すべてはこの夜から語られる
森を抜けた正面には突き出す崖があって、その先端に高い石造りの塔が立っていた。
辺りをシュトルツが光魔法で照らし、光が四人分の影を大きく伸ばした。
塔の入り口には、金属製の網が張り巡らされていた。
その間には小さな隙間が出来ていて、それは誰かが無理やりこじ開けた形跡のように見えた。
金属製の網も、その先の石材も、かなり古いことが一目みてわかる。
シュトルツは金属製の網に手をかけると、すでに千切られた先端を引っ張る。
すると思っていた以上に、簡単に網は広がった。
彼は満足そうに頷くと、首だけ振り返って僕たちに声をかけた。
中は外以上に暗く、外壁に沿って、螺旋状の階段があった。
上を見上げても、暗くて先が見えない。
シュトルツの先導で、僕はどうにか足元を確保しながら長い階段を上った。
最後の階段を上り切った先には――予想以上に、広い展望台が広がっていた。
それに続く鉄製の扉は、すでに誰かによって開けられてある状態だった。
塔の外壁にぐるりと沿うように、腰の位置に石造りの縁がある。
先には広野が広がっているようだったけれど、暗くて見えない。
「こっちこっち」
シュトルツに手招きされて、僕は反対側へと歩を進めた。
「わぁ……」
視界の先――そこには、キラキラと色鮮やかに散らばった人口の光。
左端は大きな城が鎮座していて、尖塔が近くに見える。
その奥側には、宝石が散りばめられたような光で覆われていた。
まるで手の中に街を収めたような、そんな眺望に僕はもう一度、感嘆の声を漏らした。
「どう? 絶景でしょ」
前のシュトルツが縁に手をかけて、半身を逸らす。
僕はそのまま彼の隣まで進み出て、縁へと両手を伸ばした。
もっと、もっと近くで見たい。
そんなことを思っていると、自然と腕に重心が傾いた。
夜風が気持ちいい。
街の夜景が、夜空を圧倒している。
自然と右手が伸びた。
手の中に、あの宝石を収められたら……
そう思った時、左手がずるりと落ちて、体が前に傾いた。
咄嗟のことで、声も出ずに目を見開いた瞬間に――ぐいっと襟首をつかまれた。
「今度は飛び降りでもしようってのか?」
まるでこれを予期していたように、すぐに後ろから嫌味が飛んできた。
隣では僕の襟首を掴んだシュトルツのくつくつと笑う声。
足を地面にしっかり付けて振り返ると、そこには口端を釣り上げているエーレと、
「身を乗り出すと危ないぞ」
そう言ったリーベがいた。
エーレは僕の右隣に、リーベはシュトルツの左隣に並んで、街の景色を見渡した。
四人でこうやって並んで、何かを眺めるのは初めてだった。
城の北から、少しだけ逸れて登った小さな森の上。打ち捨てられた展望台。
「ここは随分昔に使われていた連絡塔で、私たちの秘密基地なんだ」
左からのリーベの声が宙に漂った。
――秘密基地?
そんな子供じみた言葉が、彼の口から出てきたことに驚いた。
「いやぁ、あの金属網を壊すのに苦労したよねぇ」
「苦労も何も、結局壊したのは俺だろ」
「だってあの頃まだ、俺もリーベも今ほど魔法使えなかったし?」
シュトルツとエーレが景色を眺めたまま交わした声には、懐かしさが静かに滲んでいた。
入り口の扉の前に、張り巡らされた金属網――あれは幼いころの彼らの仕業だったのだ。
三人の秘密基地。
城から繋がる森の奥。
僕はふと、隣のエーレを見た。
前王室の第一王子。本当に、彼がそうだとしたら……
首都を一望できるこの景色を見て、彼は今、何を思っているのだろう?
