霊奏――’’諷え’’
エーレ視点です。
違和感――
まず、宿の張り紙だった。
改修工事と張り紙をしていたが、見るからにこの宿は古くない。
次に、宿の主人。
エーレたちが宿に入るや否や、何かを確認したような……僅かにだが、違和感のある対応だった。
素人は、隠し事が表情や声色に出やすい。
最後に、村全体。
首都に近い村であるはずなのに、人が少なかった。
それでも宿に泊まったのは、ルシウスを休ませるためだった。
敵がやってくるのなら、村の外でも中でも変わらない。
事前に、ルシウスの部屋に結界を張るよう、リーベに指示し、その上で隠蔽をかけた。
もし敵がやってきても、ルシウスの部屋を認識できなくするために。
けれど――これは想定外だった。
エーレはシュトルツの言葉と共に、体の違和感を感じて、すぐに立ち上がった。
その前でシュトルツは脱力して、テーブルに突っ伏し、咄嗟に立ち上がろうとしたリーベは、床に崩れ落ちた。
突然、近くから敵の気配が現れた。
この部屋の中で、どうにか動けるのは、エーレだけだった。
体がうまく言うことを聞かない。頭がぼんやりしていて、ルシウスの部屋にかけた隠蔽の持続が難しくなってきた。
エーレは一度、隠蔽を解除して、細身の剣をどうにか抜くと、自分の左腕の内側を勢いよく斬った。
痛みで、頭を覚醒させる。
一時的ではあるけれど、体も少しはまともに動けるようになるはずだ。
ルシウスの部屋にかけておいた、リーベの結界は解除されてしまっているはずだ。
エーレは後ろを振り返り、シュトルツとリーベに向けて言った。
――動け――
筋肉弛緩のせいで、声は出なかったが、2人にはこれだけでも、十分に伝わる。
扉を見据えて、剣を構える。
大きく息を吸って、集中した。
魔法を発動させて、いくつか隣のルシウスの部屋に隠蔽を試す。
不安定ではあるが、しばらくは持つはずだ。
後ろから2人が立ち上がった気配がしたと同時に、扉が破壊された。
見飽きた、黒い装束の男たち――暗殺ギルド。
冷静に対処すれば、動かない体でも、どうにかやり過ごせる。
ミレイユの回復を待つしかない。
光の精霊の加護を持つ彼女なら、精霊の手助けを得て、覚醒しきらない頭でも、ある程度の魔法は使えるはずだった。
なだれ込んできた敵の数を確認するよりも早く、刃が向かってくる。
広くない部屋の中で、いくつもの剣戟が鳴り響く。
細かい動きは出来ない。繰り出される短剣を大振りの動作でよけ、弾くので精一杯だった。
シュトルツは剣を抜かずに、エーレが避けた敵に狙いを定めて、その腕を掴みとり、投げ倒す。
リーベは、角に身を寄せたミレイユとイレーネを守るために、奥で敵と刃を押さえていた。
言葉もなく、体がまともに動かなくても、身に染みついた反射が、自然と連携を生み出す。
リーベに敵の一人が向かい、その刃を受けた彼に向かって、もう一人の敵が襲い掛かるのが見えた。
咄嗟に持っていた剣を、そちらへと投げる。
上手く動かない体のせいで、致命傷こそ得られなかったが、リーベを助けるには十分だった。
手の中が空になったエーレを敵が襲う前にシュトルツが体当たりで退ける。
戦況は5分5分。
ミレイユをちらちと見ると、彼女がほんの少しだけ首を振ったのが見えた。
――まだか――
この戦況を覆すためには、ミレイユの魔法がいる。
エーレは、ルシウスの部屋の隠蔽を持続させるだけで、精一杯だった。
同時に、他の魔法は使えそうにない。
リーベの方に投げた剣を手元に戻さないと――
そう思った時に、よく知る気配が扉の向こうからしたのがわかった。
――あいつっ……――
ルシウスが扉の前に現れるのと、どこかに隠れていた暗殺ギルド員が、ルシウスを後ろから襲うのが同時だった。
反射的に動いた体は、ルシウスを押し飛ばすように、その奥に割り込んで、敵の振り下ろす手首を右手で掴んでいた。
その後ろから、もう一人――右側から短剣を突いてくる。
