1389. 誰も知らない幸せな未来
喉が痛いわ。けほっと咳き込んで、手が届く距離に用意された水を飲む。腰や足が痛いことはなく、それが救いだけど。常に癒しながら抱き潰されたリリスは、最後にルシファーを怒鳴って追い出したのだ。
求められるのは嬉しいけど、限度があるでしょう? もう少し落ち着いて欲しいわ。常々自分が周囲から言われた注意を、平然と夫に適用する。もうすぐ戻ってくるわね。そうしたら、優しく迎え入れて一緒に眠るの。ゆっくりと時間を過ごしたい。
痛む喉を魔法で癒した。魔力って本当に便利だわ。生命力そのものなのね。だからさまざまな事象を起こせるし、誰かを癒したり森を生み出したり出来る。この世界はようやく外部からの干渉を排除したばかり。大切に育てて行く必要があった。ルシファーなら任せても大丈夫だわ。
「……リリス、まだ怒ってるか?」
心配そうに扉の隙間からこちらを窺う純白の魔王は、その肩書きに似合わぬ表情を浮かべていた。泣きそうな子猫……失礼な表現が過り、ふふっと笑う。
「平気よ、さっきはごめんなさい。ルシファーったら休ませてくれないんだもの」
「それは、本当に悪かった。アスタロトやベールにも叱られたし。女性は受け入れる負担が大きいとベルゼビュートにも言われた。ルキフェルに睨まれたのも堪えた。リリスを大切に愛したいのは本当だ」
必死に言葉にしたルシファーに微笑み、ベッドの手前を少し開けて手招く。近づいたけど手が触れない距離で止まったルシファーへ、シーツを捲って誘った。
「一緒に眠りましょう? 少し休息を取りたいの」
「だが」
「ルシファーも一緒がいいわ」
だが隣にいると不安だろう? そう問う声を遮って、一緒がいいと伝える。ルシファーはいつだってそう。暴走することは少ないけど、その後必要以上に反省してしまうの。お母さんの記憶があるから、私はルシファーを誰より知ってるつもりよ。
ぽんぽんと隣を叩いて促せば、おずおずと隣に滑り込んだ。リリスが服を脱ぐよう促し、素肌で抱きしめ合う。
「ほら、温かいじゃない。数日でいいの、このまま過ごしたいわ」
ぐっと変な声がしたが、ルシファーは承諾した。
「魔の森が眠りについたのは、体内にいた異物を排除したからよ。しばらくは安全だわ。ゆっくり、過ごしましょう」
先はずっと長いの。どこまでも一緒に、いつまでも仲良くいるために。互いに譲歩しなくちゃね。先に譲歩したリリスに対し、今はルシファーが譲る。
「愛してる、リリス。魔力尽きるまで、一緒にいよう」
「知ってるわ、私も愛してる」
重すぎるくらいの愛情を受けて育った。あなたを庇った後、私は後悔したのよ。魔の森に還って生まれ直せばいいと思ったのに、世界ごと捧げて蘇らせようとするんだもの。あの時に気づいたわ。魔の森が、どうして私を生み出したのか。
あなたは壊れる寸前だった。コップに水滴が落ちるように、満たされてきた孤独が溢れるところで。その水を飲み干すのが私の役目ね。世界が壊れるからじゃなくて、あなたを守りたい――愛してるわ、ルシファー。
抱き締める腕の中で、美しい純白の髪をひと房握る。幼い頃と同じ仕草で、あの頃より満ちた心で頬を擦り寄せた。
数日後、こっそり外へ出た二人はすぐに見つかり、大公や大公女達に囲まれた。周囲は城に勤める侍従や侍女が集まる。動けない状況になり、ルシファーはぱちんと指を鳴らして転移して逃げた。
「逃げるぞ、リリス」
「外はヤン達が待ってるわよ」
「分かってる! とっておきの場所があるんだ」
隠れ家を口にして脱走した魔王と魔王妃が見つかり、再び祝福の声に囲まれるのはわずか数十分後。
「こらっ! リリスに近づくな!! オレの嫁だぞ」
威嚇するルシファーの姿が目撃された、そんな噂が城下町を駆け巡った。人々はその話に頬を緩め、未来に思いを馳せる。魔王夫妻や大公女夫妻のお子は、いつ頃会えるだろうか。それは……眠る魔の森さえ知らない、幸せな未来。
さあ、ご一緒に!
【魔王様、溺愛しすぎです!】




