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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
2章

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99/204

神が死んだ日、世界は始まった

 


 どうして、僕なんだろう?

 僕は、彼らの光になれるのだろうか?


 そんな不安も迷いも必要ない。

 

 彼らの覚悟を受け止めて、僕は僕として生きていかなければいけない。



 ルシウスとして生きるときめたんだ。

 僕も過去と決別しなきゃいけない。



「エーレ、シュトルツ、リーベ」



 僕はひとりひとり確かめるように呼び、それぞれを見た。



「よかったら臆病者で弱虫な――どこかの皇太子の話も聞いてくれませんか?」



 抱えていた恐怖と悪夢。

 それを僕は話したいと思った。



「おーなになに、楽しそうじゃん」



 シュトルツが本当に楽しそうな声をあげて、隣に寄ってくる。

 僕はもう一度、ふちに両肘を乗せて、街を見下ろしてみた。


 無言のままエーレが右隣に、リーベもシュトルツのすぐ隣で塔へと向いて、縁に腰を預けたのが見えた。



「帝国に、臆病で弱虫な皇太子がいたんです。どこかの王子と同じく長ったらしい名前で――


 名前はユリウス・アレクサンダー・フォン・ラクセンベルク。

 彼は十七歳の成人の儀がまだだったので、ミドルネームはありません。

 第一側姫の子供で、母は彼が物心つく前に亡くなっています」



 彼らがそうしたように、僕もルシウスとしてユリウスを思い返してみた。

 ひとつひとつ遡って、記憶を辿っていく。

 たどり着いたのはやはり、広くて狭い煌びやかな城だった。



 「ユリウスにとって、城の中が世界の全てで……

 大人に囲まれて、次期皇帝として厳しい教育を受けてました。

 それは当たり前のことだったし、皇帝の期待に沿うように立派な皇太子にならないといけないと、毎日必死で頑張ってました。


 ユリウスから見た皇帝は小さな世界を統べる神で、同時に摂理でもあったんです。

 皇帝の望みに応えるために、示された道から少しでも逸れないように、一本のロープの上を歩くみたいな……ずっと頑張ってきたんです」



 ふと、城の生活を思い出して、苦しくなった。


 城の中だけの小さな世界。自分の気持ちを押し殺して、抑圧された生活。

 期待に応えるためだけに、それだけを考えて、必死に生きてきた毎日。



「父う――皇帝が彼の名前を呼んだことは、たった一度を除いてありませんでした。

 父上と呼ぶと嫌な顔をするということを知ってから、僕……は、父上をずっと陛下と呼んできました。

 それでもいつか父上に認められたい。認めてくれる。そう信じて、努力を怠りませんでした」



 いつかきっと振り向いてくれる、そう信じていた。

 誰も何も言わずに、僕に言葉に耳を傾けていた。

 エーレのように、ユリウスを他人として――過去のものとして、うまく話すことは出来なかった。



「ある日、父上が僕に言ったんです。

 ユリウス、’’お前は私の唯一無二’’だ。

 僕の目を見て、はっきりと――僕はやっと認められたのだと、嬉しくて舞い上がりました。

 もっと頑張ろうとも思いました」



 嫌な記憶が頭を支配していく。暗い暗い闇のような記憶。

 続きを言葉にするのが怖くて、口を閉じた。


 けれどここでやめるわけにはいかない。ぐっ奥歯を食いしばり、街を見つめる。



「しばらく経ってから、僕の部屋から見える庭に父上と宰相の姿を見つけて、気になって後を追ったことがあります。

 二人を追った先には――見たこともない古びた塔があって……その中で……」



 当時の光景が頭に鮮明に浮かんで、気付けば呼吸が浅い呼吸が鼓膜を叩いていた。

 響きが伝わってくるたびに、耳の奥がずきりと痛む。

 胸が苦しい。ひんやりとした空気の中で、自然と握っていた手は汗ばんでいた。



「――ゆっくりでいい」



 エーレの、呟きに近い声が隣からした。

 そんな小さな優しさに勇気づけられて、僕は大きく息を吸い込む。



「その地下で、僕は信じられないものを見たんです。

 隠れていたので、ちゃんとは見れなかったけど……牢屋の中に監禁された僕と変わらない――それかもっと年下の子供が沢山いて……


 父上と宰相の話を聞いて、その子供が僕の腹違いの兄妹たちであることを知りました。

 父上は彼らを見て‘’失敗作‘’だと、そして僕のことを‘’成功作‘’だと言っていました。

 その時、僕はやっと父上の、あの言葉の意味を理解したんです」



 唯一無二――それは、成功作に対しての言葉だった。



 皇帝は自分と同等か、それを上回る同調率を持つ子供を見い出すために、子供を量産していた。

 

