秩序の天秤は傾かない
要塞都市にて、エーレがルシウスを連れ戻しに来た。
彼は圧倒的な力でアルフォンスや、他の騎士を倒し、ルシウスに問う。
ユリウスか、ルシウスか。その問いに彼はルシウスであることを選んだ。
エーレは一時的に、アルフォンスにかかった支配魔法を解き、その場を霊奏で離脱した。
「お、帰ってきた」
洞窟の前で、シュトルツが待機していた。
彼の全身は、びしょ濡れだ。
「無事だったか」
シュトルツの背後から、ホッとした表情のリーベが顔を出した。
僕の傍らにはアルフォンスもいて、突然の出来事に理解が追い付いていないようだった。
「さっさと入れ」
エーレが顎で洞窟を示す。僕はとりあえずアルフォンスに手を貸して、洞窟の中へと入った。
奥にはミレイユとレナータ、イレーネがいた。
無事だったらしい。
「エーレ」
シュトルツの声の先を見ると、エーレは痛みに耐えるように顔を歪めていた。その手は胸に当てられてある。
「まさか制約が……」
「やり合ったやつらのある程度は、記憶を隠蔽してきた。少し持っていかれただけだ。大したことない」
牽制するように、僕を見てエーレは言う。
「持っていかれたって……」
制約の代償がなんなのか、僕は未だに知らない。
「俺は少し休む。ミレイユ、ルシウスに中和のやり方を教えてやってくれ」
「中和ですか? 私はそんな高等応用、出来ませんよ?」
奥にいたミレイユが困惑の声を上げた。
「なんとなくでいい。感覚は自分で掴めさせるしかない。
これから先、必要になってくる」
「理論的なやり方でいいなら」
そう言ってミレイユが立ち上がって、僕の方へと歩み寄ってきた。
「助かる」
エーレはそう言いながら、ミレイユとすれ違うように奥へと入っていった。
シュトルツがそのあとを追っていく。
ミレイユは僕の前まで来るが、いつものようにフードの奥の表情は読み取れない。
けれど、彼女がアルフォンスを一瞥したように思えた。
「ルシウス、怪我はないか?」
そこにリーベもやってきて、心配そうに眉を下げた。
「ご心配おかけしました。僕は平気です。でもアルフォンスが……」
隣のアルフォンスは、左わき腹を抱えるようにしていた。
エーレに蹴り飛ばされたときに、骨をやられたのかもしれない。
ミレイユは一歩僕に歩み寄ってきて、僕の首元に手を当てた。
視界の下に、優しい光が漂う。
首筋を少しだけ、切られたことを完全に忘れていた。
「ありがとうございます、ミレイユさん。出来れば、アルフォンスもお願いできませんか?」
聖女に治癒を頼むのは、厚かましい気もしたが、痛みに耐えるアルフォンスを見ているのは僕が辛い。
しかし、ミレイユの手がアルフォンスに伸びることはなかった。
「その者は、貴方を害そうとした人なのではないのですか?」
彼女の声は、冷ややかだった。
「これには事情があって……! 彼は悪くないんです」
「そうですか。それでも、彼の怪我は自業自得です。
私に与えられたこの力は、万人を癒すためにあるわけではありません。
秩序神テミスに仕える身として、その秩序の天秤を傾けるような行いは出来ません」
きっぱりとした拒絶を示され、全てを説明したい衝動に駆られた。
けれど、僕が口を開く前に、アルフォンスの手が僕へと伸びてきた。
「殿下、その方の仰る通りです」
「でも」
「お手を煩わせるわけにはいきません」
そういうアルフォンスはやはり痛みに顔を顰めている。
「相変わらず、ミレイユは手厳しいな」
苦笑と共に、進み出てきたリーベが、光の魔法でアルフォンスを治癒してくれる。
そのおかげで、彼の顔色が見る見るよくなっていった。
数秒沈黙していた、ミレイユがため息をついた。
「貴方が甘いだけですよ」
「この男のためではない。ルシウスのためだ」
「そのことを言ってるのです」
呆れたような声色と共に、彼女は首を小さく振る。
「この男を許すか許さないかを決めるのは、私たちではない。
それに、事情もあるのだろう?」
リーベが僕を見てきた。
「ありがとうございます、リーベ」
隣でアルフォンスも礼を言うと、リーベは彼を真っすぐ見た。
「私たちの出る幕ではないが、エーレが貴方を生かした理由をよく考えることだ」
それだけ言って、リーベは奥へと入ってしまった。
アルフォンスは、その背をジッと見つめていた。
どうしてエーレもリーベも、そしてミレイユですら、彼のことを責めるようなことを言うのだろう。
彼にされたことが、ショックだったのは嘘ではない。たしかに、裏切られたと彼を責めはしたけど。
今はもう、アルフォンスを責めるつもりはないのに……
「アルフォンス」
理由もなく、彼の名前を呼んでいた。
「ユリウス様。彼らの言葉はもっともなことなのです。
どんな理由があろうと、私がしたことへの言い訳にはなりません。
こうして治していただけただけでも、とても有難いことなんです」
彼はそう言うけど、僕の胸のざわつきは、収まらなかった。
「ご自分の立場を理解しているようで何よりです。
けれど今、貴方がたの話し合いに、割く時間はありません」
そう言って、ミレイユは洞窟の壁際へと移動した。
「明け方には、雨が上がります。それまでに、中和を習得してください」
僕とアルフォンスもそれに続き、彼女から中和のやり方を習うことになった。
’’中和’’――水魔法の高等応用だとミレイユは言った。
名前の通り、混ざり合っている2つのものと打ち消したり、競合している両者のバランスを取るような力の使い方らしい。
つまり皇帝の水魔法――アルフォンスの生命力に混ざりこみ、思考や感情を支配している皇帝の生命力を打ち消すというものだ。
氷の魔法――断絶を使って、一時的に切り離すことは出来る。
けれど、それは一時的なものであって、解決にはならないと彼女は言った。
水魔法の支配効果を中和させるのは、水魔法でしかできない。
そもそも高い同調率がないと、高等応用は使えない。
その上、中和にはそれを発動させた使用者よりも、高い親和率が求められる。
――親和率が同等か、上回ると相手の力に干渉したり、主導権を奪うことも可能だ――
いつかリーベの言った言葉を思い出した。
不可能だとは言わないが、中和で相手の支配魔法を完全に打ち消すことは難しい。
けれど、対象者に溶け込んだ生命力を永続的に切り離すこと――つまり今、皇帝の思考がアルフォンスの主観思考として認識されているものを切り離し、客観視に変えることは可能だとも説明された。
結局のところ、中和とは、思考を侵している支配魔法の効果を、本人から切り離したり、害がないようにバランスを取る、ということだ。
その上、中和に成功すれば次回、同じ使用者が支配魔法を使ったとしても、対抗力がつくらしい。
「心してください。中和に限った話ではありませんが、制御に失敗すれば、それ相応の代償が発生します。この場合、支配魔法に貴方が侵される可能性も十分あるでしょう」
彼女のその言葉を聞いて僕は固唾を飲んだ。




