必要なら残酷に
「気にしなくていいって言ってるんだ。
それよりもお前、どうしてあの時きた。
責めてるわけじゃない、単純に聞いてる。隠蔽かけておいただろ」
彼が目を開けて、僕を見た。
僕は彼の隣の壁に、同じように背を預けた。
「寝てる時にエーレの考えや感情、見てるものが流れ込んできたんですよ。
それで目が覚めて、貴方たちの置かれてる状況がわかって、いてもたってもいられるずに……」
隣から、舌打ちが聞こえた。
やはり故意ではなかったらしい。
「状況が状況だったとはいえ、しょうもないミスをしたな……」
「エーレでも、失敗するんですね」
性格には難がありすぎるけれど、魔法や剣で失敗したところを見たことのないエーレ。
軽口を言ってみると、また舌打ちで返された。
「俺をなんだと思ってるんだ。誰だって失敗するだろ」
「エーレは完璧人間なのかなぁって。性格以外は」
「は?」
「いえ、なんでもないです」
凄みのある一言に、すぐに僕は訂正を言葉にした。
「とりあえずお前は部屋に戻って、寝てろ。ここにいても、意味がないだろ」
そういう彼の声は、いつものような刺さる感じではなかった。
どこか不安定というか、落ち着きがないというか。
「エーレは、体調大丈夫なんですか?」
「話聞いてんのか」
いつもなら追い返す勢いで睨んでくるのに、それもない。
「傷が治ったっていっても、瀕死の怪我をしたんです。
エーレこそ、安静にしておいた方がいいんじゃないですか?」
僕を庇ったせいだけれど……
そう思うと、罪悪感が湧き出てきた。
「あれくらいの傷、今までいくらでもあった。治ったんだから、何の問題もない。
わかったなら、さっさと戻れ」
「あれくらいって……」
何度死にかけてきたら、そんなセリフが口から出るようになるんだろう。
そのまま僕はその場にしゃがみ込んだ。
頭はすっきりしているし、体も重くない。
どこも痛いところはないし、この数日散々休んだ。
それに……
「僕は戻りませんよ。貴方たちと一緒に行くって決めたんです。
なら、僕がここにいても、なんの問題もないじゃないですか」
彼らがしようとしていることに、一人だけ除かれるのは嫌だった。
戦闘でまだ役に立つことが出来ないなら、彼らが見て背負っているものを、少しでも分けてほしかった。
例えそれが、扉の奥で行われている非道な行為であったとしても、だ。
すると、隣からエーレの大きなため息が落ちてきた。
「こっちが気を使って言ってやってるってのに。
見なくていいもの、知らなくていいものも世の中にはある」
確かにそうかもしれないし、そうだと思う。でも。
「無知でいることに甘んじるなって言ったのは、エーレですよ」
王国に渡る船の中で、彼は確かにそう言った。
「あのなぁ、それとこれとはわけが違うだろう。
尋問なんて見なくていいし、知らなくていい」
「物はいいようですよね。中でやってるのって、完全に拷問じゃないですか」
「お前も口が減らねぇやつだな。どっかの馬鹿にそっくりだ」
どっかの馬鹿――シュトルツだろう。
シュトルツと一緒にされるなんて、心外だ。
でもまぁ、嫌ではない。
短い沈黙が廊下に流れた。
流れ込んできたエーレの考えから、ある程度の状況は把握できている。
彼らはこの村に来た時から、怪しい空気を感じ取っていたし、それに対して備えてもいた。
けれど、まさかレナータが裏切るとは思っていなくて、遅れを取った。
エーレが先に動いて、僕の部屋に隠蔽をかけなおした。
そういえばどうして、エーレはあの中でも動けたのだろうか?
「エーレって、毒に耐性でもあるんですか?
