1186. 心配ならそう言えばいいのに
魔の森から受け取る魔力は、段階的に取り出すことになった。というのも、大量の魔力を返されたルシファーの身が危険との意見が持ち上がったのだ。
「……魔力酔いがこんなに苦しいと思わなかったぞ」
ぼやくルシファーは、熱で赤く染めた頬を自分の手で覆った。息苦しく、体中が痛い。熱に浮かされてぼんやりする頭は働かず、仕事も放り出して横になった。こっそり起き出したところを、アスタロトに見つかって縛り上げられたのは昨夜のことだ。
「そうお思いなら、大人しくしてください」
呆れた態度を隠そうとしないアスタロトが、氷の入った皮袋を頭に乗せた。動けないルシファーに膝枕をするリリスが、くすくすと忍び笑う。朝に一度拘束を解いてもらったのだが、魔法を使った途端に再捕縛された。魔王を縛る魔力の縄はルキフェルのお手製だ。
「どう? 解けないでしょ。僕の傑作なんだ」
嬉しそうなルキフェルは縄の硬さや弾力性の感想を求める。悪気のない彼に八つ当たりも出来ず、ルシファーは溜め息を吐いた。呼吸すら苦しい主君を縛り上げる部下達の脇で、ベルゼビュートが果物を差し入れる。
「これは解熱に効果ありよ。少し酸っぱいけどね」
手際よくベールが果物の皮を剥いていく。その短剣に見覚えがあり、ルシファーが目を凝らした。
「……以前にオレの背中に突き立てたやつか」
「よく覚えておられる。脳は無事のようです」
心配されてるのか、馬鹿にしてるのか。微妙なベールの返答に、ルシファーがゆるゆると首を動かした。もう一度テントの中を見回し、怠さを押して口を開く。
「魔王城が、空じゃないか?」
誰もいない城の管理はどうした。もっともな指摘に、ベルゼビュートがひらりと手を振って返す。
「問題ないわ。森の中で出会ったサタナキアに頼んだし、大公女のルーシアとレライエも送ったもの。外敵はサタナキアと翡翠竜で対処出来るわ」
何だかんだ心配でそばにいたいのね。素直に言えば良いのに、ベルゼ姉さんもアシュタも……みんな意地っ張りなんだから。リリスはそう思いながら、ルシファーの純白の髪を指先で梳いた。うっかり指摘したら、アシュタに攻撃されそう。口止めされたわけではないが、リリスは余計な発言を控えた。
ルシファーが大切に思われているのは、嬉しいこと。リリスは潤んだルシファーの銀の瞳を見つめ、その眦に浮かんだ生理的な涙をハンカチで押さえた。剥き終えた果物を口に押し当てられ、ルシファーが口を開く。放り込まれた果実は柑橘系で、酸味が強かった。顔を顰めながらも、水分補給のために飲み込む。
「もっと甘いのはないのか」
いつもと違い掠れた声で、文句を絞り出す。魔王の尖った唇を指で押し戻すリリスは楽しそうだった。
「今のセリフ、聞き覚えがあるわ」
「まだ子どもだったルシファー様に、あなたお手製の真っ黒な焼き菓子を献上した時でしたね」
ベルゼビュートの疑問に、アスタロトが黒歴史を公開する。苦いと文句を言った後、もっと甘いのを持ってこいと言われた。この記憶はベールが共有しないものだった。
「そんな炭を食べさせたのですか」
眉を顰めるベールに慌てたベルゼビュートが両手を振る。
「炭じゃないし、覚えてないわ」
「嘘はいけません」
炭じゃないと言うなら、覚えてないは嘘になる。本当に覚えていないなら、炭じゃないと断定するのはおかしかった。墓穴を掘ったベルゼビュートに、アスタロトが書類を押し付ける。
「いやよっ! 書類は嫌」
「20枚ほどですから、片付けてください。この状態のルシファー様に書かせる気ですか」
そう言われると断れない。しょんぼりしながらペンを手に取ったベルゼビュートは、解読するのがギリギリの汚い署名を始めた。
「あら、眠っちゃったわ」
目を閉じたルシファーの吐息を数えていたリリスが、そっと額から頬まで手を滑らせながら呟く。顔を見合わせたルキフェルとベールが音もなく外へ、後を追うようにベルゼビュートが魔法陣で回収された。一礼してテントを出るアスタロトが、音や気配を遮断する結界をテントに重ねる。
「2枚でこれでは、しばらく魔王城の勤務体制を変える必要がありますね」
対策を練るため、アスタロトはルキフェル達が入った別のテントに足を踏み入れた。




