悪夢を砕く、決意の声
「トラヴィス?」
腕をむき出しにしたベスト、黒のスリムパンツに、編み上げのブーツ。
相変わらずの恰好をした、よく知る彼がそこにいた。
「あら? リーベちゃんじゃない。元気そうで何よりだわ」
「どうして、貴方がここに……」
「エーレちゃんは?」
トラヴィスはリーベの問いには答えず、辺りを見渡した。
アルフォンスとミレイユは困惑を漂わせている。
リーベは立ち上がって、彼を奥へと連れていくことにした。
「あっれ、トラヴィスじゃん。なんでここにいんの?」
彼を見て、シュトルツが明るい声を上げた。
「あっらー、シュトちゃんもお久しぶりね~
相変わらず、いい男だわ」
「それはどーも。エーレさん、まだ休んでるんだけど」
シュトルツの静かな牽制――それに気づかない彼ではないはずだが、トラヴィスはそのままエーレへと静かに歩み寄った。
そしてエーレの前にしゃがみ込むと、その顔をまじまじと見つめ始めた。
「寝顔は天使みたいねぇ」
そう言って、彼はエーレの頬をつつく。
シュトルツがそんな彼に対して、眉を寄せた。
「どうして、お前がここにいる?」
トラヴィスの声に答えたのは、他でもないエーレだった。
その目は閉じられているが、起きていたらしい。
「どうしてって。呼んだのはエーレちゃんでしょ?」
「部下をよこせば、よかっただろう。わざわざお前が来ることでもない」
「そんな冷たいこと言わないで。私がエーレちゃんに会いたかったに決まってるじゃない」
ようやく目を開いたエーレは、目の前まで迫っていたトラヴィスの顔を手で押した。
「ちけぇんだよ」
「もう、恥ずかしがり屋さんなんだからっ」
それを見ていたシュトルツが、トラヴィスをエーレから引きはがした。
「なーに? シュトちゃん、ヤキモチ?」
「エーレさんは疲れてんの。煩わせないでくれる?」
リーベは思わず、ため息をついた。
「で、どうしてここにいるんだ? トラヴィス」
話が進まない気がして、もう一度トラヴィスに尋ねた。
「だーかーらー。入口にいた騎士様の回収をエーレちゃんに頼まれたんだってば」
「あー、そゆこと」
シュトルツが、しらけた声で答える。
エーレが静かに立ち上がると、ミレイユたちがいる入り口へと移動した。
自然とリーベたち3人も、そのあとに続く。
エーレは、アルフォンスの腕の中で眠っているルシウスを見たあと、ミレイユを見た。
「成功とは言えませんが、問題ないと思いますよ」
視線を感じ取ったらしいミレイユが説明した。
「トラヴィス。頼んだ依頼は?」
エーレは、すぐ後ろにいるトラヴィスに尋ねる。
トラヴィスは数歩前へ進み出て、まじまじとアルフォンスを眺めて答えた。
「ちょっと手こずったけど、お母さんと妹ちゃんは無事保護したわ。
妹ちゃんの方がちょっとメンタルやられてるけど、すぐ回復するでしょう。
暴行を受けた様子はなかったわ。よかったわね、騎士様」
「え? どういうことですか?」
動揺を露わにしながら、アルフォンスはトラヴィスとエーレを交互に見た。
「説明する筋合いはない。お前の家族は、この男が保護している。
他に親類のいないお前が、帝国に帰る理由はもうない」
「どうして……なんのためにそんなことを」
淡々と告げたエーレにアルフォンスの動揺は酷くなり、声は震えていた。
「この先どうするかは、お前が決めろ。
家族と安全な場所で隠れて住むでもいい。
お前がルシウスに贖いたいというなら、それでもいい。
とりあえず、お前はこの男についていけ」
「大丈夫よ、騎士様。取って食べたりしないわ。
お母さんと妹ちゃんは、ちゃんと安全なところにいて保護してるから。
早く会ってあげなさい」
刺すようなエーレの言葉をフォローするように、トラヴィスがアルフォンスへ手を伸ばした。
アルフォンスは、腕の中のルシウスを見る。
その様子を見て、シュトルツが前へ歩み出ると、彼の腕からルシウスを預かり抱えた。
離れていくルシウスを名残惜しそうに眺めながらも、アルフォンスはトラヴィスの手を取った。
「ありがとうございます」
そういう彼の声は、まだ震えていた。
「勘違いするな。お前のためじゃない」
「もう、エーレちゃん。あんまりいじめてあげないの。
じゃ、騎士様は預かっていくわね」
アルフォンスの手を引いて立ち上がらせたトラヴィスが一度振り返る。そこにエーレが尋ねた。
「前もって渡しておいた対価。あれで足りるか?」
「勿論。それにエーレちゃんの無事な顔を見れただけで充分よ。
あまり無理しないことね」
トラヴィスはそれだけ言うと、アルフォンスを伴って、洞窟から去っていった。
目が覚めると、荷馬車の幌の中だった。
陽が傾いている――どれくらい意識を失っていたんだろうか。
何があったか思い出すのに、時間がかかった。
頭がぼんやりしていて、体重い。
それでも状況を把握するために、どうにか体を起こすと、すぐ近くから声がかかった。
「もうしばらく寝とけ」
エーレの声と共に、誰かの手が伸びてきて、無理やり体を倒された。
それに抗うことも出来ず、僕はまた眠りに落ちた。
気が付くと、よく知る場所だった。
城の内部――僕の部屋だ。
あれ? どうして僕はここにいるんだろう。
大切なことを忘れてる。
「ユリウス」
いつの間にか、父上が後ろにいた。
僕は咄嗟に姿勢を正して、振り返る。
「どこに行っていた。身勝手な行動は慎みなさい」
「申し訳ありません。ちょっと、気分転換に……」
どうして僕は謝ってるんだろう。でも自然と口から言葉が出た。
「私の言う通りにしておけば、全てうまくいく。
お前は私の’’唯一無二’’なのだから。与えられたものを全て受け入れ、私に甘えておけばいい。
何も考える必要もない。そうすれば、辛い思いも苦しい思いもしなくて済むだろう?」
当たり前のように囁かれた、甘い甘い誘惑。
それを聞いた途端――ぼんやりとした意識が覚醒した。
ここは夢だ――
「そうじゃない! 僕は……! もう父上の敷いた轍の上を歩くことはありません!
僕のことは自分で決める。
どんなに辛くても苦しくても、僕自身が悩んで迷いながら、自分で答えを見つけます! 自分で選び取ります。
自分の足で立って、自分の力で歩いていく! そこに父上の意思が、入り込む余地はありません!」
そう言った瞬間、城が砕けた。
皇帝の手が、伸びてくるのが見えた。
僕はその手を振り払う。
「僕は僕だ!ルシウスなんだ!」