 どうして、そんな子供を求めていたのか。

 跡を継がせるためなのか、それ以外の何か目的があったのか。それはわからない。


 けれど……これだけはわかる。

 そこに愛情なんてものはなく、ただ、目的のための道具だった。



「その時に宰相がこぼしていた言葉があって……全部は聞き取れなかったけど、僕の母上が殺されたという事実ははっきり聞こえたんです」



 あの時、全ては聞こえてこなかった。目の前の全ては嘘であればいいと思った。

 しかし神は僕に真実を知らせるように、聞こえてくる情報のうちでそれだけがはっきりと浮かび上がったのだ。


 今まさに石造りの塔の地下にいるような錯覚に襲われた。

 目の前には輝かしいまでの景色があるというのに。


 息を吸い込む口元が無意識に震えた。



 「僕はすぐそこで起きていることが信じられなくて、震えて、息を殺していました。

 その時、足元まで飛んできた血しぶきが飛んできて悲鳴が響いて……父上が兄妹の誰かを殺したことを知りました。あれは今でも忘れられません。


 それでも僕はその場から出ることも逃げることもできなくて……

 幸運にも見つかることはなかったけど、しばらくそこから動けなくて、どうして僕は兄妹の顔を見ないといけない。そういう想いにとらわれたんです」



 今思えば、どうして牢の前に顔を出したのかわからない。


 僕が彼らの前に姿を現せば、どうなるかなんてわかりきっているというのに。

 僕が彼らを助けられるわけでもないというのに。



 目の前でやせ細り、ボロボロになった幼い兄弟たち。

 彼らは僕を見て、恨み、憎しみの言葉をぶつけてきた。


 皇帝の血を色濃く継ぐ髪と瞳を見て、彼らは僕が、‘’成功作‘’であるとわかったのだ。



「僕はいてもたってもいられずに、城を飛び出したんです。

 何も考えずに、皇帝の言う通りにしていた、自分自身を疑いました。

 その時の僕は、夢から目が覚めたような感覚でした」



 何も考えずに、考えられずに言われた通りに。

 皇帝を絶対的な神として生きていた――あれは、支配魔法の影響だったのかもしれない。

 

 衝撃で一時的に支配魔法が弱まったのだろう。今ならそれがわかる。



「このままここにいたら、僕もいつかああなる。

 もし僕以外にもっと優れた力を持つ子供が生まれたら……

 父上が怖くて怖くてたまらなくて、アルフォンスに頼んで僕は逃げたんです」



 今でも思い出すと怖い。

 信じていた父上に――小さな世界の全てに裏切られた。



 僕は何者にもなれずに、ただただ恐怖に駆られて、全てを投げ出して、逃げ続けた。


 信じられなかった。

 逃げた後に少しだけ冷静さを取り戻しても、もう何も考えたくなかった。

 


 ……ひたすら、怖かった。


 

 信じていた。父上だけが僕の世界の神だった。


 その背中を追いかけて、いつかはきっと……

 

 ――そう、信じていたんだ。



「僕の神は、あの時死んだんです」



 神の死か、世界の崩壊か――どちらが先かなんてわからない。

 

 それでも僕は、今までの全てを失った。

 

 もう二度と戻りたくないと思った。

 連れ戻されてたまるか、とも思った。


 

 恐怖は怒りに変わって、それは憎しみを生み出した。

 僕はそんなことのために――道具になるために生まれて、必死に頑張ってきたんじゃない。



 父上が、皇帝が憎い――どこかから湧き上がって、抑えられない感情と。

 

 怖い、悲しい、辛い――そんなやりきれずに、潰されてしまいそうな感情。



「僕はただ、怖いものからひたすら逃げただけの臆病者なんです」



 それが結論だった。

 どんな事情や、言い訳を並べても、僕は臆病だということに変わりはなかった。


 一陣の風が舞い上がって、僕の髪を揺らした。



「そうか」



 その風に攫われるほどの小さく短い応答。



「ここまで、よく頑張ってきた」



 思いがけないエーレの言葉に、僕は目を見開いた。

 突然、胸に湧き上がった何かが頭へ、じんと広がって……

 視界がどんどんぼやけていく。



 ’’頑張ったな’’



 僕は、僕はずっと、ただその一言がほしかったんだ。

 どんなに振り向いてもらえなくても、ただ、その一言が欲しくて、頑張ってきたんだ。



 父上が憎い?

 信じていたものに裏切られて、絶望し、失望した?

 

 違う。違うんだ……



「僕は……父上に、愛されたかった……」



 道具としてではない――父上の息子として。

 一度でいいから名前を呼んで、優しい眼差しで、微笑みかけてほしかった。



 ’’僕は、父上に愛してほしかったんだ’’



 意識の外から漏れ出た言葉に、初めて自分の感情に気づいたら、もう涙が止まらなかった。


 視界はぼやけるばかりで、街の景色なんてもう見えない。

 みっともないとわかっていても、止められない。



 止めるどころか涙はどんどん溢れて、息が喉につまって、いつの間にかしゃくりあげるような声が漏れていた。


 どんなに手で拭っても、止まらない。

 それでも彼らは笑うことも、慰めることもせず、ただ沈黙していた。



 しばらく経って、少し涙が落ち着いたころに、そっと大きな手が頭に落ちてきた。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔でそちらを見ることは出来ず、ただその温もりを感じていると、



「頑張って逃げたから、君は今、ここにいるんだよ」



 宥めるわけでも、慰めるわけでもない。

 いつもと変わらない声色のそれに、僕は顔を歪めながら応えようと笑ってみせる。


 そこにリーベが歩み寄ってきて、困ったように首を傾げた。



「何も恥じることはないし、自分を責めることもない。

 臆病だって、逃げたっていいんだ。

 貴方はちゃんとここにたどり着いた。十分に誇れることだ」



 その顔が優しく微笑まれた。

 初めて見る表情だった。

 僕はその優しさを噛み締めて、強く目を閉じる。



 心の内を打ち明けて、自分の気持ちに気づいても、全てを整理しきることはできない。

 けれど、この感情を全てをありのまま受け入れて、僕は前に進む。


 怖かったことも、悲しかったことも、怒りも憎しみも、未練も……

 僕はユリウスから全てを受け継いで、ルシウスとして、これから進んでいくんだ。



 逃げて逃げて逃げた先で、彼らと出会った。

 逃げる選択をした僕が、連れてきてくれた場所だった。


 感謝を伝えた声は嬉しさと悲しみと怖さと――あらゆるものがない交ぜになった涙になって。

 もう、何を言っているのかわからなかった。


 それを聞いて、初めてシュトルツが笑い声をあげた。






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