1180. 心配させたみたい
ぼんやりと明るい。母という存在を認識したことはないが、生み出したのが母ならば森のことだろう。リリスは生まれたままの身軽な姿で、するりと外へ出た。途端に頭の先からばさりとタオルに包まれる。驚いて動きを止めた彼女はくるりと巻かれて、慣れた腕の中に納まっていた。
「ルシファー?」
「そうだよ」
泣いてるのかしら。そう思うほど落ち込んだ声に、もそもそと頭を外へ出した。ルシファーが別の布を頭にかける。いまは動いたらダメなのね。察したリリスはじっと抱き締められていた。抱き寄せたルシファーの鼓動だけが聞こえる。
ちらりと見えたのは、テントらしき屋根。私が入ってからどのくらい経ったのかしら。リリスは暢気に考えながら、目を閉じた。やだ、眠ってしまいそう。しっかりと抱き締める腕の中で、温かくて鼓動の音がして……徐々に目蓋が重くなってきた。ぐったりと力を抜いたリリスは、小さな声でルシファーを呼ぶ。
「ルシファー」
「どうした、リリス」
答えはしっかりしてるのに、やっぱり泣いてるんじゃない? もう一度頭を振って顔を出すと、今度はばっちり目が合った。見開くルシファーの銀の瞳、目元が少し赤いわ。顔色も悪いみたい。
「具合が悪いの?」
「いいや」
即答するのね。短く返すなんて、ルシファーらしくないわ。リリスは気づいていなかったが、彼女が森の大木の中に消えて出て来るまで、3日経過していた。その間、あまりに憔悴した魔王を心配し、様々な精霊や魔族が駆け付けてリリスを呼び出そうと試みたのだが……どれも徒労に終わっている。
タオル片手に睡眠も食事も拒否し続けたルシファーが、多少お疲れ気味なのも当然だった。また失われたかと心配し、何か嫌われることをしたのかと嘆き、アスタロトやベールがいくら活を入れても効果がない。ベルゼビュートが慰め、ルキフェルも励ましたが、まったく聞いていなかった。
このままでは「魔王をやめて木になる」と言い出しかねない。そんな非常識な心配が始まる頃、ようやくリリスが出てきたのだ。外の時間経過を知らないリリスはきょとんとしているが、魔族存亡の危機になりかねない騒動が起きていた。
「よかった、無事、で……」
心底安心したと頬を擦り寄せるルシファーに、リリスは事情を把握していないまでも心配させたことは理解した。もぞもぞと両手を出して、ルシファーを抱き締め返す。よく見るとテントは屋根だけではなく、壁や床部分もあった。柔らかな動物の毛皮が敷き詰められた床に、ヴラゴが転がっている。
疲れているのか起きる様子のないヴラゴから視線を上げると、テントの入り口と思われる部分に、大公と大公女勢ぞろいで首を覗かせていた。ちょっと怖いわね。大公女達は目を潤ませて鼻を啜る者も出る。なんか、すごく悪いことをした気分だわ。
困惑するリリスの視界から、最初に脱落したのはルーシアだった。心配して駆けつけた婚約者ジンに回収される。次にアムドゥスキアスに促されたレライエが引っ込み、シトリーが兄に引きずられて退場した。残るルーサルカは、義父のアスタロトに説得され、アベルに連れられて近くのテントに移動する。
ベルゼビュートはにやにやと楽しそうで、ルキフェルは目元をごしごし擦る。眠くなった養い子に気づいたベールが、ルキフェルを連れて離脱した。徐々に減っていく人数を数えている間に、ベルゼビュートがアスタロトに蹴飛ばされる。それから「ごゆっくり」と意味深な言葉を残して、彼自身も姿を消してしまった。
何だったのかしら。
「ルシファー、事情を教えて」
「リリスこそ……っ、う……」
ついに泣かせてしまったわ。困ったけど、こういうの可愛いわね。年上なのに、そう思うの。リリスは穏やかな気持ちでルシファーの背中を撫で、彼が顔を埋めた首筋に垂れる涙を数えた。
「ごめんなさい。心配させたわ」
それだけは事実みたい。そう謝ったリリスは、座り込んで動かないルシファーが落ち着くまで、しばらく抱き締められていた。




