第53話 敗北
ホテルに着くと急いで部屋に向かい、慌ててドアを閉める。ここならナゾカケも現れないはず。もう二度と会いたくねえな……。
ずっと手を引いてきた高橋の方を振り向くと、赤黒い手は俺の手をずっと握っていて、その手が付いているはずの腕はどこにも見当たらなかった。
「ええ!? え、高橋!? お前なんで手だけなの!?」
「玄司様、開けてください。私の手だけ持って行かないでくださいよ」
「えお前手どうなってんの!? 切り離されてるけど!?」
「私の手はびっくりすると切り離せるんです。そのうちまた生えてくるので安心してください」
「トカゲか! 気持ち悪い体質してんなお前は!」
「それはいいので開けてくださいよ。私今部屋の前でソリティアしながら待ってるんですから」
「ソリティアはしてんのかよ! すぐ暇つぶしすんなお前は!」
「前も言ったじゃないですか。スキマ時間に進められるタスクは進めないと」
「お前の場合それはただの暇つぶしなんだよ! スマホゲームだろ!?」
いやそもそもなんで異世界にスマホゲームがあんのか知らねえけどさ。もう多分高橋の先祖か誰かが持ち込んだんだろ。だとしたら結構な現代人が先祖だけどな。高橋何歳なんだろう。
ドアを開けると、タブレットを操作している高橋の姿があった。
「お前なんでタブレットなんだよ! スマホですらねえの!?」
「ああ、これあれです。i〇adです」
「ちゃんと言うなそんな名前! お前ほんと怒られんぞ!?」
「これで神経衰弱をやるのが最近の楽しみなんすよね」
「ソリティアじゃねえのかよ! 俺ソリティアって聞いてたんだけど!?」
「玄司様。流行というのは常に変化していくものです」
「うるせえよ! お前のマイブームの話じゃねえか! 流行を主語にすんな!」
ほんと何やってんだこいつは……。ていうか誰がA〇ple製品持ち込んだんだよ。一応ファンタジー世界なんだからそんなもん持ち込むのやめとけよバカだな。
高橋のタブレットを取り上げて部屋の中に入れると、俺はベッドに倒れ込んだ。
「ああ! 私のiP〇d丁寧に扱ってくださいよ!」
「うるせえよ! ファンタジー世界のキャラが持つなそんなもん!」
「せっかくベッドに寝転がってYo〇Tube見ようと思ってたんですから、返してくださいよ」
「現代っ子か! 異世界ファンタジーで絶対聞かねえ言葉連発すんなよ!」
「そういう異世界があったっていいじゃないですか。異世界だってブリーチとカラーだけじゃないんですよ」
「お前異世界のこと美容室だと思ってない!? 普通剣と魔法とかだろ!」
「でもイメージする異世界って髪色がカラフルじゃないですか」
「お前あれブリーチカラーでやってると思ってたの!? だとしたら凄腕美容師いすぎだろ!」
「イルミナカラーの人もいましたね」
「嘘つけお前適当に喋んなよ!」
高橋と話しているとツッコミがポンポン出てきて安心するけど、頭の中にあるのはナゾカケのことだ。俺はやっぱりあのナゾカケにツッコミを入れることはできない。ナゾカケがいる限り、俺はコボケ町で救世主になれないんだ。
このままじゃダメだ。頭では分かっているが、体がもう動かない。町にはナゾカケがいる。またツッコミを入れようと町に出たら、ナゾカケに出くわすかもしれない。そう思うと、足が竦んだ。
「そうして俺はいつの間にか高橋のタブレットでゲームにハマり、ひたすらブロッコリーを育てることに集中し始めたのだった」
「お前だから勝手に話進めんなよ! なんで俺ブロッコリー栽培するゲームにハマんなくちゃいけねえんだよ!」
「でも玄司様、楽しいですよこのゲーム。タイトルは『ブロッコリーが如く』です」
「なんかそのブロッコリー裏社会にいたりしない!?」
「裏社会にはいないですが、裏の畑にはいますよ」
「知らねえよ! じゃあただのブロッコリーじゃねえか! ややこしいタイトル付けんな!」
「そんなこと私に言われても困りますよ。別に私がこのゲームを企画したわけじゃないんですから。製作にしか関わってないです」
「ガッツリ関わってんじゃねえか! ならタイトルなんとかできただろ!」
相変わらずマイペースな高橋の相手をしていると、少しだけいつもの俺が戻って来る。でも、ナゾカケのことは頭から消えない。自信も戻って来ない。
やっぱり俺みたいなただのフリーターがひとつの世界を救うなんて、烏滸がましかったんだ。大人しくピアノを弾いてるだけ、それだけで良かったはずなのに、なんでこんなことに……。
そもそも俺はピアニストになりたかっただけ。そのために音大を出て、フリーターとして生活しながらピアノの練習をしてただけなんだ。
あの神様が適当なことしなけりゃ、俺は今もピアノを弾いてるはずだった。なんでこんなことに……。
「玄司様、どうかしたんですか? コモドドラゴンみたいな顔をして」
「俺そんな顔してる!? そんな急に爬虫類になることある!?」
「何があったのか知りませんが、玄司様はこの世界を救う救世主なのです。自信を持って時速20キロで走ってください」
「だから俺コモドドラゴンじゃねえよ! 何に自信持ってんだよ!」
「では私が励ましの読経を」
「誰が元気になんだよそれで! 葬式みたいじゃねえか!」
高橋にツッコミを入れながらも、俺の気力はどんどん失われていく。高橋みたいに分かりやすくボケるやつにしか、俺のツッコミは通用しないのか……。
ダメだ。俺にはもうこれ以上コボケ町に出ることはできない。ナゾカケという存在に、俺は負けたんだ。何が救世主だ。俺なんかに世界を救うことなんて、最初からできやしなかったんだ。
調子に乗ってたな。俺は生き返ることが目的だったはずなのに、救世主だなんだと祭り上げられて、その気になってしまっていた。
もう、やめよう。このホテルにいたら静かに暮らすことはできる。何もかも諦めて、静かにしていよう。
俺はベッドに潜り込み、高橋に顔を見せないようにして目を閉じた。




