名を失いし者たちへ
「俺たちは、一度死んでいる」
美しい眺めに似つかわしくない、淡々と事実を告げるだけの声色が響いた。
「え」
一拍遅れて、僕はようやく隣のエーレを見た。
すると彼も僕の方を見ていて、目が合うと息を吐き出しながらスッと目を逸らした。
その視線の先にはシュトルツとリーベ。
「シオンも、ヴィンセントもアルベルトも、もういない」
「それは――」
それは、何かしらの……そう、社会的に殺されたという比喩なのか? それとも……
「クロノスの権能――‘’環命‘’には条件がある。命と引き換えだ。
代わりに六度まで、権能を手に入れた……つまり死んだ時点に戻って、やり直すことが出来る」
「わかりやすく言えば、回帰だよねぇ」
エーレとシュトルツの言葉の温度差。それを気にできるほど、僕は冷静ではなかった。
「それって、つまり……いやだから……」
回帰? 死んだ時点に戻って、やり直す?
いくら神の権能と言ったって、そんな馬鹿な話が……
’’加護枷――制約’’
混乱する頭の中で、その単語が浮かんだ。
秩序、歴史を大きく狂わせてしまうほどの、強大な神の権能。
受け入れられないけれど、嘘なんかじゃない。
僕の混乱が収まるのを待つように、その場は沈黙に包まれた。
大きく息を吸って吐く。ひんやりとした空気が肺を冷やした。
「貴方たちは何回、繰り返してきたんですか?」
「三度。今が、四度目だ」
用意していたように、エーレがすぐに答えた。
六回中の半分。いや、まだ半分ある。
けれど三回繰り返しても、彼らの目的は達せられなかったのだ。
「じゃあこれから先、どうなるかわかってるんですか?」
「わかっていてもどうにもならないことも多い。
私たちには制約もある。それに、今回は……昨日のあの少年だろうな。
不可解なことが多すぎる」
リーベの声色を聞いて、何故か湖上都市での彼とのやりとりを思い出した。
――あらゆる未来の可能性が見えているのか?
そんなことを聞いたはずだ。
未来を映すという湖に、姿が映らなかった彼。
彼らの言葉を信じるのなら……僕の目の前の三人は、もうこの世にいない?
いや、違う、いるのに、いない。
命と引き換えに得た、神の権能――
普通の人間と同じように、息をして、水や食事も、睡眠だって摂る。
権能の力で生きるということが一体、どういう括りに入っているのか、僕にはわからないけれど……
ただ一つわかることは。
彼らは人間という領域を超えて、存在してしまっているのだ。
隣のエーレが再び、街の方へと振り返った。
その更に隣のシュトルツが、縁に頬杖をついて僕の方を見る。
「まぁ、俺たちから話せるのはこれくらいかな?
今まで黙っててごめんね」
そう言って眉を下げたシュトルツを見て、僕は視界が狭くなった。
こんな話、簡単に話せる内容じゃない。
抱えているものの大きさを知って、僕は開きかけた口を閉じるしかなかった。
本当は、まだ気になることもある。
空白の3年間、彼らに何があったのか。
アイリス王女の安否。
リーベが――エーレたちが助け出したいのはきっと、アイリス王女なのだ。
それに、制約の代償の詳細。
今まで繰り返してきた、三度目までのことも。
けれど、それを僕は口にすることが出来なかった。
口を噤んでしまった僕を一瞥したエーレが苦笑した。
「権能以外のことは全部が全部、昔話だ。
お前が気にすることでも、抱え込むことでもない」
そうだとしても、目の前の彼はシオンだった過去を持っていて、シオンにとって帝国の皇太子が仇敵であることに変わりない。
なのに、どうして……
「勘違いするな。俺はエーレであって、シオンではない。
だから、俺がお前を憎む理由も、お前が俺に罪悪感や負い目を感じる必要もない」
「そんなの……」
僕の気持ちを知って、先回りしたような強い言葉だった。
そんな言葉の綾のような、事実を無理矢理捻じ曲げて覆い隠したような。
とてもじゃないが、僕はそうやって割り切ることは出来ない。
「わからない? わかるはずでしょ。
だって今、俺らの目の前にいる君は、ルシウスなんでしょ?」
割り込んできたシュトルツの声に、僕はハッとした。
そうだ、今の僕はユリウスではなく、ルシウスだ。
僕が、そうありたいと望んだのだ。
「ルシウス」
改めて自分の名前を呼んで、シュトルツを見た。
彼は夜空へと手を伸ばして、遠くを指さした。
「そう、ルシウス。
君は、俺たちの光だ」
――ルシウス……ルシウスって、何なんですか?――
あの夜、エーレはそう言った僕に答えた。
ルシウス。それは古代言語で……
「光を持つ者――」
シュトルツと同じように、僕は空へと手を伸ばす。
――彼らの光になるなんて、そんな大それた願いが、僕に務まるのだろうか?
どんなに手を伸ばしても、星に手が届くことなんてない。
「ルシウス」
輝く星空が迫る景色に響いたエーレの声は、それらを貫くようだった。
手を伸ばすことをやめてそちらへと振り向くと、彼はこちらへ向き直り真っすぐ僕を見つめていた。
「あの時言ったことを、覚えているか?」
あの時――僕はそれを自然と理解した。
後ろで、シュトルツとリーベが動く気配があった。
「お前は、陽としてそこに立っていればいい。
俺たちがお前の影となる。全てを俺たちが引き受ける。
だからお前は陽として、そこにいればいい」
確かめるように告げられた、願いにも似た言葉。
彼の手は、腰から下げられた鞘にそっと当てられていた。
それは歴史には、もう存在しない――影として生きる覚悟を、とっくに決めた者の表情だった。




