1056. 追い出されたくない
リリスの呼ぶ声に転移で飛び込んだルシファーは、足元に置かれた靴箱に躓いた。見本の靴を並べる最中だった室内は、箱や包装紙が散乱している。それらを飛び越えてリリスに駆け寄った。
室内に控えていたアデーレの指示で、男性スタッフをすべて外へ出す。ルシファーは婚約者の肩書ゆえに免除された。
「リリス、痛いのか?」
おろおろするルシファーが手を触れようとすると、リリスが身を竦める。触ることもできずに、檻の中の猛獣さながら狼狽始めた。
「陛下、邪魔ですわ」
アデーレに一蹴され、手が届きそうで届かないギリギリの位置で床に正座する。リリスは涙を流しながら蹲っていた。腹を押さえる様子から、腹痛かと推測する。しかし部屋の中は血の匂いがした。
吸血種ほど敏感ではないルシファーが気付くのだ。それなりに出血していると見て間違いない。だが近づこうとすると、アデーレだけでなくシトリーやルーシアも阻んだ。
「大丈夫、落ち着いて。深呼吸しましょう」
リリスを宥めるレライエが、背中をそっと抱き寄せる。その時外で騒ぎが起きた。アスタロトが駆けつけたらしい。中に入れろと告げる声をアデーレが追い払った。ついでにルーサルカに部屋へ男性を入れないよう言い聞かせ、扉の番を申しつける。
周囲に口止めするほど、リリスの状態は酷いのか? もしかしたら転んで腹に何か刺さったとか?! あたふたと近づこうとしたルシファーは、再度叱られて床に正座し直した。
「陛下、大人しくしてくださらないなら外へ出しますよ」
アデーレの叱責に小声で謝り、部屋にいたいと呟く。現状でリリスの姿が見えない場所に行くのは怖い。素直にそう告げると、アデーレが少し考えてから言葉をくれた。
「リリス様は危篤ではありません。緊急を要するケガもありませんが、心の傷が残らぬよう女性が手当てしなくてはいけません。わかりますね? 婚約者でなければ、陛下も外へ出される状況です」
「よくわからないが、わかった」
リリスの容体はまったくわからないが、邪魔をせず大人しくしろと言われたのは理解した。その上で、どうやら男性は手出し無用らしい。心の傷と言っていたから、治療中の姿を見せるのが恥ずかしいのかもしれない。
「えっと……後ろを向いた方がいいか?」
「珍しく気が利きますわね。陛下、ぜひそうしてください」
慌ただしく入室したベルゼビュートが、笑顔で人差し指を回す。円を描く彼女の指先が示すのは、反対を向けという合図だった。正座を崩して膝を抱え、反対を向く。それでも耳は後ろの音に釘付けだった。
「リリス様、これは……よかったですわ。遅いから心配してましたのよ」
ベルゼビュートに任せれば、治癒に関しては問題ない。精霊と同じ癒しの魔力を使えば、致命傷以外は治してしまうだろう。ほっとしながら、意味不明の言葉を頭の中で繰り返す。
遅くて心配した、でも今の状況はよかったと表現した。つまり……めでたいことか?
「ひとまず服の血を消してしまいましょう。それから、こちらの魔法陣を使ってください。血を転送する便利な……あら、魔力を封じられていましたわね」
困ったようなアデーレの口調に、振り返ろうとして背中に何かが当たる。正確には結界に当たった。
「振り向かないで!」
厳しい叱責の声はレライエか。そういえば、彼女はいつも翡翠竜を持ち歩いていた。まさかとは思うが、彼がリリスを見たり……さっと血の気が下がる。部屋から男性をすべて追い出す治療の中、愛しいリリスが彼の目に晒されたら! 確実に殺す。
「悪い。えっと、アムドゥスキアスは?」
「アドキスなら窓の外です」
言われて、そっと首を動かす。室外でガラスに尻を押し付け、しくしくと泣いている翡翠竜がいた。中を見ないよう背を向け、両手で頭を抱えて俯いている。レライエに命じられたのかも知れない。先ほど殺気を向けそうになった相手に、心の底から同情してルシファーも顔を手で覆った。




