悲鳴の中の沈黙の番人
リーベ視点です。
「エーレさん、もう平気なの?」
「大丈夫だっつってんだろ。何度確認すれば、気が済むんだ」
先ほどから、2階共有スペースのソファーに座ったエーレの周りで、シュトルツが何度も同じ問いかけをしながら、うろうろしている。
これで、5度目だった。
ルシウスの風魔法で暗殺ギルドの敵を圧倒し、ミレイユの霊奏で全員の傷が癒された。
そして、いち早く回復した彼女の水魔法――感覚の共有で、体内の神経麻痺も元に戻り、まだ向かって来た敵を一掃することが出来た。
生命力を暴走させたルシウスは、気絶してまだ眠っている。
熱も引いていないのに、まだ順応していない生命力を暴走させるなんて、命にかかわることだった。
一方で、エーレはすぐに目を覚ました。
「でもほら、傷は治っても、流れた血まで戻るわけじゃないから」
普段から、まともに食事をしようとしないエーレ。
そんな彼に、シュトルツは携帯食を差し出した。
「食欲なんて、ねぇに決まってんだろ」
エーレはそれ見て、一度だけ手を払った。
「状況の整理をするのが先だ。座れ」
シュトルツは肩を竦めると、諦めたようにエーレの隣に腰を下ろす。
「状況から見て、レナータの入れたお茶だろうな」
リーベが言うと、前のシュトルツもエーレも小さく頷いた。
「ルーンサリカの花」
シュトルツが呟きに、今度はリーベが賛同を示した。
サリカ草――その中でもルーンサリカの花は希少種であり、医療用として用いられる。
麻酔としての効果があるからだ。
しかし、一度に大量に体内に入ると、筋肉弛緩と神経麻痺を引き起こす。
最悪の場合、呼吸困難に陥る。
無味無臭で、お茶に混ぜられても気づけない。
ルーンサリカの花は、国の管理する禁制品だ。
認められた医療従事者しか扱えないようになっている。
「気づいた時にはもう遅かったけど、たぶんお茶以外にも、お香と一緒に焚かれてたんだろうね。
ほんの少しだけ、違う香りがしたきがする」
シュトルツが目を細めて、思い出すように言った。
「その煙を自分が吸い込む前に、レナータは部屋を出ていったってことか」
エーレが眉を寄せた。
「封書を取りに?」
シュトルツの言葉にその場に一瞬、沈黙が漂った。
「リクサの封書を口実にするため、もともと部屋に置いておいたんだろうな。
まさかミレイユの側近が、暗殺ギルドと繋がっているとは思ってもみなかったが」
暗殺ギルド、引いては帝国や聖国と繋がっているのなら、ルーンサリカの花を入手出来てもおかしくない。
けれど、問題はどうして、レナータが裏切ったのかということだった。
ミレイユの側近として5年。その前から彼女は聖律派のレヒト信徒として、協会に身を置いていたはずだ。
まさか教皇率いる、新啓派の間者だったのか?
けれど、リクサがそんな見落としをするはずがない。
思考を回している最中に、前からエーレの舌打ちが聞こえてきた。
「明日には首都につく。リクサの口から、全部吐き出させてやる。
あいつが知らなかったはずないだろ。何考えてんだあの女は」
エーレの意見も同じようだ。
まさか、リクサがリーベたちを裏切るとは思えない。
思えないのではなく、起こり得ないと言った方が、正しいかもしれない。
シュトルツが大きなため息をついて、立ち上がった。
「とりあえず、‘’あれ‘’どうする?
時間もないし、やるならちゃっちゃと始めちゃうけど。
エーレさんの体調がもう大丈夫なら、だけど」
シュトルツが廊下の先を見た。
何のことを言っているのか、すぐに理解したリーベは、急に気が重くなった。
シュトルツに次いで、エーレも立ち上がる。
「そうだな、トラヴィスへの対価もさっさと渡さなきゃならんしな」
それを聞いて、リーベも仕方なく立ち上がった。
「エーレさん、どうする? 苦手でしょ?」
先頭でドアノブに手をかけたシュトルツが、扉を開ける前にエーレに振り返った。
「部屋に隠蔽だけかけて、ここで待機しておく」
エーレはそれだけ言うと、扉の隣の壁に背を預ける。
「了解。タイムリミットは朝までだよね。リーベ、時間管理よろしく」
「わかった。やりすぎるなよ」
リーベはエーレをちらりと一瞥して、扉を開けたシュトルツの後に続いた。
部屋には、扉に背を向けた状態の――椅子に縛り上げた暗殺ギルドの男
あの乱戦の中、どうにか生け捕りにできた、1人だった。
彼の両手首には、イグリシウムの枷をつけてある。
今回は、事前に奥歯に仕込んでいた自害用の毒を除去済みだった。
男は、目を覚ましていた。
「さて」
シュトルツが男の前に立って、彼を見下ろした。
その瞳は、怖気が走るほどに冷たい。
「俺と遊ぶのと、暗殺ギルドの頭の拠点を教えるの、どっちがいい?」
シュトルツの手には宿の主人から拝借した、包丁とペンチが握られてある。
聖国か、帝国かは定かではないが――圧力によって逆らえず、買収されたとはいえ、襲撃に一枚嚙んでいた宿の主人。
宿の主人はシュトルツを見て、恐れおののいていた。
勿論、快く包丁とペンチを借りただけで、危害は加えなかったが。
シュトルツは、尋問に自分の愛用の武器を使いたがらない。
「何をしようと出てくるものはない」
男は淡々と言った。
暗殺ギルドでは、拷問のための特殊な訓練もあると聞く。
彼らは、痛みに慣れている。情報を吐かせるのは、気力と時間のかかる作業だろう。
しかし、許された時間は陽が昇るまで。
暗殺ギルドの頭は、再々拠点を変えることをリーベたちは知っていた。
今どこにいるのか知りたい――けれど、それは首都への到着を遅らせる理由にはならない。
「そっ、じゃあ教えたくなったら、いつでも言って」
シュトルツが、リーベを一瞥したに気づくと、彼は持っていた布を後ろから男に噛ませる。
毒薬がないとはいえ、舌を噛みちぎられたら面倒だった。
「最初に言っておく。裏切りは敗北ではない。生き延びる手段の一つだ。
よく考えてみるといい」
男の後ろから、そう囁いた。
男が小さく反応したのが見える。
「ちなみに。俺らが光の魔法を使えるのって、そっちに情報いってる?
そういうわけだから……わかるよね?」
シュトルツの口調や声色は、いつもと変わらないように聞こえる。
リーベにとっては、それが逆に不気味だった。
その癖、瞳は冷徹そのもので、その奥には怒りが見え隠れしている。
エーレをあれだけ傷つけられたら、仕方ないのかもしれない。
時間管理――それは彼がやりすぎないように、監視する意味も込められてあった。
リーベはため息を吐きだしたいのをグッと堪えた。
私だって、血なまぐさいのは苦手なんだがな……
だからと言って、一番こういう場を忌避しているエーレに、同室させるわけにもいかない。
他に適任者もいない。
シュトルツの手が、男の爪に伸びる。
出来るだけそれを見ないようにして、部屋に響く悲鳴を、静かに聞くしかなかった。