というか、何が混ぜられてたんですか? お茶に」
たまに聞く話だ。
戦闘職の人たちは、毒に耐性をつけていることがある。
耐性なんて、どうやってつけるのかは知らないけれど。
「サリカ草って、聞いたことあるか?」
「サリカ草って……あのサリカ草ですか? 痛み止めに使われる……」
薬草の一種だ。
どこにでも出回っているし、よく知っている。
僕も城にいた時に、たまに処方されていたものだ。
「それの亜種にルーンサリカの花ってのがある。
無味無臭が特徴で、それを混ぜられたってことだ。
詳しく知りたかったらリーベ辺りにでも聞いとけ」
彼にしてはよく教えてくれた方だった。結局最後はリーベに投げるみたいだけど。
「エーレだけ、まだ動けてましたけど」
シュトルツやリーベなんて、まるで素人のような動きをしていたのに。
すると、エーレは嘲るような笑いを、1度飛ばした。
「忘れたいと思ってる昔の経験が、役に立つこともあるってことだ」
彼のいうその過去に一体、何があって、それが毒への耐性に繋がるのかさっぱりだった。
こうやって曖昧なことを言うときは、それ以上話したくない時。
だから、僕は掘り下げるのをやめることにした。
しばらくして、エーレが壁から離れた。
同時に扉が開かれて、僕を認めたシュトルツが、少しだけびっくりしたように目を見開いた。
けれど、扉を閉めるまでは何も言わずに、扉が閉まった音を聞いてから口を開いた
「お子ちゃま、まだいたの? 体調は?」
「寝ておかなくていいのか?」
その後ろのリーベは、なんだか疲れたような顔をしている。
「もう大丈夫です。2人にもお礼を言いたくて、待ってたんですよ」
「そんなの気にしなくていいって。油断してた俺らも悪いからね」
シュトルツはそう言って、手をひらひらさせた。
そして半身を逸らして、今出てきた扉をちらりと見る。
「それよりエーレさん。中々口を割らないんだけど、どうしようかなって。
時間もあんまりないしね。もうちょい詰めるか、はっぱでも、かけてみるか」
その口調はいつもと変わらずで、先ほどまで人を拷問していた人とは思えなかった。
それは、今夜の夕食を決めかねているように軽い。
まるで、拷問そのものを楽しんでいるようにも見えた。
思わず、息を呑む。
「もう少し詰めるって、何するつもりなんですか?」
血に染まったペンチを、手に持った彼の姿が思い浮かんだ。
「うーん、ここには専門の道具はないからねぇ。
そろそろ指でも切り落とすとか?」
その言葉に僕は思わず、顔を引きつらせた。
そんな平然として言っていいような内容ではない。
「それはちょっと、やりすぎなんじゃないですか?」
ふと、視界に入ったリーベが目を伏せた。
リーベもエーレも止めない。
それは必要だからかもしれない。けれど他にやり方はあるのではないか。
しかし、彼は不思議そうに首を傾げた。
「なんで?」
「なんでって……」
聞き返されて、僕は思わず言葉を失う。
シュトルツは一度瞑目して、息をついた。
「まぁ、耐性のないお子ちゃまからするとそうかもね。俺だって、普段はこんなことしたりしないし」
「なら、もっと他に方法とか」
僕の言葉に、隣のエーレがちらりと僕を見たのがわかった。
シュトルツはゆっくりと目を開けると、まっすぐ僕を見つめた。
その瞳はいつもの彼とは違って、深淵を覗き込んでいるような暗さを帯びていた。
「俺は必要なら、いくらだって残酷になれる」
その口調も声色も、普段とはまるで違った。
抑えているわけではない――けれど、声は数段低くて、気味の悪いくらいにその場に響いた。
僕は、不思議とシュトルツから目が離せずにいた。
「俺の大切なものに手を出したんだから、生きてることを後悔させなきゃいけないと思わない?
さっきのこと、忘れたとは言わないでしょ?」
続けた彼は、もう普段とほとんど変わらない口調と声色に戻っていた。
けれど、どこかが違っていて、僕は得体の知れない恐怖を感じた。
それに言葉の端々から、彼の怒りが漏れ出しているのが伝わってくる。
気付けば、小さく肩が震えていた。
「シュトルツ」
リーベが刺すような声色で、彼を呼ぶ。
「ああ、そうそう。で、どうしようと思って、相談に来たんだけど」
隣のエーレが、ため息をついた。
「俺が入る」
それだけ言ってエーレは、シュトルツの隣に並んだ。
ドアノブに手をかける彼に、当然のようにシュトルツとリーベもその後に続こうとする。
さっきまでは、中で起こっていることを見届けたいと思っていた。
けれど、僕はその3人を見て、躊躇った。
シュトルツの言葉とそこから漏れ出す怒りに当てられて、扉に入る勇気が削がれてしまっていた。
そんなことはお構いなしに、開けられた扉。
――見なくていいもの、知らなくていいものも世の中にはある――
先ほどのエーレの言葉が蘇った。
そうかもしれない。それでも……
僕は大きく息を吐き出して、開かれた扉の先を見た。




