1109. 実験と手料理の天秤
アベルの話では、偽物は鏡に映らないという。それは異世界の常識だと言われ、彼の話を聞くために階下に降りた。だが見つからず、代わりにアンナとすれ違う。
「アンナ、悪いんだが話を聞きたい」
「え? いいですけど。お買い物間に合わなくなるので、手短にお願いしますね」
若いのに、もう熟練の主婦のようなセリフが返ってきた。ルシファーから見たら、親鳥のフリをする卵のようで微笑ましい。リリスが「お買い物行くの?」と目を輝かせた。
「リリスが期待してるお買い物じゃないぞ。食料品のことだろう」
「そうです。夕飯を作るので」
にっこり笑ったアンナに、リリスが尊敬の眼差しを向けた。リリスが作れるのは、焼き菓子数種類とプリンのみだ。多少のアレンジは可能だが、彼女の料理は爆発率が高いため、台所を預かる料理人イフリートの許可が必要だった。
「素敵! ねえ、ルシファー。私も作りたいわ」
「……イフリートの許可が出たらな」
話を微妙なところで打ち切る。アンナの帰宅を妨げているので、こちらを先に尋ねてしまいたかった。ルシファーを見て、そわそわする兵士が数人いるが……まさかいきなり攻撃はされないだろう。魔王が魔王城の中庭で攻撃される心配をするなんてな。
「異世界の常識らしいが、本物と偽物がいる場合に偽物は鏡に映らないのか?」
「……誰に聞きました?」
問い返されてしまった。答えようとして誤魔化そうと思ってしまう。もしかして、アベルの知識が間違っていて……いや、逆にアンナが鏡に映らない偽物だったり? ホラーな展開が浮かんだのは、数日前に読んだ創作本のせいだろう。
「アベルだが」
「ちょっと違いますが、ほとんど合ってます。吸血鬼に適用される神話? じゃなくて御伽噺……都市伝説? うーん、そんな感じでした。向こうの世界で教会には銀製の鏡がありまして。銀を嫌う吸血鬼が触ると火傷するし、姿も映らないという話があったんです」
唸りながらも説明したアンナは、一礼して去っていった。お礼を言って見送ったルシファーは、眉を寄せる。銀製の鏡なんてあったか? いや、作れるが。それを吸血鬼……すなわちアスタロトに押し付けると火傷する?
「ルキフェル、ルキフェル!」
召喚の響きで呼んだため、ルキフェルは欠伸をしながら白衣のまま姿を見せた。水色の髪をぐしゃりと乱しながら、じとっとルシファーを睨む。
「何? くだらない話だったら……」
「銀製の鏡を作ってくれ」
そこからアンナに聞いた話を手短に繰り返すと、ルキフェルの青い瞳がキラキラ輝いた。真剣に話を聞いたあと、大きく頷く。顔を突き合わせる2人の横で、リリスは首を傾げていた。
「出来たらすぐに持っていく」
「頼んだぞ」
悪巧みをする子どものような2人は、にこやかに別れた。腕を組んだリリスは、笑顔で強請る。
「お料理がしたいわ。ルシファーに手料理を食べてもらいたいのよ」
「イフリートが、なぁ」
大事な仕事場が爆発するたびに、飛び込んでくるし。書類や予算の配分もあるから、そう何度も爆発させられると困る。そもそも、なぜ爆発するのか解明出来ていなかった。
「ルシファーを思って作った料理を、あーんで食べさせるの。番っぽいでしょ?」
「ああ、うん。そうなんだが」
煮え切らない返事に、リリスは笑顔で脅迫にかかった。
「さっきの鏡の話、アシュタに……」
「わかった! すぐにイフリートの許可を得よう。リリスの手料理、楽しみだな」
「良かった、わかってくれて」
魔王と魔王妃の恐ろしい相談は、侍従のコボルト達の耳に入っていた。だが……触らぬ魔王に祟りなし。危険を冒して吸血鬼王や魔王に逆らうこともあるまい。何かあれば、彼らが責任をとってくれるのだ。
聞かないフリ、見なかったフリで口を閉ざすのが最も賢い生き方だった。




