1088. 涙脆い風物詩
誰も呼ばなくていいと言ったのに、呼ばれてしまったベルゼビュート。大公の地位は貴族の頂点だし、彼女も辺境周りで忙しいはずだが。
溜め息をついたルシファーは、仲裁に入った。事件は解決しているのに、新しい騒動を起こされては堪らない。何より一度滅びかけたせいか、この若者は祖父のプルソンと違った。他者の話を聞く余裕がある。
手短に事情を説明し、ベルゼビュートに剣を納めさせた。彼女の登場にリリスがいち早く気づけたのは、空中に滲んだ魔力の色だという。転移を使う先に、転移先に魔力が先に現れる現象を可視したのなら、驚くべきことだった。
転移はどこに誰が飛んだのか。現れるまで分からないのが強みだ。それを直前とはいえ、色で見分ける能力は賞賛に値する。ルキフェルあたりが研究と称して、分析したがるだろう。
「あの、すみませんでした」
「いや、構わぬ。名を聞いても良いか?」
報復したり後で罪に問う気はないが、この場で「若者」や「青年」と呼称するのは無理がある。その上「半鱗族」と呼べば、周囲に勘違いされるだろう。魔王に弓引いた一族として記憶されるのも気の毒だった。
気遣いに頷いた青年は「プルフラス」と短く名乗る。頷いたルシファーは、目の前の屋台の店主達に声をかけた。
「騒がせて悪かった。誤解があったようだ。商売の邪魔をした詫びに、在庫をすべて買い取ろう。民に無料で振る舞ってくれ」
今日の販売分として仕入れた在庫をすべて買い取る。その話に、わっと店主達が盛り上がった。ちまちまと焼いていた網の上に大量の肉や魚が乗せられる。手招きして子供達を呼び寄せ、好きな物を食べるように伝えた。
リリスや大公女3人も積極的に動いてくれたお陰で、あっという間に屋台の前が人だかりで見えなくなる。こっそり屋台の裏に回り込んだリリスは、手際良く魚や肉を貰い受けた。
「ほら、食べて」
プルフラスに串焼きを差し出す。紙袋に詰め込んだ串を、おずおずとプルフラスは引き抜いた。大きな肉串を見ていると、リリスは笑いかける。
「冷めちゃうわ」
「でも」
「リリスの好意だ、受け取っておいてくれ」
ルシファーが歩み寄って声をかけた。身構える様子のない彼と違い、肉を頬張りながらもベルゼビュートはプルフラスを睨んでいた。その視線を遮る形で、イポスはリリスの斜め後ろに立つ。
「はい、イポスも」
「ありがとうございます」
彼女相手の時は「仕事だから」と断っても聞いてくれない。付き合いが長くなって理解したイポスは素直に1本抜いた。こちらは魚の丸焼きだ。両手を使って食べる羽目になり、イポスは苦笑した。
「ガープとはどこで知り合った?」
「向こうから訪ねてきたのです。母は俺を生んですぐに亡くなったそうです。そのため一族の話を誰からも聞いたことがなくて。叔母もあまり教えずに亡くなりましたし……」
「そうか。気遣ってやれなくて悪かった」
ルシファーの言葉に、プルフラスは目を忙しなく瞬いた。不覚にも泣きそうだ。それを抑えて肉に齧り付く。
「うっ……」
なぜかルシファーの後ろにいたベルゼビュートが、代わりに涙を溢していた。化粧が溶けるぞと注意しかけて、リリスが慌てて人差し指を唇に当てる。余計なことを言うなと伝えるゼスチャーは、魔王に届いた。慌てて口を噤む。
可哀想、なんて酷いことをする奴がいるの――肉や魚を頬張った口で文句を言い、ぼろぼろと涙を流す。女大公ベルゼビュートの姿に、民は大して驚かなかった。涙もろく情に弱い。彼女の性質は民に快く受け入れられていた。敵と睨んだ相手に同情する姿は、いつもの風物詩に近い。
「またベルゼビュート様が泣いてるよ」
「あの方は涙脆いからね」
店主達は新しく焼けた串を手渡しながら、微笑ましく見守った。




