盤上の挨拶
「誰だ」
一歩前に出た、エーレの低く響いた声には、警戒がにじみ出ていた。
「あれ? 何度か会ってるはずなんだけど、僕のこと知らない?」
エーレたちの敵意にも、全く動じない少年――彼は頬に手を当てて、首を何度も傾げる。
「おかしいなぁ。確実に、2度目も3度目も会ってるはずなんだけどなぁ。
あ、そっか! この姿じゃ、わかんないよね!
でもまだちょっと、姿は上手く変えられないからなぁ」
まるで緊張感がなく、自分の姿を見て、ひとりで納得したように彼は言った。
「お前、何者だ。どうして俺たちのことを‘’知ってる‘’?
それに、その力……どこの神の権能だ」
エーレの言葉とともにシュトルツも一歩前へ踏み出し、リーベは僕たちの前に立った。
「あっれ~? テミスの化身に、まだ何も聞いてない?」
彼は後ろで両手を組んで楽しそうに、一歩前へ出る。
エーレが素早く剣を抜いた。
「今日は挨拶に来ただけなんだから、怖いことはだめだめ。
せっかく貴重な1回を使って、こうして僕が会いにきたんだか……」
両手を前で振って、楽しそうに笑った少年に、エーレは飛び出して、斬りかかった。
けれど、振りかざした彼の長剣は少年ではなく、少年だった靄を払う。
「もう、人の話は最後まで聞きなさいって、お母さんに教えてもらわなかった?」
そう聞こえたのは――真後ろからだった。
いつの間にか、僕のすぐ後ろに少年がいた。
咄嗟に振り返って、腰に下げた手半剣の柄に手を当てる。けれど手が震えて、上手く握れない。
そんな僕を見て、少年は柔らかく微笑んだ。
「君たち、‘’今回‘’も懲りずに、この子といるんだね」
彼は一歩、僕へと近づいてくる。
「皇太子ユリウス」
そう僕を呼んで、真っすぐ覗き込んできた異質な瞳から、言い知れない恐怖を感じた。
その時、肩がぐいっと後ろに引き寄せられる。
首だけで振り返ると、険しい顔のエーレが少年を睨んでいた。
「面白い組み合わせだよね。皇太子ユリウスは、君の仇敵でしょ?
どうしてその君が、憎くて仕方ないはずの皇太子に、救いを見い出そうとしてるのか……
不思議で仕方ないんだよね。ね、どうして?」
再びぐいっと前へ踏み出してきた少年。
「仇敵?」
僕が、エーレたちの仇敵?
「耳を貸すな」
すぐ後ろから、エーレの強い声がした。
「ああ。君は大切に、鳥かごで育てられたんだったね。
そこのえ~と、今はなんて名乗ってるんだっけ?
まぁ、いいや。そこの闇の本質持ちは、前王室の第一王子。シオン殿下。
君のお父さんが、支配魔法で滅ぼした王室の、生き残りだ」
「え? どういう……」
王国の前王室を、皇帝が滅ぼした?
エーレが、王国の第一王子?
僕の隣を短剣が飛んでいくのが、ぼんやりと見えた。
けれど、目の前の少年が再び、靄に変わり、次は右手に現れた。
「あれだけ、資源が豊富で経済が潤っていた王国が、一時的な内乱でここまで衰退するなんておかしいと思わなかったの~?
ほんと、あの皇帝の子供とは思えないくらい、君は無知なんだね。
君のお父さんが王弟を唆して、魔法で支配して、王国を乗っ取った。
その時にそこの3人は随分、悲惨な目にあったみたいだよ~
あ、そこも説明してあげようか?」
右から少年の楽しそうな笑い声が、無音の世界に響きわたるのを、僕はただただ聞いていた。
その靄を、シュトルツが追いかけるのが視界に入った。
再び、正面に来た少年に僕は息を呑む。
少年が、壮年の男性と重なって、ブレるように映った。
「今の僕は本体じゃないって、そろそろわかってよ~。いくら攻撃しても無駄なの。
というか、君たち。そこの皇太子に、なーんも教えてあげてないんだね。
笑っちゃう。やっぱりあれ? ‘’前回‘’のがトラウマみたいな~?」
「黙れ!」
後ろからエーレの怒鳴り声が聞こえてきた。けれど、随分遠くから聞こえたような感覚だった。
目の前の少年が何度も、少年に似た壮年の男性と、重なってはブレて、揺らいでいる。
それでも、僕はその奇妙な光景を、ただただ呆然と見ていることしか出来なかった。
「ふ~ん」
少年はつまらなさそうに、目を細めて、首を傾げる。
「まぁ、いいや。本当に今日は、挨拶だけなんだ。
今回の盤上に、僕という新しいポーンが入ってみたんだ。
余興はどうだった? 少しは、面白いゲームになってたでしょ?
僕なりに、君たちが楽しめるように頑張ってみたんだ」
まるで自分の成果を披露して、親に自慢する子供のような無邪気さ。
と思ったら、途端、真剣みを帯びた低い声で、少年は言った。
「君たちのような使い捨ての駒とは違う。
僕は最終マスに到達して、盤面を支配するキングになる」
後ろで手を組みながら、数歩下がった少年は両手を広げた。
「さぁ、ここからが本番だよ!
僕とゲームをしよう!
僕たちの存在を賭けた、神たちの椅子取りゲームだ!」
少年は高々に宣言すると、両手を広げたまま、くるりとその場を回った。
「あ、そろそろ時間切れみたい。また盤上で会おう」
ひらひらと手を振った少年は僕を見たあと、ミレイユへと振り返り、最後に3人を順に見た。
そして、その姿が消える前にリーベを見て、微笑んだ。
「君のお姫様は、今のところ元気だから、安心していいよ」
息を呑む声が、耳にはっきりと届いた。
「貴様……!」
消えていく少年へと、リーベが剣を振るう。
驚愕と怒り、焦燥――そんな表情を露わにしたリーベを、僕は初めて見た。
少年が消え去ると、景色は再び、動き出し、音が息を吹き返した。
けれど、僕は少年のいたところから目を離すことが出来なかった。
※作中で「ポーンが最終マスに到達してキングになる」と言っていますが、これはチェスの正規ルールには存在しません。本来ポーンは昇格してもキングにはなれません。
ただ、この作品内では「現実のルールを超えた異界的なゲーム」を象徴するため、あえて少年のセリフとしてそう言わせています。
つまり、これは彼の異常性やゲームそのものの“ルール破り”を象徴する比喩として受け取ってもらえると嬉しいです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ようやく主要メンバーの過去が明らかになってきます。
お気軽に感想ブクマなどいただけたら嬉しいです。




