1320. 罪人に味方する者はおりません
ミュルミュールは溜め息をつく。小さな嫌がらせはよくあった。大切な苗木の根元に有害な水を流したり、祭りの準備を妨害されたこともある。薄々気づいていたが、やはり彼が犯人だった。その決定的な証拠を目の当たりにして、彼女はアスタロトの提案に頷く。
先代は立派な長だった。彼女の一人息子ウヴァル、ドライアドでは珍しい男だ。彼に才能があったことは不幸の始まりでしかない。彼は世襲制を訴えた。だが、魔族の貴族爵位は実力主義と決まっている。実際、公平に試験は行われ、当時もっとも優れたミュルミュールが選ばれた。彼は納得しなかったが。
「処分はお任せいたします」
長として一族を守るのが彼女の役目。それ以上に、信頼して子宝を預けてくれる魔族の信頼に応えることを重視してきた。どの種族の子で、どんな特性を持っていたとしても、子どもは宝だ。魔族にとって黄金より大切な存在を、脅迫の材料に使った。それは魔王城の重鎮の尾を踏んだも同然で、彼女も庇う気はない。
「ドライアドという種族の長の決断を尊重しましょう」
遠回しに、ドライアドによる手助けがないよう釘を刺す。アスタロトは今回の脅迫状が現実になった場合、協力者がいると睨んでいた。他種族と交流が少ないドライアドの特性を考えれば、協力者もドライアドだろう。もし罪人を庇うドライアドがいれば、一緒に処分すると言い切ったのだ。
ひとつ深呼吸して、ミュルミュールは頷いた。
「もちろんです。我が種族に、罪人に味方する者はおりません」
子どもを盾にする卑劣な者は、ドライアドではない。断言した言霊に敬意を表し、アスタロトは会釈して姿を消した。保育園の準備をしていたミュルミュールは、そのまま床に座り込む。
「何という、愚かなことをしたの……ウヴァル」
庇う余地はない。そんな気になれないほど、ミュルミュールはショックを受けていた。魔王城の前に保育園が出来た時も小さな嫌がらせはあった。他愛ないレベルだったから見逃したのに、これほど大それた脅迫を計画するなんて。
「ミュルミュール先生、どうしたの?」
大公女達と一緒にお飾りを選んだリリスは、そのまま5人と護衛のイポスで散歩をしていた。奥庭の先に抜けたところで、新しい保育園の建物を見つける。
折角だから見物していこうと近寄ったところ、アスタロトと話す彼女がいた。話が終わった途端に顔を両手で覆って座り込むミュルミュールの姿に、リリスは勘違いした。開いていた扉に駆け寄り、首を傾げる。
「アシュタが苛めたの? 意地悪された?」
心配するリリスは幼い頃から変わらない。見た目は成長したが、中身の幼さと純粋さはそのままだった。初めて預けられた日、泣いて魔王を呼んだあの子だわ。瞳の色は赤から金色に変化したが、中身は同じ。書類の紙で手を切った私に治れとお呪いをした。
「平気よ。私は何もされていないわ。それより、ルーシアもいるのね」
「私もいます」
同じ保育園に通ったシトリーも手を挙げる。
「あらあら、大人っぽくなって。見違えちゃったわ」
両手を広げて3人を受け止めたミュルミュールは、穏やかな笑みでレライエとルーサルカに話しかけた。
「大公女の方々ね」
「狐獣人のルーサルカです」
「竜人のレライエだ」
簡単な挨拶だが、作法に従った綺麗な会釈がつけられる。それをミュルミュールが褒めると、慌ててルーシアやシトリーも披露した。リリスもにっこり笑って膝を軽く曲げる。魔王妃として育てられた彼女は、頭を下げることはない立場だった。ゆえに会釈の練習はしないのだ。
卒園後成長した彼女達の様子に目を細めて喜んだミュルミュールは、きっちり覚悟を決めた。同族から罪人が出た。そのことは仕方ない。処分されるウヴァルに同情する者を一族から出してはいけない。可愛い子ども達の笑顔を守るために、間違いは繰り返せない。
昔、小さな悪戯で済んでいる間に私が対処しておけば……入園する子どもへの脅迫などという愚行は防げたのだ。ルーサルカやレライエも抱き寄せて、母親のような笑みで包み込んだ。
「みんな、大切な魔族の子だもの。幸せになってね」
もうすぐ結婚する話は聞いている。だから選んだ言葉に、少女達ははにかんで頷いた。この笑顔を守るのが私の仕事、ウヴァルは間違えたの。もう我が一族ではないわ。




