仮面
※この話には、少しだけ残酷な場面があります。実際的な描写はありませんが、苦手な方はご注意ください。
シュトルツとリーベが、入ろうとする僕をちらりと見たけれど、止めはしなかった。
男は扉側に背を向けて、椅子に四肢と胴体を縛られていた。
その次に、目に飛び込んできたのは男の足元――床には、手足の数だけじゃ足りない枚数の爪。
その他にも、男の四肢の服は裂け、血がこびりついている。
苦痛を与え、魔法で治癒する――それを繰り返していたのが、一目でわかる光景だった。
シュトルツとリーベは、男の正面には立たなかった。
エーレだけが奥から椅子を引いてきて、男の正面へと置いた。
シュトルツが後ろから、男の口に嚙ました布を外し、水の入ったボトルをエーレに渡す。
それを受け取ったエーレは、男の口に持っていくと、水を飲ませた。
咽ながらも、どうにか水を飲んだ男の呼吸が落ち着くまで、沈黙が漂った。
そして、エーレは椅子に座ると、膝の上に両肘を置いて、男を見据えた。
「頭の拠点は?」
その声が、広くない部屋の中に消えていく。
男は沈黙するだけだった。
エーレの表情は、最初から一貫して変わらない。
いつもの険しさはない、無表情に近い。
しばらく、部屋には耳に痛い沈黙が漂った。
僕は半歩前のシュトルツとリーベ、前に縛られた男の背、そしてその奥にいるエーレを順に見た。
すぐにでもここから出たいと思うくらいの、言い知れない緊張感が場を支配していた。
一度、瞑目したエーレは息を吐き出して、ゆっくり目を開けると言った。
「貴方に選択肢を与える。好きなものを選んでほしい」
その中に凛と通る――少し高くて柔らかい声色が響く。
「一つ。手足を斬り落とされて、目を潰された状態で、森に放りだされる。近くにいる動物か魔物が群がってくるだろうから、その先のことは言わなくても想像できると思う。
二つ。このまま終わらない拷問の中で、思考も感情も壊される。生きたまま壊す方法なんて、いくらでもある。痛みも感覚も時間も全て失うまで、失ってもなお地獄を生きる。
三つ。頭の拠点の情報を話して、ここから逃げる。勿論、傷も治してあげよう」
僅かに、エーレが首を傾けた。
同時に、縛られた男の背が小さく揺れたような気がした。
「どうしても決められないのなら、私が決めてもいい」
いつもの険のある彼からは全く想像がつかない――まるでエーレではない別人を見ているようだった。
表情からは、感情が全く読み取れない。
けれど、口調や声色だけ聞いていると、まるで相手を尊重して労わっているようにすら聞こえた。
言っていることは、おぞましい内容ではあったけど。
エーレが静かに立ち上がる。
「しばらく考える時間をあげよう。私が戻ってくるまで決めておいてほしい」
それだけ言うと、エーレは扉の方へと向かっていく。
男は固まったように、微動だにしなかった。
「15分だ。1秒でも過ぎたら選択肢は消える。
一つ目と二つ目、もしくは両方。私たちが好きな方を選んでやろう」
すれ違う形でリーベが懐から取り出した、小型時計を男の目に入る位置に置いた。
その追い打ちの言葉に、僕は顔を引きつらせながら、扉に向かうエーレの後ろにつき、シュトルツとリーベが続いてやってきた。
扉をくぐる寸前、背後からカチ、カチと秒針が時を刻む音が耳に残った。
背中に、嫌な感覚が這い上がってくる。
15分。あの音の中に、残された男の残像が目の裏を掠めた。
扉が閉められると、エーレは目を閉じて、深く息を吐き出した。
まるで、何かに耐えているような仕草だった。
そして舌打ちを一つ飛ばすと、再びため息。
「胸糞わりぃ」
そう、吐き出すように呟いた。
「ちゃんとエーレだ」
それを見て、目の前の彼がエーレであることに安堵する。
「は?」
いつものように睨んできた表情にすら、どういうわけか胸を撫でおろしたい気持ちになった。
「だって、さっきのエーレ……」
「まぁほら、あそこまで苦しめられたら、視野狭窄になってるからね。
そこにちょっとした飴を与えられると、メンタルを揺さぶられるわけ。
エーレさんは、そういうのちゃんとわかってるから」
何故か、自慢げに言ったシュトルツを見ても、先ほどの得体の知れない恐怖はなかった。
「そこまで気分悪そうにするなら、しなければいいのに……」
部屋から出てきてからの、エーレの顔色は悪い。
「手段を選べるなら、俺たちはここにいねぇんだよ。
頭の拠点の在処は、トラヴィスへの対価だ。出来るだけ早く渡しておきたい。
今後の計画にも大事なことだからな」
そういえば、交易都市で情報屋のトラヴィスに会った時に、そんなことを言っていたような気もする。
目的のために、手段を選ばない彼ら。
いつになったら彼らは、その背負っているものを、少しでも僕にわけようとしてくれるのだろう――
「とりあえず15分あるんだし、ちょっとお茶でもして休憩しない? さすがに疲れたわー」
シュトルツが、両腕を頭上で伸ばしながら言った。
この男は、二重人格なのかもしれない。
僕は本気でそう疑いたくなった。
あんな惨状のあとに、暢気にお茶なんて……
しかし、エーレもリーベも当たり前のように、1階へ続く階段に向かっていく。
僕がもし、あの扉の奥の男の立場だったら……
発狂する未来しか思い浮かばなかった。