右わき腹ギリギリのところで、相手の腕を掴んで、それを左手で止めた。
「エーレ!」
驚愕したルシウスの声が、後ろから聞こえた。
更に後方で、2人が敵と相対する衝撃音がする。
間を置かず、左手で止めていた――右側の敵が刃を横に振り払うのを見て、咄嗟に後ろへと下がる。
「っ……」
しかし、もう片方の腕を逆に掴みとられて、それは叶わなかった。
わき腹を裂かれて、掴まれた方の腕にも、衝撃が走った。
どうにか距離を取るが、右腕が折られたを遅れて知った。
ルシウスがやってきたことで、状況が悪化した。
暗殺ギルドが、ルシウスへと攻撃を向けようとしていることが、手に取るようにわかる。
エーレは、後ろにいるルシウスへと振り返ると、その手にあった手半剣を、左手で奪い取った。
中央と奥側の敵は、リーベとシュトルツが牽制してくれているおかげで、やってこれない。
入り口付近に待機していたらしい――他の敵4人。
ルシウスの前に立って、エーレは左手で手半剣を構える。
そのうちの2人が、襲い掛かってきた。
普段ならなんともない数の敵でも、うまく動かない体と後ろにルシウスがいる状況では、避けることも叶わない。
1人の剣を手半剣で受け止め、もう片方の刃を無理矢理上げた右腕を盾に受け止めた。
その間を縫うように、後ろからまた2人がやってくるのが見えた。
エーレは咄嗟に左手の剣を払い、背を向けて、ルシウスを押し飛ばす。
背中に衝撃と激痛が走り、気が付いた時には、床に膝をついていた。
意識が朦朧をして、耳元で叫ぶルシウスの声が、うまく聞き取れない。
こみ上げてきたものを吐き出すと、床に大量の血が散らばった。
その中でエーレは、左に僅かだけ首を傾け、ミレイユを見た。
そこには露わになった太陽のような金髪があった。
準備が出来た――その合図だ。
これで、どうにか凌げる……
そう、意識を手放しかけた時だった。
目の前で強大な生命力の波動を感じて、エーレは無理やり意識を引き上げた。
ルシウスが力を暴走させていることに気づくのに、時間はかからなかった。
嫌な記憶が、彼の頭を掠める。
ルシウスが引き起こした風が、敵を吹き飛ばし、家具や食器を舞い上がらせ、あらゆる轟音を巻き起こす。
小さな風の刃が、体を切り裂く感覚がした。
エーレは左手で、ルシウスの肩を力いっぱい揺らした。
「……ゥス……ぉい、ルシウス!」
筋肉弛緩が緩まった喉から、声を絞り出す。
「ルシウス! 落ち着け!」
呼ぶ声に、ようやく反応したルシウスの瞳に急激に色が戻っていく。
けれど、制御できない魔法の暴走は収まらない。
そんな中で、近くに光魔法の波動を感じた。ミレイユだ。
エーレは、ルシウスの肩に置いた手を彼の胸へと当てて、息を吐き出した。
正直、もう魔法を発動する気力も集中力も残っていなかった。
けれど、最後の力を振り絞って、魔法を発動する。
彼からあふれ出した生命力を吸収する――闇の魔法。
今の状態で他人の生命力を吸い上げることは、自らを死に追いやることと変わりなかったが、やらなければ惨状は悪化する。
体に激痛を覚えて、手が落ちかけるのを堪えるために、グッと歯を食いしばった。
「てめぇ……は、制御できるま、で……風魔法は禁止だ……!」
ルシウスの目が見開かれて、こちらを見つめていた。
動揺と驚愕と、心底傷ついたような顔。
彼は、収まっていくルシウスの魔法を見て、手を下ろした。
意識を飛ばしたかったが、その前にまだ……
近くのシュトルツもリーベも満身創痍だ。
それに比べて、吹き飛ばされた敵は立ち上がってきている。
通常の光魔法では、足りないし、間に合わない――
「もういい。ミレイユ」
呼びかけに、彼女がこちらを見たのがわかった。
その唇からは、血が滴り落ちている。
霊奏の準備は、とっくに出来ていたのだ。
「――諷え」
ミレイユの口が開かれる。
彼女口から流れた、歌のような言葉を耳にした瞬間――視界が暗転した。




