ながら追っ手の接近を入口の壁際で聞き耳を立てている。本当に猫耳が立ってピコピコと動いているぞ。
「何人やれるかは分らんが、俺とお前で撃つぞ。俺のパレトは散弾を撃てる。そして強装弾だ」
「俺のは散弾ではありませんが、たぶん強装弾より威力はありますよ。そして続けて発射できます」
そんな下打ち合わせをしながらパイプを楽しんでいると、お姉さんが駆け寄ってきた。
「来たにゃ。足音からすると5人にゃ」
「1人脱落したか……。腹をやられていたのがいたな。どれ、てっちゃん行くぞ」
俺達は入口の壁に左右に分かれて待機する。
人がやっと通れる位の入口だ。それが2m程続いてこの岩窟に到達する。
一度に何人来るかだな。纏って来てくれればいいんだけど、精々2人位で偵察ってところだろう。
「だいぶ近付いてきたな。どうやらスープの匂いに気が付いたようだぞ。急に足が速まった」
「俺には何も分りませんが?」
「大丈夫だ。銃のハンマーを起こしておけ、俺の後に続いて撃ってくれ」
俺はエクレムさんに顔を向けて大きく頷いた。そしてM29を取り出して膝に置く。
エクレムさんの言葉でもおれはハンマーを起こさなかった。
この銃はダブルアクションだ。引金を引けばハンマーは自動的に起きる。
外から小石が転がる音が聞こえた。
あれなら俺にも分る。追っ手との距離は50mを切っているのだろう。
エルちゃん達は心配そうに俺達を見ている。
「来るぞ。岩屋の入口付近だ。そしてこの入り口を見つけたのは間違いない……。2人が来るようだ」
エクレムさんがゴロリと床に転がって塞いだ石の下を狙って銃を構える。
ガツン!……ドォン!
追っ手の1人が塞いだ石を何かで叩いた音がした。と同時にエクレムさんが銃を撃った。
ゴロリと寝返りを打つようにエクレムさんが移動する。その空いた位置に素早く俺が転がるとM29を2発撃った。
硝煙で追っ手の足は良く見えなかったが、確かに1発は当ったように思える。
俺が元の位置に戻るとエクレムさんは岩窟の砂を急いで下の穴に押し込み始めた。
「これ位でいいだろう。どれ、少し遅いが昼食にするか」
その一言で、俺達の昼食が始まった。
昼食は携帯食で間に合わせるようだ。硬いビスケットのようなパンをカップに入れてその上に具の入ったスープを入れる。スープが冷める頃にはパンも柔らかくなって食べ易くなる。
決して美味いとは言えないが、腹持ちは良いし、それなりに栄養もあるようだ。
壁際でお茶を飲んでいたお姉さんが駆け寄ってきた。
「2番手が来たみたいにゃ」
お茶を飲んでいた俺は急いで壁に駆け寄った。
聞き耳を立てても良く分からない。
壁際に陣取って皆を見ていると、急いで後片付けを始めてる。
腹は一杯だから、しばらくは動けるな。体も十分休めたしね。
俺の荷物はエルちゃんがしっかりと背負い籠に入れてくれた。あれを背負えば俺の方は準備完了となるわけだ。
炉の方は、レイミーさんが薪を追加している。直ぐに燃え上がったから岩窟が明るくなった。
俺の所に、お姉さんの1人がやってきて、小声で出掛けることを告げて急いで戻っていく。
さて、俺も行こうかと思っていたら、入口の下に詰め込んだ砂が棒で突き出されてきた。
あらかた砂が突き出されようとした時、その穴にマグナムを撃つ。そして素早く砂を下の穴に詰め込んだ。
撃った後でうめき声が聞こえたから、上手く追っ手の1人に当ったのかも知れないな。
そんな事を考えながら急いで籠を担ぐと皆の後を追って洞窟を進んでいく。
少し先に光球が浮かんでいた。
皆がそこで俺を待っているのが分ると、足を速めて皆と合流する。
「この洞窟は1本道だ。だが、足元に気を付けるんだぞ」
先頭を早足で歩くエクレムさんが皆に注意する。
確か、5M(750m)と言っていたよな。20分もしない内に俺達は出口に近付いた。
出口も入口と同じように小さな裂け目になっていた。一人一人俺達はその割目から表に出ると、近くの岩を転がして出口を塞いでおく。
これで、俺達を追ってきても、また元の入口に戻らねばならない。
そして、俺達が出た場所は、一面に雪が降っていた。
まだ、1cmも積もってはいないが、この山間の地だ。直ぐに積もって根雪になってしまうだろう。
「追っ手もこれで追跡を断念せざる得まい。だが、俺達はまだ目的地の半分も来ていない。これからは冬が我等の敵になる」
「厳冬期に移動しなければならなくなる。と言うことですね」
「そうだ。本来ならば小屋で暮す時に野山に寝なければならん。ちょっとしたことで道を誤る。そうすれば同じ場所を延々と歩くことになりかねない」
何か八甲田山の話みたいだな。でも、あれは防寒対策がネックだったようなことを歴史の先生が言っていた。
防寒と雪山の移動用の装備は色々と準備してきたから、少しはマシだろうけど寒波によっては身動き出来なくなるかもしれないな。
「さて、出掛けるか。少しでも早く山を降りなければ危険が増えるだけだ」
俺達が腰を上げたとき、ズン!っという地響きが聞こえてきた。
「爆裂球を使ったようだな。話には聞いていたが……。そうか、あれがレムナム軍がボルテム軍を退けた要因という訳だな」
爆裂球? まだ知らない物だけど、その内分る時が来るんだろう。
今は少しでも早く、この地を去って追っ手から離れなければならない。
雪は段々と強く降りだした。このまま行けば今夜は吹雪になりかねない。
その前に少しでも遠くに行かねばならない。
エルちゃんが俺を不安げに見上げる。
その顔に微笑んで頭を撫でる。そんなことで不安がなくなる訳ではないだろうが、少しは気も休まるだろう。
そうすれば疲れも出ない筈だ。今、ここで休む訳にはいかない。
俺達はひたすら足を前に動かすことだけを考えて進んでいく。




