65. 逆凪とお呪い
※多少の流血シーンあり
パシ……ドンッ!!
派手な音と光が走り、ルシファーが唇を噛み締めた。目の前に展開した結界がぎしりと歪む。多めの魔力を込めて維持しながら、突き出した右手に伝う血に自嘲が浮かんだ。
正直、ちょっと無理しすぎた。
「陛下っ!?」
後を追って飛び込んだアスタロトが別の結界を展開し、ようやく右手から力を抜く。頬と翼も一部切り裂いた風は収まることなく、竜巻のように森を削った。
これらは逆凪の一種だ。万能に見える魔法には法則があり、魔術や魔法陣はそれを可視化した状態を指す。そして強大な魔力をもつ魔王であっても、理を無視すれば逆凪を食らうのだ。揮う力が大きいほど、逆凪も強くなる。
逆凪を受け止めきった途端、左腕のリリスが大きく息を吸い込んだ。
「うわぁぁあああ、パパぁ」
泣きだしたリリスに驚いて、左腕に抱いた愛し子の姿を確認する。傷ついていないが、右手を裂いた血がすこし飛んでいた。黒衣の袖でふき取ってやりながら、泣きじゃくるリリスを宥める。
「大丈夫だぞ、パパのケガは酷くないし……痛くないぞ」
にっこり笑ってやれば、「ほんとう?」と鼻を啜りながら不安そうに尋ねる。黒髪を撫でて頷けば、ぎゅっと胸元に顔を埋めてしまった。自分が傷つくことは気にならないが、リリスを泣かせた事実が胸に刺さる。
良いことをした筈なのに、すごく後味が悪い。
「本当だ」
「赤いの、痛くない?」
再び尋ねるリリスの目が潤んでいた。他者の感情や痛みを感じられる子に育った事実が素直に嬉しい。黒髪に顔を埋めると痛みも消える気がした。
「いつものお呪いしてくれないか? そうしたら治るよ」
「……とんでけっ! 痛いの、ぜんぶ…とんでけ」
叫んだリリスの声に、自然と表情が和らいだ。
「ありがとう、リリス。もう痛くないぞ」
癖で頬ずりしようとして、血がついているのを思い出す。しかたなく彼女の額や赤くなった眦にキスを落とした。
人族の魔法を封じる魔法陣を展開したアスタロトが、安全を確保してから声をかける。
「ご無事ですか?」
「問題ない」
溜め息をついた魔王ルシファーの姿に、城下町の住人達は愕然とした。純白の髪は乱れ、頬や腕に血が飛んでいる。頬と翼を切り裂いた傷はまだ乾いていなかった。
普段は飄々と敵を片付ける実力者が、こうして傷を負った姿を見せることはない。
「魔王陛下が……?」
ざわめく魔族を他所に、攻撃を仕掛けた女性魔法使いと紺色の髪の青年は舌打ちした。彼らが狙ったのは魔王ではなく、観戦に訪れた城下町の住人達だ。不意打ちで彼らを消し去るつもりで、強力な風魔法を使った。
魔力の高まりに気付いたルシファーが国民の前に立ったのは、自分自身に張られた結界を展開しなければ守護が間に合わないと判断したからだ。
本来は転移を封じる魔法陣の上で転移は使えない。地脈である龍脈により満ちた魔法陣を一時的に停止した影響は、魔王自身へ跳ね返った。これが逆凪だ。魔王自身の力であるため、本人も防ぎようがない。
咄嗟にリリスを庇って前に翳した右手が、代わりに引き裂かれた。もちろんリリスには言えない。
理解しているが同じ状況になれば、ルシファーは民を守るために同じ行動をとるだろう。ちらりと確認した背後の国民の無事に大きな息を吐いた。多少の風でケガ人はいるかもしれないが、重傷者や死者はなさそうだ。
「申し訳ございません、侮りました」
「気にするな」
苦笑いするルシファーの姿に、膝をついて謝罪したアスタロトが身を起こした。
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