あの場所で、記憶が目覚める
扉を叩く音がして、僕は後ろへ振り返った。
そこには、いつの間にか開けられていた扉を叩いたらしいシュトルツがいた。
「一応、入る前にもノックしたんだけどね?」
まだ何も言っていないのに、彼は肩を竦めて弁解する。
「もう日付跨いでるけど、エーレさんが話があるって」
時計を見ると、たしかに日付が変わったところだった。
「エーレがですか?」
「そ。そんなに長くはならないと思うけど」
あの少年に会った後も、エーレとシュトルツはいつもと対して変わらない態度だった。
リーベだけが、思いつめたように黙り込んでしまっていた。
「わかりました。行きます」
本当は、エーレと話すのは怖かった。
けれど、話を聞かないと何も始まらない。
そう思って部屋に戻ろうとしたら、何故かシュトルツがバルコニーまで進み出てきた。
「こっちの方が早いから。エーレさんたちも、もう待ってるみたいだし」
それだけ言った彼は流れるような動作で僕を脇に抱えると、バルコニーの柵を軽々と飛び越えた。
「ちょ、まっ……ここ二階……!」
制止も拒絶もする暇もなく彼に抱えられ、気が付いたときにはバルコニーが視線の上にあった。
叫びたかったけど、ここは首都の宿街だ。
そんな無駄な理性が働いて、ぐっと息を止めるしかなかった。
「びびりすぎでしょ。これくらい、なんてことないって」
落ちてき多声にそっと目を開けると、前にはため息をつくエーレと冷ややかな表情でシュトルツを見るリーベがいた。
「普通に出てこれんのか、お前は」
「下に人がいたら、どうするんだ」
すぐにエーレとリーベが苦言を呈した。
いつのまに着地したんだろう、衝撃らしい衝撃はほとんどなかった。
「いやだって、待たせたら悪いでしょ? それにほら」
頭上の声を追って首を回すと、シュトルツが空を指していた。
「早くいかなきゃ」
彼が何のことを指して言っているのかわからなかったけれど、とりあえず僕はまだ彼の腕に抱えられている。
いい加減、放してほしくて声を上げた。
「シュトルツ、びっくりしたじゃないですか。下ろしてください!」
けれど彼は僕の言葉なんて聞いていなかったように、そのまま歩き出す。
「夜も遅いし、おこちゃまの歩幅に合わせてたら、時間かかるしねぇ。
それに、逸れられたら困るでしょ?」
僕では、彼に力で敵わない。
答えの代わりに大きなため息だけ吐き出して、抱えられたまま夜の首都の街並みを眺めることにした。
***
王国首都エルディナ。王が住まう王城は、首都の北側に面している。
城の後ろ――北には広い林があって、更にその先には、緩やかに登る小さな森があった。
その森を抜けた先には、突き出た崖。その先端には、随分と昔に使われなくなった展望台がある。
狭い森の中を駆け抜けたシュトルツが、森を抜けた先からこちらへと手を振っていた。
「エーレさん、リーベ、早く早く」
「急ぐ必要ねぇだろ」
エーレが眉を寄せて、声を上げる。
「春の流星群、今日までなんだって!」
「お前……いい大人がまだ流れ星がどうとか言うんじゃねぇだろうな?」
森に響いたシュトルツの声とは裏腹に、エーレの呟くような声は響くことなく森に吸い込まれていく。
けれど、シュトルツはそれをしっかり聞き取ったようだった。
「こういうロマンに歳は関係ないって!」
子供のように手を振ることをやめないシュトルツにエーレは呆れて、ため息を吐きだした。
「昔にも、こういうことがあった気がするな」
リーベが森の先を見つめて、目を細めた。
エーレはその視線を追って、シュトルツに抱えられたままのルシウスを見る。
「どうだっただろうな」
ようやくシュトルツの腕から解放されたルシウスが、シュトルツに文句を言ってるような姿が見えた。
森の先で、二人が言い合いをしている声がここまで聞こえてくる。
「エーレさん! ルシウスがいじめる! 早く来て!?」
赤い髪が月明かりに照らされて、炎のように揺らめいた。
「覚えているのは、あいつが昔から口の減らないやつだってことだな」
何気なく呟いた言葉に、隣のリーベが短い笑いを上げた。
「違いない」
彼の笑い声など、あまりにも久しく聞いたエーレは、思わず目を細めて微笑んだ。
しかし、表情を緩めたことに気が付いた彼はすぐに目を伏せる。
「俺たちは感傷に浸るために、ここにきたわけじゃない」
誰に言うわけでもなく呟かれた言葉に、リーベは何も言わない。
「リクサに明かされる前に、話せる限りのことを俺たちの口から伝える」
「その方が良いだろうし、そうすべきだと私も思う」
エーレに答えたリーベの言葉と共に、足元でパキリと小枝が折れた音が、ヤケに大きく響いた。
その余韻の中で、エーレの大きなため息が響く。
「元からそのつもりだったが……どうにも昔の話をするのは、億劫で仕方ない」
「たまには、過去を振り返る必要があるんじゃないか?
私たちがここに立っていることを確かめるためにも」
リーベの言葉を聞いて、エーレは自然と眉を寄せた。
「そうかもな」
前から途切れることなく、シュトルツの急かす声が響いている。
その中に、ルシウスの声も混じりだした。
「あいつは……何年生きてるからって、あんなに落ち着きがないんだ」
エーレが、うんざりしたような声をあげる。
リーベの苦笑が、前方二人の声にかき消された。
「さっさと行くぞ、リーベ」
「ああ」
そのやりとりを最後に二人は歩を速めた。
子供の頃は、駆けなければ遠かったこの道も、今では少し歩を速めるだけで足りる。
エーレは過ぎた年月の長さを感じて、ため息と共にほんの少しだけ視線を落とした。
読んでいただき、ありがとうございます。
ようやくエーレたちの過去が明かされます。
少しでも気になっていただけたら、気軽にブクマ感想いただけたら嬉しいです。
これからも頑張って、毎日更新していきますので、よろしくお願いします。