僕の視線を感じ取ったエーレが、ほんの少しだけ首をこちらに向けた。
数秒だけ僕を見て、そっと目を伏せた後、再び景色へと視線を移す。
「シオン・ルクリツィア・アルバ・ディ・エーベルシュタイン」
凛とした声――ほんの少しだけ、郷愁と悲しみを帯びているようにも聞こえた。
「そんな長ったらしい名前の王子が、この国にいたことがある」
彼はそこで一度、口を閉じるともう一度僕を見た。
続きを聞くか? そう尋ねられてる気がして、深く頷く。
それを受け取ったエーレは、再び元の位置に視線を戻し、その口から吐き出された掠れた長い息が、夜空に溶け込んでいった。
「そいつは第一王子で、闇の本質を生まれ持った。
生まれてすぐ殺されなかっただけ、マシだったんだろうな。
王子でありながら、存在を隠蔽されて、そいつもそのことをよくわかっていたから、城の奥の隠された屋敷で、息を殺しながら生きていた。
下には第二王子と、末の姫もいたしな。
そのままそうやって、生きて死ぬとばかり思っていたそいつのところに、赤い髪をしたどっかの馬鹿がやってきたんだ」
ちらりとエーレが、シュトルツに視線を投げたのがわかった。
その視線を追おうとした時、エーレは続けた。
「王家の剣――その嫡男だったヴィンセント・エルンスト・グライフェン。
経緯は色々あるが、本来なら王位継承権を持つ第二王子に仕えるはずだったそいつは、シオンの従者になることを選んだ。
それをきっかけに、シオンの生活が少しずつ変わっていった」
ふと、剣身に刻まれた鷲の文様が、頭に過った。
シュトルツはエーレの従者であり、騎士だったのだ。
あまりにも淡々と告げられていく真実。
僕は彼の一言一句を聞き落とさないように耳を澄ましていた。
「何をどうしてか、末の姫――アイリスがシオンのところにやってきて、それを追ってアイリスの婚約者もやってきた。
王家に姻戚関係を持つ、公爵家嫡男――アルベルト・フリードリヒ・ヴェルマン。
そうして、いつしかそいつらの、小さくて平和な世界は成り立っていった」
王子であったエーレ。その王家に仕える家門であったシュトルツ、エーレの妹アイリスの婚約者だったリーベ。
そして、ここにはいない、彼らの大切な思い出の中の姫――アイリス。
見たこともない、幼い彼ら四人の日常をふと思い浮かべてみた。
王族と高位貴族であった、幼い彼らの日常。
全く想像できない。
「そのあとは、知っての通りだ。
国王派と王弟派の内乱。王弟が玉座を勝ち取り、前王室は滅んだ。
第二王子のアクシオンも含めた、多くの国王派は処刑され、シオンはその力の利用価値を見い出されて、帝国の皇帝に連れ去られた」
気が付いた時には僕は、景色を眺めたままのエーレの横顔を見つめていた。
その後、彼がどうなってたのか――
昨日の、法衣を着た少年の言葉が思い出された。
悲惨な目にあった。彼はそう言っていた。
遠くを見つめるエーレはしばらく沈黙して、一度縁から離れると塔の内側へと振り返った。
そのまま縁に腰を預ける。
「アイリスは、クロノスの加護を生まれ持っていた。
殺すには惜しく、そのアイリスの――人質としてってところだろうな。アルベルトはアイリスと幽閉されたらしい」
エーレがリーベを見たのがわかった。
リーベは一度もこちらへ視線を投げることなく、景色を見たまま言葉を繋げた。
「そのアルベルトという愚鈍な男は、結局小さくて幼い姫に逃がされたんだ」
その声色には、嘲笑が混じっていた。
「あー」と、すぐにシュトルツが声をあげる。
「ヴィンセント? そいつは二年前に色々あってね。廃嫡されてその場にいなかったんだよね。
全部が終わってから知らされて、もう必死でシオンを探したらしいけど」
シュトルツは、いつもと変わらない飄々とした口調だった。
けれど、乾いた笑いを上げた彼の声色は、どこかぎこちなかった。
それぞれの小さく息を吐き出す音が、夜風にさらわれる。
「それから約三年後だ。シオンは死ぬ間際に、幸か不幸か――クロノスの権能を授かった」
エーレのその言葉に、いつか船の上で見たシュトルツの加護紋を思い出した。
砂時計の周りに描かれた円。円に沿うように、刻まれていた数字。
どこかで見たような気がするとは思っていた。
あれはエーベルシュタイン王国の主神――クロノスの加護紋だ。
紙の上で見るのと、実際に刻まれているものとでは、雰囲気が違いすぎて気づけなかった。
その権能の正体は?
僕は、彼らの言葉を待った。
けれど、その続きを誰も話そうとはしない。
エーレが、夜空を仰いだ。
僕もその視線を追って見上げると、一筋の星が流れた。
その消えた星を追って、しばらくそのままでいた。
光り輝く、満天の星空は迫ってくるようだった。
思わず、その美しさに見惚れそうになっていた。その時だった。




