1075. お風呂に入りたいの
温泉がメインの屋敷で、お湯が出なければ価値がない。デカラビア子爵家への連絡と確認は、シトリーが向かうことになった。婚約者の実家なので、最適の人選だ。
「悪いけれど、お願いね」
お風呂に入りたいリリスは、両手をしっかり握ってシトリーにお願いする。にっこり笑った銀髪の少女は、握り返しながら頷いた。力強い了承に、リリスは安心して振り返る。
火口へ向かうため、炎に耐性がない種族はお留守番だった。今回だとヤン、イポスの護衛コンビである。イポスは火傷しても同行すると願い出たが、今回は諦めざるを得なかった。
「私がリリス姫とルシファー様の護衛をしますから」
大公アスタロトにそう言われては、残るしかない。無理に同行すると言えば、彼では実力不足だと罵るのと同じ。仕方なく屋敷の警護に同意した。気の毒に思ったのか、リリスがルシファーに耳打ちする。肩をすくめたルシファーが、直した寝室に荷物を並べ始めた。
「ここに荷物を置いていく。装飾品もあるから、しっかり守ってくれ」
リリスの気遣いに、イポスが泣き笑いの顔で頷いた。それを見るなり、シトリーとレライエも収納から荷物を出して部屋にしまう。彼女らの場合、荷物を収納に入れていると、魔力を消費する。少しでも身軽な方が都合がよかった。ヤンの柔らかな毛皮を撫でて、荷物の見張りをお願いする。満足げに鼻を鳴らすフェンリルは、部屋と部屋を繋ぐ廊下の真ん中に陣取った。
「私も置いていきましょう」
収納の容量はほぼ無限大の魔王と大公だが、この状況で自分だけ荷物を出さずに行くのは気が引ける。まるで残る護衛を信用していないように見えるだろう。いくつか服と装飾品、書類入れの箱を部屋に入れた。
ここで準備完了だ。シトリーは一足先に空へ舞い上がった。デカラビア子爵家までは、そう遠くない。鳥人族の翼ならば、15分あれば到着するだろう。事情を説明して合流するまでに、火口の状態を確認するつもりのルシファーが魔法陣を描いた。
「行くぞ」
レライエは火属性、翡翠竜は風属性だが竜種は炎に強い耐性がある。アスタロトの心配は不要だし、ルシファーとリリスは言うまでもなかった。ピヨとアラエルは先に火口へ向かっている。
瞬きの時間で火口付近の岩の上に着地した。ぐらりと岩が傾く。
「やだっ!」
驚いたレライエが、咄嗟に翡翠竜のバッグを強く抱き締めた。動けない上、魔法陣も使えない状況にも関わらず、首を絞められたアムドゥスキアスは嬉しそうだ。
「ルシファー様、どうしてここを選んだんです?」
文句を言いながら飛び降りたアスタロトが、手を広げてレライエを受け止める。義娘の同僚で友人なので、破格の対応だった。アムドゥスキアスが唸り声をあげるが、レライエに叱られて首を引っ込めた。婚約者に触れたので、アスタロトへ一言文句をと思ったらしい。
「きゃっ」
リリスを抱いて飛び降りたルシファーは、直後に転がっていく巨大な岩を見て肩をすくめた。
「悪い。以前は平地だったぞ」
「転移先の確認を省かないでください。何十年前の記憶ですか」
以前に含まれる「過去に来た時」という部分を、皮肉って叱る。だがルシファーはけろりとしていた。このメンバーで、ケガ人が出るわけがない。危険なら結界で包んで守ればいい話なのだ。この魔力任せの危機感の無さが、最大の問題です……ぼやくアスタロトの心労は尽きなかった。
「かなり暑いわね」
汗が出ちゃうわ。ポーチから取り出したハンカチで額を拭うリリスに、慌ててルシファーが結界を張った。ドーム系では動きにくいため、個々に膜を纏う形で熱を遮断する。
「ありがとう、ルシファー」
「どういたしまして。これなら飴も溶けないな」
言われて、リリスはポーチの中に飴を入れていたことを思い出した。あのまま火口に近づいたら、溶けた飴が一塊になるところだ。
「危なかったわね」
「飴にも復元の魔法陣をつけておこうか」
「ルシファー様、無駄なことはおやめください」
食べた分が減るのに、復元は適用できない。瓶が割れたり、中身が溶けた時の為だけに魔法陣を使うのは贅沢だろう。そもそも飴ならなくしても、買えば済むのだから。放っておくと効率を考えずに動くのは、ルキフェルもよく似ていた。




